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友がみな、我よりえらく見える日は、札束で人の頬、叩きたし、

三月一日

この年の五月の初め、私たちばかりでなく全世界の人々の眼は、ひとしく空の一点にひきよせられた。雄大なハレー彗星が長い尾を引いて太陽を追うように大空に懸ったのである。この大彗星は周期七十六年であるから、殆ど当時の人々にとって初めての経験であった。様々な学説や憶測やデマが全世界をかけめぐった。
「地球に衝突するそうだ」
「太陽に吸いこまれて爆発するそうじゃないか」
「これで地球もおしまいさ、もう日本もロシアもありゃしない、仲よくお陀仏さ」
新聞も雑誌も街の話題も井戸端会議も、この話で持ちきりであった。東の空が白むと人々は近所の広場に続々と詰めかけて、この不吉な怪物を仰ぎ見るのであった。彗星も流星も何故か昔から不吉のものとされた。けれども私たちが仰ぎ見たハレー彗星は、不吉どころではなく、宇宙の涯のない雄大さと清純さを思わせるほど麗しいものであった。

石光真清『望郷の歌(石光真清の手記三)』「家族」(中老公論新社)

午前十時四三分。紅茶、イネ科植物の種子を水に浸して加熱したもの。
いきなりモーニングアタックのくしゃみ連発に苦しめられる。花粉症か。寒いうえに抑鬱が重くしかも花粉症なんて生きていられる方がおかしい。この世が地獄だと気が付いていない鈍感人どもに「ここが地獄だよ」と教えることにもしょうしょう疲れてきた。もうとうぶん啓蒙活動はしない。
さくや野見山珠鳥『忘れ得ぬ俳句』にある横井迦南の句に惹かれた。この名前ははじめて知った。この人は自殺によってこの世と決別した俳人らしい。

春を待つこころ又死を待つこころ

なんて脳髄に染みわたる。抑鬱過剰気味の現在にあっては特に。小説の世界に比べて俳句の世界ではあまり自殺者は出ない、と言った人がいたとか。もともと自殺しにくい人が俳人になるからか、あるいは俳人になると自殺しにくくなるからか。散文だけを書き続けるのは「精神」にあまりよくないことは確かだ。芥川龍之介に俳句という余技がなかったらもっと早く死んでいただろう。俺はこの日記によって楽になった気が少しもしない。もう四〇〇日以上も続けているのに。むしろ日を追うごとに悪化しているようにさえ感じる。かりにこの日記が命を削るカンナであったとしても死ぬまで書くと決めたいじょう中途で止めるわけにはいかない。母親が死んでバタバタしそうな日でも「きょうママンが死んだ」とか書くだろう。この日記は文字通りの遺書だから。「生者への復讐」だから。「書く無差別銃乱射」だから。とりあえず句作と作歌を再開しようか。そして句会でも開くか。いま「くかい」を漢字変換したら「苦界」と出た。もういっかい変換したら「苦海」と出た。ふだんどんな文章を書いているかが窺い知れるというものだ。こんど石牟礼道子の『苦海浄土』を新装版で読みたいな、といま思った。ちょっと寒くなって来たから抹茶のキットカットかじってくる。ところで日本の市販菓子はどうしてこうまいとし受験生だけを応援したがるのだろうね。あれかなり鬱陶しいわ。バカみたいだし。応援するなら失業者とか野宿者とか独居老人とか多重債務者とかも応援してやれよ。受験生なんかほっといても「応援してくれる人」がまわりにいるんだから。なんかずっと前にもこんなことをどこかで書いた気がする。

平井玄『彗星的思考(アンダーグラウンド群衆史)』(平凡社)を読む。
最初から最後まで平岡正明的なビートを感じながら読んだ。きょねん平岡の落語論『志ん生的、文楽的』を読んで打ちのめされた。そのバイタル独断的な文体にも惹かれた。たぶん私が「俺」という一人称を文中で多用しはじめたのも平岡の文章を知ってからだ。
脱原発運動とかの話はどうでもよかった。「人類はもうすでに絶滅しているのにいつまでそんな小さな問題にかかずらっているんだ?」という気になってしまう。資本主義うんぬんという話も同様。
このごろの私は「ノンポリ」に憧れている。私が見る限り、周囲の(まだ生きているつもりでいる)人々はあまりにも「政治的」だ。「ノンポリの資質」を持った人間などほとんどいない。俺はもう政治のことも経済のことも語りたくない。俗事のことを話すと脳が汚れる。もう死んでいるのだから死者にこそふさわしい妄想を逞しくしていこうではないか。虚無親和性を極限まで高めていこうではないか。
「完璧であるためには、存在するだけでよい」(『不穏の書、断章』澤田直・訳)というペソアの断言は正しい。あまりにも正しいので呑み込めない人のほうが多そうだけど。「旅をするには存在するだけで十分だ」(同)というのも正しい。「わざわざ旅などして、それ以上なにをするというのか。感じるために移動しなければならないのは、想像力が極度に脆弱な人間だけだろう」(同)。バックパッカーを見るたびこの文言が頭に浮かぶ。

そろそろ飯食うか。きょうは二時には行く。ブルガリアの首都はソフィア。咳をしてもソフィア。こだまでしょうか。論理的捻挫。

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