見出し画像

はらぺこあおむしに食われたいこんな夜は、金融破壊工学入門、グアテマラ以外全部沈没、日本政府浸食、超菩薩的リアリズム、資本主義的カニバリズム、スターリンの腎臓移植、

二月二四日

国民の再生は、道徳の再生と同一視された。イタリアでも、権力の座に就いたファシズムは性的逸脱を積極的に告発し、同性愛やポルノグラフィを取り締まる法律を施行した。加えて、ファシズムはどこでも同様な男性シンボリズムを使ったが、統帥がローマに建設したスタジアム「フォロ・ムッソリーニ」を取り囲む造形にそれを見ることが出来る。統帥本人は自らの男らしさを好んで誇示した。腰まではだけて刈り入れを行い、随員たちとランニングをし、体操で体を鍛えて見せた。だが、そこではマッチョのポーズが問題なのであって、あえて言えば、ドイツの国民的ステレオタイプの展開に付きまとったようなホモエロティックなニュアンスは含まれていなかった。

ジョージ・L・モッセ『ナショナリズムとセクシュアリティ(市民道徳とナチズム)』「第八章 ファシズムとセクシュアリティ」(佐藤卓己/佐藤八寿子・訳 筑摩書房)

げんざい午後十二時十七分。緑茶、チョコ。例によって起床時間が遅れていく。明日からはげんそく午前十一時起床でいいか。午前九時三八分起床はいくらなんでも早すぎる。だいたい早起きするやつにろくなやつはいないからね。「夜型の人間はいくら努力しても朝型にはなれない、それは遺伝子でだいたい決まっている」といった記事をさいきんたまたま読んだ。大学で分子生物学を(いちおう)学んだこともある俺は「遺伝子」とか「遺伝」という言葉にはそう簡単に乗せられないぞ。このごろではそういう言葉さえ使えば自論に「説得力」(嫌な言葉だ)を与えられると考えている不埒なやつも少なくない。「アメリカの研究チームによると~」なんて言われても、その研究チームの論文はたぶんほとんどの人は読まない。どっかで拾ってきたような「科学的知見」を針小棒大に切り売りするタレント学者とかユーチューバーとかいるじゃない。俺が「インスタント知識系」と呼んでいる連中。「科学的装いを凝らしたトンデモ論」とそうでないものを見分けるのは実はけっこう難しい。科学史系の本を読むとその珍説愚説の数に驚かされる。いま生きている時代の「知的体制」を普遍視することほどバカバカしいことはないように思われる。ともあれまた昼夜逆転するのは嫌だからこのへんが踏ん張りどころだ。

ラファエル・リオジエ『男性性の探求』(伊達聖伸・訳 講談社)を読む。
2017年10月、ハリウッドの大物映画プロデュ―サーであったハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ疑惑報道がきっかけになって、#MeToo運動というのが始まった。本書はそんな潮流のなかで書かれた男性による男性論。
ちょうどいま日本では「松本人志問題」が盛んであり、ちょっと前までは「ジャニー喜多川問題」が盛んだった。後者は男性による男性への性加害だけど、その業界内における強力な地位を利用した性加害という点で、ワインスタインとの共通性は明らかである。そんな人物を日本のほとんどのマスコミは長い間「見て見ぬふり」をしてきた(報道機関とジャニーズ事務所の「持ちつ持たれつ関係」については、『選択』2023年10月号の《日本のサンクチュアリ》「テレビ局とジャニーズ」に詳しい)。1999年に『週刊文春』がジャニー喜多川のわいせつ行為を記事にしたことはあったが、ほとんど騒ぎにはならなかった。日本で本格的に「ジャニー喜多川問題」が大々的に扱われるようになったのは、2023年3月にBBCが彼の性加害を告発するドキュメンタリーを放送してからのことである。
男性はよく「性欲が溜まる」と言う。「だからときにそれを発散させなければならない」と。私はこの「溜まる」という言い方に猛烈な不潔さを感じるんだ。かつて性的にアクティブな女を男たちは「公衆便所」と呼んでいたらしい。少なくとも上野千鶴子はそう回顧している。「溜まった性欲の放出先としての女」ということか。私は「性欲」と呼ばれているものを「自己対象的欲情」として捉えている。「~に対して欲情を抱く」という経験のなかにはきわめて強い権力的自覚がある。ごく端的にいうと、男性とは、自らの異性愛的欲情そのものに発情できる性なのである。「俺は男だ」と言う自覚あるいは誇示(ディスプレイ)そのものが「真の欲情対象」なのだ。彼らが「男のなかの男」を競い演じ合うことでなぜ発情できるのかということはさしあたりどうでもいいことである。「同性愛男性」も「異性愛男性」も、その欲情対象がけっきょくは「性的主体として自己」であるという点では、あまり大きくは違わない。

きょうこのあとどうしようか。上から液体が落ちていないようだから古書店にでも行きたいね。けっきょくきのう図書館行ったんだよ。平日なのになんでこんな愚民のサラダボウル状態なのよ、と思ったら祝日だった。天皇の誕生日だったらしい。日の丸が掲揚されていた。そういえば彼はきょねん妻と一緒にこの図書館を訪問したんだよね。警備がすごかった。どこへ行くのにもあんな厳重な警戒が実施されるなんて、こんな「非人間的な扱い」はないね。俺ははやく天皇がふつうの市民になってくれることを願うよ。天皇だってたまには立ち小便くらいしたいだろう。そういえば「立っションも出来なくなる」と国民栄誉賞を辞退した「世界の盗塁王」がいたね。なんとなくクリトリス。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?