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読む阿呆に書く阿呆、ふくろうねずみ、猫、飼葉桶、007は二度死ぬ、

十一月二八日

近代戦と中世までの戦争との決定的な違いは、その没個性性にあるといえる。たとえばロジェ・カイヨワの『戦争論』(一九六三年)は「華麗な軍服やファンファーレ、かつての厳格でまた貴族的な試合ぶり、巧妙な用兵術、危険なものとは知りながら、なお規則正しく行なわれた礼儀の交換、これらはみな(近代戦では)姿を消してしまった」「戦争の勝ち負けにより得られ失われるものが大きくなったので、別の形のヒロイズムが求められるようになった。偉功をもって他に抜きんでることは、もはや問題ではなく、逆に密集した隊列のなかで目立たぬ位置を占めることが要求されるようになった」(秋枝茂夫訳)と主張する。
「他に抜きんでる」能力としてヒロイズムから、全体の部分としての「目立たぬ位置を占める」存在に変身する能力としての新しいヒロイズムへ、これが、戦争とその担い手としての軍の近代化の方途である。そういう意味での集団の優位と没個性の原則は、軍隊と戦争の領域においては、封建制のめやすではなく逆にその近代化のしるしである。こうして、大村益次郎、山県有朋らわが国近代軍の建設者たちのプログラムも、その出自や封建制の残存という近代日本の特質にもとづく制約による多少の曲折はあっても、結局のところこれと同じ方向を指向するものにならざるをえなかった。

中内敏夫『軍国美談と教科書』「Ⅱ 軍国美談と民衆」(岩波書店)

午後十二時三五分起床。ピカチュウが輪姦されている夢を見る。緑茶、三幸製菓チーズアーモンド、栄養菓子。ホワイトノイズ全開。ほんとうはワイヤレスヘッドフォンを装着してバッハでも聞きながら書きたいものだけど、音楽を聞きながらだと言葉が出にくくなるので、生耳のままキーボードを打つことにする。気分はまあまあ。部屋にも図書館にも読みたい本がありすぎて時間が足りない。昨夜また三時間近く歩いた。明るい月に薄い雲がかかっていて甘そうに見えました。俺くらいに厚顔無恥になると寝起きでもポエムをはける。

シャーウッド・アンダーソン『ワインズバーグ、オハイオ』(上岡伸雄・訳 新潮社)を読む。
俺のもっとも愛する小説のひとつなんだ。読みながら、「いやあ、小説って本当にいいもんですねえ」と何度つぶやいたことだろう。橋本福夫による訳はもちろん、講談社文芸文庫から出ている小島信夫&浜本武雄による訳も読んでいる。好きが高じてらいねん自分で翻訳することにした。著作権が切れているからたぶんプロジェクト・グーテンベルクに原文があるだろう。来年の俺はことし以上にやることがいっぱいある。抑鬱気分に苛まれている暇なんかないぞ。自己激励会。たまにこういうのやらないと無気力の魔手に迫られるんだよ。
『ワインズバーグ、オハイオ』への俺の愛は、バーナード・マラマッドの短編「夏の読書」に対する愛にとてもよく似ている。というか同質のものだ(奇しくも両作品の中心人物の名前がジョージ)。出てくる人物の言葉や振る舞いがいちいち憐れで愛しい。(ごくありふれた表現になるけれど)ありふれた人々のありふれた日々における焦燥感なり孤独感なり劣等感なりが質朴な筆致で描かれている。人物たちの悩みは概して深刻なのだけどなぜか妙に牧歌的でもある。神の手のひらの上で踊らされているような滑稽感がある。「作中人物との距離の取り方が絶妙」といった陳腐な褒め言葉はこういう作品にこそ使うべき。
ワインズバーグ(Winesburg)という架空のスモールタウンにはむろんモデルがあるのだろうけど、僕は作品外のこと(作者の経歴など)についてはあまり関心を持てない人間なので、そのへんの詳細はぜんぶ研究者に譲ることにする。そのかわりといってはなんだけど、この連作短編のなかでとくべつ気に入っているものを順不同で五つ並べてみる。アイデアに溢れた人、冒険、「変人」、タンディ、考え込む人。

もうそろそろ飯食う。梅じゃこご飯とニシンの蒲焼缶詰。三時半には入れるかな。

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