ふかいゆき

イタリア、、あなたにはどんなイメージが湧くのでしょう。 私はウンブリア州のペルージャに…

ふかいゆき

イタリア、、あなたにはどんなイメージが湧くのでしょう。 私はウンブリア州のペルージャに暮らし、イタリア語を一から学びました。トリノ冬季オリンピックのコーディネーターの通訳を最後に帰国。 よろしければ、私のイタリア、を楽しんでいただけたなら嬉しいです。

最近の記事

え~っと、あのロックバンドの名前は?

この前、映画 ’AIR' を観たよ。(ちょっとだけネタバレ) ’エア・ジョーダン’誕生物語はね、様々な無謀にも思える企画とかの、ハードルを乗り越えたサクセスストーリーでね、主役のマット・デイモンも前から好きだったし、いい中年のおじさんの好演ぶり! 映画のイントロ部分には、ルービックキューブ、初期のコンパクトなゲーム、モデルさん、スポーツ選手たち, ゴーストバスターズとか、懐かしい人と物が、出てくるの。 主人公は、ギャンブル好きで、バスケットの事しか考えていない人だから、

    • Grazie a tutti! 皆さんにありがとう!

      英語がそこそこできるんだから、たった3か月で、イタリア語をマスターできると高を括っていたけれど、結局、仕事が出来る自信がつくまでに、約2年間の月日が必要だった。 自身への投資分を取り返し、少し余裕ができるまでに、約16年必要だった。 時間がかかったことは、悪い事でもないと思う。   いろんな人に会い、友達も増え、どこの国の人でも、本質的なところでは、同じ人間、たいして変わりはない、と思っていたけれども、その国の歴史、文化に裏付けされた国民性、人の在り方は、それぞれ少し違っ

      • 完全帰国

        長い間、外国に暮らすと、完全帰国するタイミングが難しくなる。 以前の職場には、イタリア語を習得した今、戻る意味がないし、かといって、直ぐどこかに就職できるかどうかは分からない。 年齢制限のハードルも、どんどん高くなる。 イタリアでの暮らしが安定しているならなおさら ’いつ’ 帰国するのか、、は、難問に思える。 オリンピックという一大イベント終了のタイミングで、帰国を決めることができたのは、ラッキーだった。 日本で引っ越しは、一度経験しただけ。  イタリアに来てからは、

        • トリノ冬季オリンピック始まる

          開催を前に、続々とテレビ局の人たちが来伊した。 ディレクターと数人の方々は、下見に何度かイタリアに来られたけれども、他のスタッフとは、これが初対面。 皆さん、どうぞよろしく! 開会式の前には、会場を見下ろせるアパートの住人に、部屋をお借りして、そのベランダにカメラを設置。 住人の方とご協力いただく打ち合わせ。  初めてのこととはいえ協力的で、この大会をトリノ市民として参加することに、わくわくしておられるのが感じられる。 大会までに、全ての準備が整うのか?  気候にも問

        え~っと、あのロックバンドの名前は?

          2006年トリノ冬季オリンピック

          2004年頃にはもう、イタリアに来て約15年ほど経った頃、そろそろ日本に帰ろうかなと考え始めた頃だった。 イタリア語を学んでいる時に、ペルージャで知り合った友人から、2006年2月開催の、トリノ冬季オリンピックで、あるテレビ局のコーディネーターとして、また開催中の通訳のオファーがあった。 また、友達が私の事を思い出してくれた。 日本とイタリアの企業が、主なお客様であったけれど、この仕事は違う。 スポーツの祭典、世界の頂点を目指すアスリートが集い、競う場所。 私にこんな

          2006年トリノ冬季オリンピック

          お昼休みに、パニーニ持参、仲間とプールに行く

          ヴァレーぜの合弁会社に勤めている時、運よく数人のプール仲間がいた。 私は小学校の時から水泳部に所属し、社会人になってもアーティスティックスイミング(シンクロナイズドスイミング)を習い、マスターズにも参加し、プライベートでも,今もプールに泳ぎに行く水泳人。 会社のお昼休みの1時間、食堂の方に私たち人数分のパニーニを作ってもらい、12時になった瞬間、食堂でパニーニをピックアップ、車で片道約10分の市営プールにはせ参じる。 プールサイドでパニーニをみんなで食べる。 まるで、’

          お昼休みに、パニーニ持参、仲間とプールに行く

          鬼に金棒

          毎回、経験豊かな輸入業者が来伊するとは限らない。 ある時日本の知り合いの方から、サラリーマンを早期退職し、子供服の輸入をしたい人がいるというので、その仕事を受けた。 イタリアから輸入を始めたい、すぐにでも。 会ってお話をして、それは理解できた。 お気持ちはよく分かるけれども、まず私は日本国内でのイタリア物の、展示会をお勧めした。   多くの場合、日本の商社や大手の輸入業者が開催する展示会での価格は、イタリア現地での物よりは高くなるけれど、日本国内で済むこと。 行ったこ

          アリタリア航空で日本へ出張

          第二次世界大戦後、1947年にイタリアのフラッグキャリアとして、アリタリア航空は誕生した。 ’Ali’(翼)’Italia’(イタリア)だから、’ALITALIA’ その名前の由来が好きだった。 残念ながら2021年、ITAエアウエイズに引き継がれた。 私の暮らすヴァレーぜ州にある、特殊フィルムを製造する会社の社長を含める重役たちが、日本訪問となり、私も通訳として同行することとなった。 事前ミーティングなどの準備をし、いざ我が国へ出発。 平社員が同行しない海外出張の為か

