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ホスピタルパーク🍀🦆✨乳癌後の〜💞

1年前、梅雨空のもと、私は大学病院に入院した。
乳癌後の手術のためだ。


前年の年末に市民病院で、乳癌の手術(乳房切除術、腋窩リンパ節郭清術)と乳房の同時再建をした。 

まだコロナ禍での入院で、病院のスタッフさん以外とは、ほとんど話すことがなかった。
私はよくある4人部屋だったが、カーテンは閉め切ったままだ。
一度、お向かいのベッドの方には声をかけられたが、少し話をしていると、すぐに看護師さんに注意された。

それまで検査や抗がん剤治療など、様々なことがあったが、無事に手術が終わり、まだ体液の排出量は多いものの、退院できることになって、先生に呼ばれた。

どうしたのかな?
ここでは話しにくい内容なんだろうか?

いつもはベッドのところでお話されるので、なんとなくそんなことを思いながら、先生の後をついて部屋へ入った。

「そこにおかけください。」

と促され、丸椅子に座る。
先生はパソコンを指しながら、

「これが摘出したモノで、癌はきれいにとれ
 ていますからね。」

とおっしゃった。
私は数枚の画像を見せてもらったが、どこがどの部分なのかあまりよくわからない。
それでも先生の言葉には、ホッとしていた。

よかった〜これでもう安心だわ

私の母も若い頃、乳癌になったが、手術したあとの経過がよかっただけに、その時の私はまだ楽観的だった。

その後の先生の説明を聞くまでは…
先生は続いて、

「術後の病理診断の結果が出てきたのですが、 
 この値が高くて、再発率がほかの方に比べ
 ると高くなるんです。
 それで保険の適用にはなるのですが、通常     10年間、服用していただくお薬のほかに、
 このお薬、『分子標的治療薬』という名前を
 聞かれたことはありますか?」

 「あ、はい。」

先生に問われて、私は頷いた。
以前、ニュースの知識で、その名前だけは知っていた。 

「このお薬を2年間服用していただくと、
 100人のうち、30人が再発するところを
 20人にまで減らせるのですが、どうなさい
 ますか? 
 このお薬は新薬なので、保険適用ですが、
 お薬代が高くて、(再発率が)ゼロじゃない
 のが心苦しいのですがねぇ」

と、一気に話された。
私は入院前に、ネットで何気なく見ていた情報で、

私のステージだと、再発率は20人に1人ぐらいなのかなぁ

と、気楽に思っていたのだが、

いきなり、100人に30人…? 
それって、10人中3人ということ? 
それにお薬を飲んでも、10人中2人、ということは、5人に1人は再発するということなの?!

と、ショックを受けていた。

その値ってどうなんだろう?
そのお高いというお薬を飲む価値があるんだろうか?
お薬を飲んでも再発したら?

考え出したら止まらなかった。

そもそも自分で思っていただけで、しかも再発している人だっているのに、確率が低いなら自分は大丈夫だろう。なんて、どうして思えたんだろう。

先生は私の様子を察して、

「今、お決めにならなくても構いませんか
 ら、ご主人さまとも相談なさってくださ
 い。
 退院する前ぐらいに決めていただいたので
 構いませんからね。」

と、優しくおっしゃった。

「あの〜その新薬は、おいくらぐらいするん
 でしょうか?」

お薬代のことも気になる。

「そうですね〜この場合だと、高額療養費の
 マックスはいくかと」

話しながら先生は申し訳なさそうだ。

家には、まだ就職していない子供が3人いる。
末っ子は高校2年生だ。
これからまだ大学にだって行くだろう。
主人は定年後で、再就職はしたものの、今までの検査や治療費だって、相当なものだったのに、これ以上、まだ、、、

私はこんなふうに、『自分の命』と『お金』を天秤にかける日がくるなんて、思ってもみなかった。
だけど、お金を払ってそのしんどい新薬(抗がん剤ほどではないとおっしゃっていたが)を服用しても、5人に1人、つまり20%は再発するのだ。
だったら30%でもそんなに変わらないんじゃないのかなぁ?

