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『三日坊主』の新しい解釈にホッとしたはなし。

[三日坊主](名)長続きのしない〈こと/人〉。

三省堂国語辞典第七版【小型版】より


『三日坊主』。

どちらかというとネガティブな印象を持つこの言葉。

私も今のだらしない自分を変えたくて、高らかに目標を掲げてはすぐ挫折をし、長続きしない自分に対してはこの言葉が頭に浮かんではなんでこんなこともできない三日坊主なんだと自分を責めるまでが1セットというようなサイクルを何度も繰り返してきました。

そんな中、『三日坊主』に対してある新しい解釈を目にしました。

その言葉を知ったのがあまりにもすれ違いすぎて、誰が言ったかわからないままですが、それがこの言葉です。

「『三日坊主』になる人は、それだけ真面目な人。」

この言葉を知って、確かに腑に落ちるものがありました。

例えば、『毎日日記をつける』といった目標を立てたとして、日記用のノートを購入したその日にできたとしても、次の日は「あれ?今日これといったことは成し遂げていないな。だったら別に書くことないよな」と思ったり、今日は疲れて書く気になれないから明日書こうと思ったり…。

そうやって、少しずつ自分の理想像と現実が反比例していってそのままズルズルと日記を書くことをやめてしまいます。

そして、待っているのは『立てた目標もできない三日坊主な自分』。


例えが日記になりましたが、これが私になると『毎日絵を描いてSNSに投稿したい』になります。

その為には毎日机に向かって絵を描けばいいだけのことなんですが、短時間で描けるわけじゃないし、1日の大半をイラストに費やせられないのが現実です。

また、一旦完成しても気になる箇所を修正したりとなかなかGOサインが出ません。

完成してSNSに投稿しても、周囲の実力の高い方々に比べたらいいねの数が極端に(思っているよりかなり)少ないことにいつも凹んでいました。

実力不足な自分が悪いんだ。
絵がもっと上手くならないと誰にも見てもらえない。


いいねの数がすべてじゃないとはわかってはいても、現実を目の当たりにしてしまうとやる気も気力も落ちてしまいます。

そんなダークネスネガティブモードだった頃を過ぎた今となっては、憑き物が取れたような気持ちになって、良い意味で周りは気にしない『私は私』精神が築きあげられて気ままに描いています。


自分語りになってしまったので、『三日坊主』の話しに戻します。

とにかく、三日坊主になってしまうのは、高すぎる目標をたてる真面目すぎな自分に苦しめられているからではないかというのが私の考えです。

なにかのきっかけで新しいことにチャレンジしたいという意欲が湧いたことで真面目が故に、変わると決めたなら自分に厳しくしないといけないという義務感に苛まれてしまって、本来の目標から遠ざかってしまうのではないか。

自分を変えたいというなら本来の目的はまず「行動」をする。

それが「毎日」やるという1つの目標に対してある意味のマルチタスクになってしまっているのではないかというのが私が辿り着いた答えです。


毎日日記を書き続けるのは本当にすごい。
日記だけじゃなくて誰かに言われた訳でもなく、自分で決めた目標に日々邁進している人はすご過ぎて、もう頭が上がりません。

もちろん、苦しみがあって新しい自分が生まれます。

だけど、そうなるまでに様々な葛藤に悩まされる弱い自分も確かに存在します。

もし目標をたてても三日坊主で続かないと悩んでいる人がいれば、時間も質量も周囲のすごい人を気にせずに、まずは『行動する』ことに集中するのもアリではないか。

そう思うとやりたい事や挑戦したいことのレベルを無理に厳しくせず、まずは気ままに行動するのも悪くないかと思います。


以上、『三日坊主』の新しい解釈にホッとしたはなしでした。


今夜は満月ということで満月のイラストを添えて



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