          アリタリア航空で日本へ出張

          Pizza と お好み焼き

          大阪生まれ育ちの私は、定期的にお好み焼きを食べたくなる。 イタリアのどこに暮らそうと、’行きつけのあの大阪の、お好み焼きが食べたい’ 気持ちが、イメージがどんどん膨らむ。 お正月には、帰国するのが家族との約束。  やっとの思いで目の前には、あの恋しかったお好み焼き登場。  美味しい、とっても美味しい。  だけど、イタリアでイメージしていた時の味の方がいいのは、どうしてなのかな。 イタリア人、特にナポリの人たちは、ほぼ毎週土曜日に、必ずpizzaを食べるという人が多い

          Pizza と お好み焼き

          アルマーニに引き寄せられる。。

          日伊合弁会社に勤める傍ら、時々、日本からの輸入業者の、商談通訳も引き受けた。 イタリアでの商談通訳デビューは、ボローニャの国際展示会,’LINEA PELLE' 人間の皮革以外なら、どんな動物の皮革もありそうな、、その時世界最大級の皮革素材がメインで、その周辺素材の展示会。  この展示会場の設計者は、我が国の誇る建築家、丹下健三氏。  日本人として、私はとても嬉しい。  設計者をイタリア人から教えてもらったのはちょっと、恥ずかしいけれど。。 この展示会でデビューした時の

          アルマーニに引き寄せられる。。

          北イタリアへ

          きっと、とても忙しかったはずなのに、ペルージャからヴァレーゼ州に移り住むときのことは、ほとんど覚えていない。 それは、きっと当たり前の事の連続、引っ越し、荷送り、アパートメントの引継ぎ、、煩雑な手続きがあっただけの事。 サルヴァトーレと共に暮らしたペルージャの町を離れていく寂しさに、心を奪われていたからかもしれない。 ラッキーだったのは、私たちの暮らしたアパートメントに、ペルージャで知り合ったけれども、実は日本の実家がお互いに歩いて5分くらいの場所にある、母親同士が知り

          北イタリアへ

          いつか来る日。。

          分かっていた。 ふたりとも。 初めて会った時からすぐに、彼は長男、それも南イタリア出身と知る。 家を継ぐ、つまり大学生活を終えれば故郷に帰り、そこで生活の基盤を作る。 それが普通の事。 私は通訳の仕事を始めて調子も出てきたところで、もっと仕事がしたかった。 私の出来る仕事は中部と北イタリアにしかない。 夏休みに彼の故郷の町に遊びに行ったときも、私にはこの土地で生活をする自分が想像できなかった。 ふたりとも、最後の最後まで話し合い、それぞれの道を歩くことに決めた。 辛い

          いつか来る日。。

          卒業、おめでとう!!

          二人で暮らし始めて約4年後の秋に、サルバトーレは卒業した。 卒業の日は最後の口頭試験を、親や身内、友達が見守る中でおこなわれる。 私も来ていいと言われ、緊張しながら見守った。 始めて参加するイタリアの大学の卒業式。 全員が緊張の中、教授から、大学での最後の質問がなされた。 流ちょうに答えるサルヴァトーレに、私は惚れ惚れとする。 教授から点数を言い渡され、これで卒業が決定する。 サルヴァトーレ、卒業おめでとう! 卒業の日はこれだけでは終わらない。 メインイヴェントは

          卒業、おめでとう!!

          アパートメントに独りぼっち

          夏がやってきた。 二人で暮らすようになって、初めての長い休暇。 私はただ、帰郷の支度をしているサルヴァトーレを傍で、眺めている。 以前は、一日の一部だけを一緒に過ごしていたけれど、今回は別。 少しは寂しいけれど、帰らないでと駄々をこねるほど私は、子供ではない。 他の土地にいるイタリア人学生にとって、長期休暇に帰郷するのは必須。 働いている人たちだって、週末に帰ったりする。 ご家族にどうぞよろしくと、笑顔で送り出す。 私はこの間、学校の主催する遠足に行ったり、友達と

          アパートメントに独りぼっち

          一緒に暮らす

          私が一時帰国をしていた間に、サルヴァトーレは、私たちの暮らす新しいアパートを探していてくれた。 簡単に決めたわけではない。 もちろん、いつも一緒に居たい思いは同じだけれど、相談して時間をかけて、ふたりで決めた。 結局、貧乏学生二人の、最大の共通点は’経済的である’こと。 例えば彼は、自分の試験準備のやり方が、私の迷惑にならないだろうか、、と悩んでいたらしい。 それは随分時間が経ってから聞いた。 大学での試験のほとんどが、試験官の前での口頭試験。 サルヴァトーレの準備の

          一緒に暮らす

          図書館長と歌う🎶

          長期休暇の前に、外国人大学で本を借りようと出向いたら、最終日は早く閉館した。。。 そんな~~、と思いつつ帰ろうとしたら、誰かがまだ館内に居た。 'Scusi…' (すみません、、、)の問いかけに、奥から出てきたのは、 館長さんだった。 本を借りに来たのですが、今日はもうお終いですか?  。。分かっていても聞いてみる。 ’そうです。ところで君は日本人? イタリアを選んだのはどうして?’ 映画アンタッチャブルを観て決めた、、と返事するのもなんだか躊躇され、、 ’私の父は

          図書館長と歌う🎶