そんなことを思ったりした。

その日のうちに、主人に電話をかけると、

「再発が一番怖いから、そのお薬を出しても
 らってください。」

と、すぐに言われた。

「でもね、抗がん剤ほどじゃないみたいだけ
 ど、しんどいんだよ〜
 私また何にもできなくなってしまうかもし
 れないよ〜?」

私は言い募った。

「僕がいるし、子供たちも手伝ってくれるか
 ら、安心して治療に専念してください。」

そんなふうに言われると、もう頷くしかない。

「本当に…ありがとう。」

なんかもう涙が出そうだった。⁠:゚⁠(⁠。⁠•́⁠⁠﹏⁠⁠•̀⁠。⁠):゚⁠⁠:⁠。

私はドレーン(手術の時に体内に留置する管)は抜いてもらったものの、まだかなり体液が出ているので、退院しても外来に来て、注射器で体液をとることになった。
それでクリスマスイブにはなんとか退院できたのだ。

お家へ帰るまでの間に、主人が好きなお菓子屋さんがある。
車でそこに寄って、クリスマスケーキを2個も買って帰った。(1個は私の退院祝いだと主人が奮発してくれた。)

一人でこんなに家をあけたのは、初めてのことだ。

みんなどうしているだろうか
吠えられたりしないかなぁ?

少しドキドキしながら、玄関の扉を開ける。
居間の方へと行くと、何やら娘が料理をしてくれているようだ。
二人の息子たちもそれを手伝って、テーブルのまわりにいた。
そして、私の姿を見ると、

「おかえりなさい」

みんな温かく迎えてくれた。
(愛犬もちゃんと覚えていた(⁠ᵔ⁠ᴥ⁠ᵔ⁠))
今日はクリスマス会と退院祝いを一緒にしてくれるそうだ。(⁠☆⁠▽⁠☆⁠)
2個のケーキに、子供たちも嬉しそうだ。
主人も笑っていて、私も嬉しかった。

そして年が明けて、ホッとしたのもつかの間、今度は胸の筋肉がピクピクし始めた。

あれ〜? 
なんか私、ボディビルの人みたい〜??

初めは呑気に構えていた。
手術後、1ヶ月目の検診の時には、まだそこまでひどくはなかったのだ。

だが2月の検診の時には、形成外科の先生も、

「ちょっと動画に撮らせてもらえますか?」

と、驚いてカメラを取り出した。

このまま大丈夫だろうか?

まだ乳房の横のあたりに、鉄板のようなものが入っているような感覚がある。
そちらの方が気にはなるものの、やはり私の胸は、カメラを前に痙攣し始めた。
その様子を動画に撮ると、

「放射線をあてると、痙攣が弱くなるかもしれませんから、放射線治療のあとまで様子をみてみましょうか。」

先生はそうおっしゃって、次の予約を入れてくださった。
放射線治療のあとの4月下旬だ。

そんな予測とは裏腹に、放射線治療をすると収縮はひどくなった。
正確には、それまでは胸の筋肉(?)がピクピクしていたのが、そのあたりから何か絞られるような感じになってきたのだ。
先生は、

「以前、大学病院で一例だけ手術を見たこと
 があります。」

とおっしゃった。

先生はこの春、大学病院の方へ転勤されていた。(もともとその大学病院から市民病院の方へ来られていたらしい。)
市民病院での診察は月に2日で、術後の経過を観られる患者さんだけだ。

私の再建術は、背中の筋肉と自身の脂肪を使った手術だ。
手術前にサインした説明文書には、『乳房再建術(広背筋皮弁+脂肪注入による一次再建)』と書いてある。
広背筋(背中に幅広く扇状に広がる筋肉)は二層になっているそうで、そのうちの一層を皮膚と脂肪を含めて裏面より剥離し、栄養血管のみで繋げた状態で、乳房手術部位へ持ってきてある。 
その時点で、もう筋肉としての役割は終えているのだが、栄養血管とともに神経が繋がってきているので、何かの信号で、背中のほうでしていた収縮を、そのまま胸のほうにきても反射的にしてしまうことがあるそうだ。
その場合、神経を切ると、完全にその信号がいかなくなるので、収縮もしなくなるらしい。
その神経を切る手術を、大学病院のほうですることになった。

異常を感じ始めた1月から4月の検診まで、やっと、、、の思いと、再び身体を切ることへの恐れ。
同じ箇所を切るそうだが、

きっと同じように綺麗にはならないわね。

と、どこか諦めのような気持ちもあった。

初めの手術では、母が乳癌で手術をした時の痛々しい傷痕を知っているだけに、思っていたより綺麗な傷痕には、医療の進歩なのか、先生の腕がいいからなのか、驚きと感謝の念でいっぱいだった。
でも2度目ではこうはいかないだろう。

