見出し画像

INTJ 私の好きな「ことわざ」


■取り越し苦労は標準装備

先日、夢のなかでまでシュミレーションを練りに練った例の「仕事の案件」であるが、結局あれから何の進捗もなく、先方からの反応も一切なく、つまりは「なしのつぶて」である。

あれほど、始終、反芻し悶々としていたのに。すっかり肩すかしをくらってしまった。まあ、正しくは私の勝手な独り相撲であり、要はただの「取り越し苦労」で杞憂に終わったのだ。

しかし、私はそんなことでいつまでも落胆などしていない。

というのも、このパターンは私にとって生まれついての標準装備であり、毎度くりかえされるお約束事だからである。

具体的には、マイナスな出来事が起こると脳内で最悪の結末が瞬時に映像で展開される仕様になっている。そして、そのビジョンによって、私の脳と身体はすでに体験済みとして記憶、認知をする。結果、そのビジョンに現実を反映、寄せてゆき、その方向へと現実を変容させずにはいられない忌まわしき悪癖が常にまとわりついている。

例えば、仕事においては、日頃から危険予測に長け、ミスや事故を回避するため、マニュアル作りを指示したり、傾向と対策を講じたり、先手を打っている。だが、難しいことではない。「床にたるんだコードをそのままにしていたら誰か転ぶだろ。」こんな程度のことである。ちょっと想像すれば思い付くことを先回りして除けているだけだ。なのに誰も気付かないのがいつも不思議で仕方がない。もしくは気付いたとしても責任を被ることを嫌って言わないのかもしれない。つまらない話だ。

しかし、この危険予測が過剰過ぎて、ほぼ自分の精神衛生のためだけにまわりのスタッフを振り回し、やれ対策だ、やれ打ち合わせだ、と日夜踊っている私だが、今やスタッフもすっかり手慣れたもので「費用対効果」を冷静に分析し、ときに聞き入れ、ときにスルーし、良い塩梅で対処をしてくれている。ついつい妄想に駆られ殺気立ち前のめりになる私であるが、恵まれた職場環境のおかげでこうして未だ中間管理職業に携わることが出来ているのである。全く有難い限りである。

と、こんなことをぼんやり考えていると子供時代の頃を思い出した。

■ことわざが好きだった小学生時代

私は昔からめっぽう数学的概念が苦手だが、言葉の概念は無性に好きであった。当時、通販好きの父親は幼児のための知育教材なるシリーズを購入し本棚に並べていた。その教材に興味を持った私は、擬音語や擬態語、同音異義語の穴埋めや線引きクイズを暗繰り返し読み解いていた。更に、小学校に上がってからは国語辞典や漢和辞典をしげしげと眺めていた。小学校3年生のとき、「マンガことわざ辞典」を買ってもらったことをきっかけに、私はすっかり「ことわざオタク」となった。親兄弟に「ことわざクイズ」を事あるごとに仕掛け随分と煙たがられた。

また、ことわざ好きが高じて、自らの身上や身近な出来事をなんでもことわざで表現する習慣を身に付けた。例えば、「〇〇ちゃん、写生大会で賞をもらったんだって。やっぱり好きこそものの上手なれだね。」という調子。ちびまるこちゃんが言いそうなセリフを連発し、それはまあ可愛げの無い子供だった。当然、友人に話せば引かれることは想像に難くない。故に私は専ら脳内のつぶやきに留めることにしていた。

そして、当時は冒頭に挙げた「取り越し苦労」の習性も今以上に過度、過剰、過激であった。これも若さゆえの過敏さであったのだろう。私は日常のあらゆることに予期不安を想起しその想念に囚われる日々だった。そのような子供であったため「ことわざ」への執着も強まるばかりであった。

■私の好きなことわざ2選

とにかく「取り越し苦労」は多岐に富んだ。理科の実験や調理実習を首尾よく進められるかといった些末な心配から、果ては地球滅亡の恐怖に苛まれるまで、まるで「心配のタネ製造機」であった。そんなとき、私は公園のブランコにひとり揺られながらことわざ辞典で覚えた2つのことわざを呪文のように繰り返し唱えていた。「案ずるより産むがやすし」「明日は明日の風が吹く」。この2つは小学生の私にとっての救世主であり、パワーワードであった。あの頃の私は、逃げも隠れも出来ず、迎えるより他のない明日の未来に対し、このことわざを自分に言い聞かせることでどうにか勇気を奮い立たせ、自分を不安へと立ち向かわせていたのだと思う。

2つのことわざは、成長する過程で影にひなたに私を力強く支えてくれた。そのおかげで自分のまわりで起こる大抵の出来事は「取り越し苦労」で終わることも身をもって知ることが出来た。

■ことわざとは先人の「生きる知恵」である

ことわざは私が大人になってからも勇気を与え続けてくれている。ことわざというのは、つまるところ先人の知恵である。人の一生で起こる身近な出来事なんてどのような時代においてもおおよそ似通っているのかもしれない。ことわざの多くに、先人が通った道から得られた糧や学び深い教訓が散りばめられている。有難いことに私は今もなお、その恩恵に預からせていただいているのだ。

そういえばいつからだろう。日本人の日常会話のなかに「ことわざ」や「慣用句」「四字熟語」のようなものを聞くことがとんと減ったように感じる。時代の変化と言われればそれまでだが、でも、それは日本人の「活きた知恵」の継承が知らず知らずのうちに損なわれているようでなんだか由々しき事態のように思えてならない。

今こそ「ことわざ」復権。話相手からは間違いなく引かれるだろうけど、物は試しで私も子供の頃のように会話の端々にことわざを繰り出してみようかな、などと考えた次第である。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?