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働かぬなら 遊ばせておこう ほととぎす、

二月四日

積極的な好みと、消極的な好みとがあるように思える。
「美は嫌悪の集積である」
というヴォルテールの言葉が説明しているように、ある人の場合、否定的な形で好みというものが形成されるのである。
「要するに、嫌いなものを全部どけたもの、それがおれの好きなものなの」
という好みの形式が存在するのである。

伊丹十三『再び女たちよ!』「シンデレラ」(文藝春秋)

午前8時11分。紅茶。
だるさ★★★☆☆
希死念慮★☆☆☆☆
強迫さん★★★☆☆
目が覚めてから布団から出るのに最近ではだいたい1~2時間はかかる。
布団のなかで自称「ひきこもり名人」勝山実氏のブログを読んでいた。「ひきこもり」の割にずいぶん活動的な点はやや気になるがそういうのは「主観的問題」に過ぎないと見過ごすことにした。彼は和歌山の僻村に自分の小屋を建てた。俺もそんなことがしてみたいんだ。自給自足ごっこもしてみたい。そこで隣近所なんか気にしないで一晩中酒盛りをしたい。来る日も来る日も図書館にばかり通う学究生活に飽きたとは言わないがたまには汗水を流しながらの肉体活動もしてみたいのだ。もちろん賃金労働は嫌だけど。いまさら言うまでもないが生きるのに金など必要ではない。必要なのは他者への依存能力だけだ。ほんとうはそれさえ必要のない世界になればいいのだけど。とりあえず「ひきこもり名人」を志したい今の私にとって氏のような先達がいてくれることは大変ありがたいこと。ただ俺は実家暮らしなんか嫌だね。「食卓を囲む」というのがもうダメだ。視線をどこに向ければいいのか分からない。革命家はつねに孤独なんだ。バカや野望なき人間とはさいしょから話が合わない。

きのう文圃閣へ行ってきた。買ったのは、『武田泰淳全集』第一巻と第二巻、ピエール・クロソウスキー『ロベルトは今夜』、マキャヴェリ『君主論<新訳>』、結城昌治『軍旗はためく下に』、『摘録鸚鵡籠中記』の上下、手塚治虫『すっぽん物語』、谷崎潤一郎『幼少時代』、『ポオ小説全集』3と4、開高健の『夜と陽炎』と『破れた繭』。締めて一六五〇円。なぜか俺の脳内での概算金額は二五〇〇円くらいだったので、会計時に金額を言われ、「計算違いをしてるぞ、ラッキー」とさもしい糠喜びを得てしまった。自分が正直さとは程遠い人間だということがこれではっきりした。もともと知ってたんだけど。凡庸と悪徳の狭間で。

土日はもう図書館に行きたくない。今日から週休三日制にする。人声の絶えない環境に長くいると気分が悪くなる。やつらの大半は本を愛していない。本を読まない人間に特有の生ぬるい愚民的卑俗感がある。

サントリーのトリス(クラシック)はうまい。「まずくない」といったほうがいいか。「トップバリュ」のウイスキーを飲んだあとだから余計にそう感じるのかも。低級酒の「効用」はこんなところにも見られる。

中島みゆきの「時刻表」をよくユーチューブで聴いている。この曲の収録されている『寒水魚』は名盤として誉高い。俺はこのアルバムをまとめて聴いたことがない。俺のみゆきについての知識は実は大したことがない。コンサートにも行ったことがないし。

きょうはこれを書いたあと、麻婆豆腐を作って食って、野々市のブックオフへ行くつもり。というのも先月の1日にそこへ向かう途中地震に遭い、けっきょく行かなかったから。また揺れるなよ。我が書斎の亭々たる積読タワーをこれいじょう崩さないでくれ。揺れるなら日本沈没レベルのやつをたのむ。

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