なんにせよ、あの異常なまでの収縮から解放される。
自分の身体が自分のものではないような、エイリアンに寄生されたような感覚。
ぎゅ〜っと胸のあたりで雑巾絞りをされているようでもある。
強い傷みではないから、と自分に言い聞かせていたが、ここのところ耳がキーンとする。
ザーッと音が入るのは耳鳴りだろうか。
胸の高さは収縮のため互い違いになり、もう限界だった。


初めてかかる大学病院。
先生のお人柄を知っているだけに、安心感はあったが、一度目の入院の時と同じで、入院生活で患者さんたちと交流することはないだろう、と思っていた。
入院は金曜日だったので、土曜、日曜と病院に留まる私を案じて先生は、

「ここには『ホスピタルパーク』があるの 
 で、よかったらぜひ行ってみてください
 ね〜」

と勧めてくださった。
1階にはコンビニやスターバックスまであるそうだ。

春に、市民病院からこの大学病院へ転勤してしまわれた先生のことを、私は心の中で密かに、『ひまわりの君』と呼んでいた。

それに違わぬ情熱と温かさを持ったお人柄だ。

「ぜひ行ってみますね。」

と、私も笑顔で応じた。

土曜日の朝、いつもの習慣で、起床時間よりかなり早く目が覚めた私は、まだほかの人が寝静まった部屋で過ごすのも、わるいような気がして、エレベーターで1階まで降りた。

確かこちらのほうの入口だったはず…

自動扉の方へ進むと、閉まっていると思っていた扉が開いた。

朝早く出勤する人のためなのか、かなり早くから鍵が開いているようだ。

ありがたいわ (⁠ ⁠◜⁠‿⁠◝⁠ ⁠)⁠♡

私は雨が降っていないのを確かめると、外に出てみた。

まだ朝早くて、空気が気持ちいい。

それにどこからか良い香りがした。

『ホスピタルパーク』というだけあって、美しい木々に芝生の向こうには小川が流れていて、ビオトープがあるみたいだ。
私はすっかり嬉しくなって、足取りも軽く、ビオトープのほうへ坂を降りて行った。 
岩の間からせせらぎが流れている。
香りに誘われて振り向くと、右手にクリーム色の小花をたくさんつけた木があった。
シマトネリコだ。
庭木としても人気らしく、お友達の家にもあったが、こんなに大きく、たくさんの花を咲かせているのは初めて見た。

あの香りはこのコだったのね (⁠◍⁠•⁠ᴗ⁠•⁠◍⁠)⁠✧⁠*⁠。

なんとも言えない、心穏やかにしてくれる香りだ。

ありがとう (⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)♡

私は心の中で木にお礼を言うと、さらに坂を下った。

ビオトープに近づくと、そこには先客がいた。
カルガモが一羽、羽を休めていたのだ。
こんなに間近でカルガモを見たのは初めてだ。
私は思わずスマホを向けて、驚かせないように、ゆっくりとシャッターをきった。
そんな私の気持ちとは裏腹に、カルガモは悠然としている。
どこ吹く風だ。

私はあと2、3枚写真に収めると、また歩き始めた。
ハクセキレイが芝生の上を走っては飛んでいく。
その向こうには、ヤマボウシが咲いていた。枝垂れ桜らしい木も葉が青々と茂っていて、
見知らぬ植物もある。

なんて美しいの✨🌳🦆🍀🐦‍⬛🪻✨

ホスピタルパークは小学校のトラックぐらいの広さだろうか。
一周りして朝の景色を満喫すると、私は部屋へと戻った。
まだ同じ部屋の人たちは寝ているようだ。

あとでコンビニへも行ってみよう。

朝食が終わると、私は一人、1階へと降りて行った。
コンビニにはいろいろなものが揃っている。書籍コーナーは、病院の中という場所柄か、外のコンビニよりも充実していた。
朝の連ドラの影響なのか、草花図鑑のような本もある。

そう言えば、あの植物、なんていう名前かしら?

さっきホスピタルパークで見た植物の名前が知りたくて、私は写真入りの植物図鑑を手に取った。
身近な植物の写真や解説がわかりやすく書いてある。
ほかの本に目を移すと、分厚い背表紙の本に目がとまった。

ん? 塗り絵、クレヨンつき?

