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メロンとカエルの認識論的誤差について、あるいは「なぜ日本の政治家はこれほど優秀なのか」

一月八日

「我々のような読書好きの人間にとって、自分が宇宙の秩序の必要不可欠な要素であると想像することは、無教養な人にとっての迷信のようなものです。思想で世界は変わりはしない。ろくに思想を持たない連中は間違いを犯すことが少なく、みんながすることにならって、誰にも迷惑をかけない。そして成功して、金を稼ぎ、いい地位に就く。政治家になり、勲章を貰い、有名な文学者とか学者、評論家になる。連中が自分の仕事をそんなに立派にこなせるのなら、愚か者のはずがない。愚か者は、風車に戦いを挑もうとしたこの私のほうですよ」

ウンベルト・エーコ『プラハの墓地』(橋本勝雄・訳 東京創元社)

午後二時起床。コーヒー、三幸製菓、源氏パイ。どうしようか。このまま起床時間をずらしていこうか。人間はたまに昼夜逆転しないと堕落する、という直観が俺にはある。昼夜逆転生活は一種の「通過儀礼」、物語論でいうところの「冥界下り」であって、「みなが寝静まっている夜にひとり目を覚ましている」という非日常的経験を通して人はおのれの根源的孤独を思い知る。昼間の世界は「白濁した和気」に満ちている。人間の声が幅を利かせている。陽気な欺瞞。死の忘却。私が夜を恐れながらも愛するのはその反人間性のためかも知れない。かつて「魑魅魍魎」という文字面に魅せられて何度も紙に書いていた時期があったし、筆名にしていた時期もあった。俺は自分がだんだん魑魅魍魎に近づいているのが分かる。というか俺はさいしょから人間などではなかった。人間とすこしも肌が合わないのはそのせいかしら。合わないどころかしばしば恐怖さえ感じる。「自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」(『人間失格』)。アイザック・アシモフの「夜来る」あるいはロジャー・イーカーチの『失われた夜の歴史』を読みたくなってきた。

それにしても日本の政治家はなぜこれほど優秀なのだろうか。日本の政治家くらい国民のことを考えている人たちはいない。寝る間も惜しんで国民の健康と生活のことを考えておられる。ありがたくて涙が出てくる。彼彼女らの活躍はどんな血税にも値する。だからキックバックくらいいいじゃないか。国民の健康と生活を向上させるためには金がかかるんだ。防衛費増大だって国民の尊い命を守るためじゃないか。日本は獰猛な敵国に囲まれているんだ。ぜんぶ国民のためなんだ。政治家はいつも国民のことしか考えていない。国民のためなら死んでもいいと思っている。彼彼女らの美しく澄んだ目を見ればいい。どこに私利私欲なんかある。さながら殉職者の眼のようじゃないか。僕は政治家のかたがたを心から信じている。彼彼女らが日本の未来のために働いていることは一目瞭然だ。僕はいつも政治家の味方だ。権力者はいつだって正しい。間違ったことはしない。歴史はそう教えてくれる。日本を偉大な国に。

さくやひさしぶりにプロレスの動画を見た。アントニオ猪木やハルク・ホーガンもいいが、やはりデスマッチのほうがいい。血を見ると活気が湧いてくる。俺が好きなのはアブドーラ小林と葛西純。いま若松大樹のことが気になっている。面構えがいい。額から血を噴出させながら闘う若年男子。逞しさと色気が同居している。抱かれたい男がまたひとり増えた。

そろそろ飯くうか。

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