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ゴリラの肋骨菜っ葉葉っぱ腐った豆腐

ついさっき買い物へ向かう途上、未開封の「舌ブラシ」を拾う。じつはかなり以前から落ちているのには気が付いていて、タダなら何でももらう主義を貫く私は何度も拾いたい誘惑に駆られていたけど、人目を憚ってなかなか拾えなかった。自販機の釣銭だって通りかかるたび確認しくたて仕様がなくなる。とまれこんな贅沢品を普段は買わないのでとうぶんの口腔ケア楽しみですわ。

ライブラリー閉館中につき行くところもないし、起床時間の調整のため仮眠も取らないといけないので、もっぱら布団にくるまれながら橋爪大三郎・大澤真幸・宮台真司による『おどろきの中国』(講談社)を音声データで聴いている。対談本というより討論に近い。ダラダラと流れないのは三者とも社会学者として問題提起しているからだろう。ほんらいソ連を仮想敵国としていた日本陸軍が結果的になぜ日中戦争に深入りしてしまったのか、という論点にいままでほぼ注目していこなかったので参考になった。ちなみに日中全面戦争の発端とされている軍事衝突いわゆる盧溝橋事件(一九三七年七月七日)について、当時の日本政府はこれを「北支事変」と呼び、中国政府は「七七事件」と呼んでいる。中国の歴史文献で「盧溝橋事件」なんて表記されていないので研究の際は注意してください。
図書館に行かないとネタもないので、ここでついでに池上力を発揮し、この本でも大きく論じられている近現代中国史のハイライト、「西安事件」についても概説しておきます。こうして書き出してみるとあんがい何でも覚えてしまうものですよ。ちなみに参照先はコトバンク。いつもお世話になっております。ネット情報は玉石混淆とはよくいうが、じっさい九九パーセント以上が石つまり嘘すなわちゴミなので、「公共空間」での議論で通用しうる情報あるいは知識を得るさきはいつもほとんど固定されている。とくにウィキペディア等のオープンコンテントでは編集合戦になりがちな「政治的事項」を調べるときはかならずといっていいほど出版社の事典に当たることにしている。
「西安事件」は「盧溝橋事件」の前年つまり一九三六年の十二月に張学良の東北軍が国民政府主席・蒋介石を監禁し「国共内戦の停止」ならびに「抗日民族統一戦線の形成」を要求し、結果的に第二次国共合作が成立した事件のことである。そのさい中国共産党の周恩来が斡旋に入ったのだが、じっさい何が話し合われたかについての詳しい事はほとんど分かっていない。ただこの事件が近現代中国の大きな分水嶺であったことは疑いようがない。なにしろ蒋介石の国民政権はそれまで共産党の掃討をこそ優先してきたのだ。この方針転換はいわば張学良によるいわば暴力的説得の成果なのだ。
ともあれこんな通り一遍の概説で歴史の内情が把握できるはずもない。そもそも張学良とは誰であり、彼の指揮していた東北軍とはなんのことなのか。事典によっては「張学良麾下の旧東北軍」とあるけどこの「旧」とはどういうことなのか。中華民国と中国共産党の関係も良く分からない。この事件の基本的事実を押さえるためだけでも大変な時間がかかる。関連文献は汗牛充棟だ。ゆめゆめ嘗めてかかるなかれ。
このように、たったひとつの事件でさえその解明のためには並々ならぬ学究心を要するのである。あるいはそれはほとんど不可能なことなのかもしれない。とはいえ馬鹿の一つ覚えの様に「藪の中」的不可知論に逃げ込むことなく、議論や思考の共通地盤を成す「合意的事実」への敬意は保持し続けていきたい。誰もがなんらかのかたちでそういった敬意を持たないところでは、「ホロコーストはなかった」「南京虐殺はでっちあげだ」なんていう「極論」が真実味を帯びることになりかねない。「客観的事実」への不信が蔓延するこうした流れはポストモダン的言論の負の産物なのだとコメカミに青筋立てて主張する向きもあるが、いまはそんな劣化した議論に構っている暇はない。
ひとまず私は、公共的な言論空間への入場資格はひとえに「ファクト愛」であるのだと声を大きくして言いたい。それは、見たくないことであれ耳に逆らうことであれ、「事実は事実」だと受容できる知的勇気なのである。

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