怒号、轟々、さざなみ、くるしみ、沙
五月二六日
九時起床。緑茶、アップル入りの古貯齢糖。キーボードを打つ手の指(とくに薬指)が硬直して思うように文章が書けないという「悪夢」をみた。薬指というのは「早打ち」する上であんがいに大事な指らしい。
やはりいまのタイガース、どうしようもなく強い。まだアレについて云々する時期ではないにしてもアレ圏内にはこんどもずっといつづけるだろう。いっぽう二年連続でセ・リーグを制したスワローズが弱すぎる。今年はてっきりドラゴンズが最下位独走かと思いきや、スワローズがその向こうを張れるチームになりつつある。栄枯盛衰は世の習い。いまでこそドベゴンズドベゴンズと揶揄されている中日にもかつて黄金時代があった。落合時代だ。監督だった八年間はすべてAクラスにはいり、日本シリーズには五度出場、二〇〇七年には日本一にもなった。どこからみても申し分ない。なのに彼は退任「させられた」。その裏事情については鈴木忠平『嫌われた監督(落合博満は中日をどう変えたのか)』(文藝春秋)という名著に詳しい。僕はそのころの落合の「にくたらしい無表情」をよく覚えている。いまの岡田阪神同様、落合中日は「一に守り二に守り三四がなくて五に守り」という野球をしていた。「野球は守り」なんてそんなの当然じゃないか、と思うかもしれないが、そうじゃないんだ。その重要性を真に直観している監督は意外とすくない。学問における「読解」の重要性を真に直観している人が少ないのと同じ。それにしても三度も三冠王を達成した彼が打撃をほとんど信用していなかったのは興味深い事実。むしろ打撃の天才だからこそ打撃の水物性を他の誰よりも痛感していたというべきか。ちなみに日本におけるシーズン出塁率一位は落合博満(487、1986年)であり、二位も落合博満(4806、1985年)である(三位がランディ・バースで、なんと四位にも落合博満がはいっている)。またついでに言い添えておくなら、いまの中日の有様(暗黒時代)の原因は勝利至上主義者だった落合が若手をまともに育てなかったところにあると指摘する向きも少なくない。とするなら、若手起用に積極的な立浪監督はいわば落合政権時代の負の遺産の払拭に努めているのだと評価することも可能だ。いま彼はほうぼうからの野次誹謗でなかなか熟睡できない日が続いているんじゃないか。勝てば官軍負ければ賊軍のプロ野球界で監督するのもたいへんだ。ほとんどのファンは「長い目」をものごとを見ないし、気紛れだからな。元野球選手の「ユーチュバー」が監督を割に合わない仕事だと断ずるのにも一理ある。
きのう、うつのみや小立野店にてスタッズ・ターケル『死について!』上下(河出書房新社)を買う。木曜日はげんそくとしてライブラリーにいかないことに決めました。その日は原稿執筆あるいは翻訳に充てることにする。
夜、友人と砺波の温泉。
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