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人に気に入られようとするは奴隷の心、ぽんきっき、むーみん村、爆破、

十二月五日

新刊書店へでかけるのが億劫になったのは苦痛だからである。ピカピカ輝く本が目白押しにならんで口ぐちにオレが、オレがと叫びたてている。その声が声なき叫喚の大渦となって眼と耳にとびこんできそうなのだ。それがイヤなのだ。おぞましいような、あざといような、いたたまれない感触が全身に這いあがってくる。ときには店内へ一歩入った瞬間に窒息しそうになることもある。若いときには得体の知れない不安と焦燥にとりつかれてわくわくおびえながら毎日をうっちゃっていたけれど、ときたま気力のあるときに新刊書店へいくと、モンマルトルの丘にたってパリを見おろしつつ、パリは俺に征服されるのを待っていると傲語したラスティニヤックのように、よし、これだけの本を俺は全部読破してやるぞとふるいたったものだった。何かしら挑戦されたように感じて昂揚したわけである。

開高健『開口閉口』「民主主義何デモ暮シヨイガヨイ」(新潮社)

午後12時35分起床。ルイボスティーと緑茶のブレンド、栄養菓子。近所のモスバーガーで黒澤明と憲法について議論している夢を見る。
きのう午後四時二〇分、文圃閣へ。「青木まりこ現象」なのか腹痛のためたった十五分しか滞在できなかった。買ったのは井上光晴『死者の時』と『大宅壮一全集第三十巻』の二冊だけ。計三三〇円。大宅のものは中学生のころの日記が収録されている。彼がいたのは大阪府立茨木中学校(今の大阪府立茨木高校)。川端康成もここの出身。けっこう名門らしい。当時十六歳か十七歳だった大宅の読書量はもうハンパじゃない。これが「大正教養主義」というやつなのか(詳細は竹内洋『教養主義の没落』)。「そういう時代だった」の一言で済むことなのか。一例として大正6年12月の記述を引いてみる。

例の如く古本屋に行きて左の書を買う。
『文字の訓練』(後藤朝太郎、林勇著)
『文章軌範文法講義』(岡三慶著)
『和漢朗詠集注』(李吟、永済)
『死生観』(加藤咄堂著)
『天才主義』(久保天随著)
『ゲーテ感想録』(高橋五郎著)
『我等は如何に生くべきか』(相馬御風著)
    合計金弐円八十銭

加藤咄堂なんてもうほとんど誰も読んでいないだろう。明治~昭和時代に仏教の普及と大衆化に努めた人。げんざいは書肆心水が最も熱心に彼の本を扱っているようだ。『死生観』もそこから出ている。久保天随は漢学者で詩人。『天才主義』はもはや古書でしか手に入らないはず。中身を読もうと思えば、「国立国会図書館デジタルコレクション」で読むことが出来る。第七章「發狂と天才」は題名からして「中二病的」精神に刺激を与えそう。
いまの日本でこれだけ活字を貪っている高校生はたぶんいない。いたとしても「宇宙人」扱いされ友達はまず出来ないはず。話がまったく合わないから。けっきょく人は自分と同じくらいの知的・野望レベルの人間としか肝胆相照らす仲になれないのね。
大正6年5月の日記にはこんな記述がある。

学不思則罔。思不学則殆。僕は出来得る限り多くの書を読まねばならぬ、僕は考が浮ぶが、それが独断的でありはすまいかと危れてしかたがない。大丈夫だと思う者は平々凡々、浅薄此の上もない意見である。読書! それは僕の芸術の城壁を築く石材である。併し一日に三時間や、四時間の余裕を以てすべての本を読む事は出来ぬ。読む本を選択しなければならぬ。僕の眼から見れば、小説はいうまでもなく現在の事を記した本よりも古い本を多く読んで、現代という短期の事に精通するよりも、有史以来幾千年間に輩出した、聖賢の嘉言善行や、世界の趨勢を知らねばならぬ。

こんな「青雲之志」に満ち満ちた文章を書く高校生はいまならおそらく「意識高い系」なんて揶揄されて終わりだろう。「嘉言」なんて言葉、俺いままで使ったことないんだけど。これがヤングアダルトによる文章だということを忘れそうになる。大宅の文才が突出していたのは確かだけど、やはり大正期の学生は全体的に使用単語数が多かったのだと思うよ(ちなみに私は「語彙力」という言葉を好まない)。だから幼いなりに「思索的」にはなれた。おしなべて思考の複雑さはその人の日常的な使用単語数に比例するからだ。『論語』からの有名な一文に「而」が欠けているのはたぶん脱字ではなく大宅の勘違いだろう。このへんが日記を読む面白さよ。あえて「ママ」を付していないのが好ましい。尤も編集部の単なる見落としかも知れんが。

もう飯食うか。納豆パスタだな。四時には入る。こんやは森下翔太安打集みるぞ。

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