思ってもみなかったが、いいかもしれない。
どうせ時間はたくさんある。
ほかの人とはあまり交流もないだろうし、これなら私にもできるかも。

と、中を開いて見ると、お手本が左側にあって、それに習って右側の下書きに色を塗っていくようだ。
一見すると油絵のようで、丁寧な描き方まで書いてあった。
私はその2冊を持ってレジに向かった。

その日は、本を片手に楽しい一日となった。
痙攣は相変わらずだが、それもあと少し、と思えば、耐えられないこともない。
本当にあと少しだ。

日曜日は雨だったが、手術が終わって、体が動かせるようになると、私はまたホスピタルパークへ行った。
今日はカルガモはいない。
少し残念たが、水面を見つめていると、何か飛んでいるのが目に入ってきた。

トンボ?
トンボだわ!

綺麗な水色のトンボだ。

トンボを見るのもどれくらいぶりだろう。

思えば、景色をこんなにゆったりとした気持ちで見るのは久しぶりのことだ。
それでなくても慌ただしい毎日と喧騒の日々だった。

病気にならなければ、諦めきれない業〈ごう〉のようなものもあった。
それだけ根深く、私の心の奥深くに侵食していた。
でも病気になって、圧倒的な生命の危機に瀕して、たいがいのことは、どうでもよくなってしまった。

生きるのは『シンプル』がいい。
あまりあれもこれもと欲を出さずに。

以前、幼馴染に、

「欲は自分が掘った穴の深さだけあるんよ。」

と言われたことがある。
それは、自身に向けての言葉でもあったが、
時折、それを思い出すことがあった。

ただ癌になって、抗がん剤治療の圧倒的な力と副作用に疲弊していくにつれ、いろんな執着を手放していった。
さらに手術をして、その後のこの体の状態だ。
私には何もかもが、もう生きているだけで精一杯だった。

ただ主人の、あの告知を受けた時の、今までどんなことにも動じなかった彼が、私の病名を知って、心底ショックを受けていた、そのことに、私にはそれまでのつらい治療を耐える理由があった。
自分だけなら、遠の昔に投げ出していたかもしれない。
不器用な彼の、普段はちっともわからない、そんな時にしか見せない愛情が、私が生きる理由になった。

様々なことに思いを馳せていると、

「あれ、トンボじゃない?」

と声をかけられた。

振り向くと、優しい感じの寝巻き姿の女性がそこに立っていた。

いつの間に来られたんだろう。

「あ、そうですよね。
 水色のトンボみたいですね。」

私が答えると、

「写真に撮りたいのだけど、スマホを忘れて
 きたのよ〜」

と、なんとも残念そうだ。

「私のスマホで撮りましょうか?」

私は自然に声が出ていた。 

初対面の人だけれど、同じ病院に入院している、という気安さからだろうか、とにかく話しやすい。

「あら、そうぉ?
 撮ってみてくれる〜?」

名前も知らない女性は嬉しそうだ。
私は、トンボのほうへスマホを向けた。
トンボは気配を感じたのか、素早く飛び回っている。
とてもカルガモの時のようにはいかないようだ。

あっ、撮れた!

と思っても、写っていなかったりする。

「なかなかうまくいかないわね〜」

と彼女も残念そうだ。
でもやはりトンボは水辺が好きなのだろう。
水の上を動き回っていたが、時々、水面へと突き出ている植物の茎の上で留まって、休んでいる。
何度か、茎の上で留まっているところに狙いを定めていたら、

カシャ!

撮れた!

ちょっとボヤケているけど、体の水色が綺麗に写っていて、いい感じだ。
彼女に見せると、喜んでくれた。
そして、

「私、8階に入院してるのよ〜」

と話し始めた。
奇遇だ。

「私も8階なんですよ〜」

「あら、どちらの方?」

「ナースステーションを通った奥の方です。」

「じゃあ反対の方だわね〜」

と、そんな会話を交わして、一緒にホスピタルパークを後にした。

病棟は、エレベーターであがると、デイルームを中心に東西の病棟に分かれている。
ナースステーションは、エレベーターを降りてすぐ西側だ。
彼女はその反対の東棟らしい。

「じゃあ、朝食のあとに、デイルームにスマ
 ホを持っていくわね〜」

彼女はそう言うと、手を振って、東側の病棟へと歩を進めた。

私も手を振って、西側の病棟へと向かう。

こんなふうに誰かと話せるなんて、思ってもみなかったな (⁠ ⁠◜⁠‿⁠◝⁠ ⁠)⁠♡
ラインを交換してもらって、そこに写真を送ったらいいかなぁ (⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)
あっ、その前に名前を聞かなくちゃ(⁠灬⁠º⁠‿⁠º⁠灬⁠)⁠♡

私はワクワクしながら部屋に戻って、朝食をとった。

その後、彼女とラインを交換し、新しい交流が始まっている。

これからもきっと、ずっと💓






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