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学会遠征編ショート版 第10話 田舎の乗り物

概要

学会という試練を乗り越え、美食と絶景を堪能した後に待ち受けるのは混沌の夜だった。これを乗り越えた3日目・15日は、「徳島らしさ」を追求する1日なることを願って動き回ることにした。

リスポーン地点

夜が明けるころには、頭痛も胃のむかつきもなくなっていた。二日酔いにならなくて本当に良かった。そして起き上がった時刻は午前6時半。ホテルの朝食サービスが始まる時刻だ。昨日はすべてをさらけ出してしまったので、再度栄養を蓄えておく必要がある。朝食がビュッフェ形式なことにはまたもや感謝することになった。とりあえず、並んでいるものはすべて一口分ずつ取り分けていけば、バランスの良い食事にはなるだろう。キャベツは多めにとっておいた。ビタミン至上主義だ。この時間に起きて朝食をとったのには理由がある。8:26に徳島駅出発の電車に乗るためだ。余裕をもって8時にはホテルを出たい。逆算するとこの時間になるというわけだ。事前にこの日はどこに行こうか考えていた。もしかしたら、猫島に行けるのではないか?と内心ウキウキしていたが、電車の本数があまりにも少なく、夜に帰ってこれそうになかったので断念した。その代わり、午前は大塚国際美術館、午後はドイツ館に行くというプランにした。すべてを見て回るには時間があまりにも厳しい。そのため、ほぼ開館時間と同時に到着する便で行くためにこの時間に出る必要があるのだ。モドキ、黒、サンタさんのへっぽこトリオも午前から同じく美術館に行くようだが、彼らはのんびり9時過ぎに出発するらしいので、自分のペースで一人で行く。

田舎に住むとは

徳島駅から大塚国際美術館までのアクセスは、車を使わない場合は2つある。ひとつはバスで行くルート、もう一つは電車で鳴門駅まで行き、バスに乗り換えるルートだ。どちらも合計金額は同じだが、バスの方が十数分早く出発する。どのみち最後はバスに乗らなければいけないとはいえ、個人的にはあまりバスに乗るのが好きではないのと、徳島の電車に一度乗っておきたかったという2点から、電車ルートを採用した。ちなみに、電車電車と言っているが、厳密にはディーゼル車なのでどちらかというと汽車に近い※1。電車というのは常に電気を供給しながら走るので、自動車のように燃料補充(もしくは充電)するための時間を確保する必要がなく、数分に一回のペースでも走らせることができる。しかし、当然のことながら電力の確保のためにはその分のコストや労力を割かなければいけないうえ、できる限り平面を走る必要がある。その反面、ディーゼル車はそのような地理的・電気的制約に縛られないため、このような場所では合理的なのだ。そもそも都心部ほど人もいないので、数十分に1本程度でも成り立つのである。僕の地元もおそらく同じような理由でディーゼル車しか走っていないので、実質地元に帰ってきたようなものだ。(以降は便宜上「電車」と呼ぶことにする)なんとSuicaが対応していないので、小銭で切符を買う必要がある。面倒くさい。なんとか乗車できたので、鳴門駅まで出発だ。乗り換えはない。ちなみに、僕の地元でもそうだが、(とりわけ朝の8時台は)高校生が多い。確かに、車社会とはいえ高校生はまだ運転ができないので、利用せざるを得ないというのは納得できる。僕も、高校へ通うために、毎朝早い時刻の電車に乗るか、10km自転車を漕ぐかしないといけなかった。もっと交通の便をよくしてくれと悲願した延長上に、大学は都会で一人暮らししたいと思うようになった話は別でするとして、彼らももしかしたら同じことを考えているのかもしれない。こうして若い人材はどんどん都会に吸収され、地元を捨てられないものだけがそこに残る。鉄道会社も赤字が苦しくなって、ダイヤルや金額を見直すと、更に反感を食らってしまう。誰かが悪いわけでは決してないのだが、世の中の人口密度に関する社会問題がここには詰まっていると考えさせられることになった。赤字なら、Suicaを導入する投資もできないのかもしれない。一観光客の要望をかなえられるほど余裕がないことは受け入れてあげるしかない。道中列車が大きく左右に傾くこともあり、乗り心地はいいとは言えなかったが、これも大きな心で見てあげるのがいいのだろう。そんな街に人が住んでいるのか、と思うこともあったが、かつて、そこそこ街中に住む友達に自分の住む村を見せたら、ドン引きされたことがあるので、自分の出身地もそう言われる側の地域であるのだろう。こうしていたら、電車は終点の鳴門駅に到着し、バス停へと足を運んだ。バスは、予定の時間になってもなかなかやってこない。こういう乗り物だから仕方がないと思いつつも、慣れない土地だと少し不安になる。何度いろんなバスなら来るが、行先の表示が違うのでスルーする。おそらくここで待っている人たちの大半は僕と同じく美術館に行きたいのだろう。そのうちの一人が、やってきたバスの運転手にこのバスは美術館行きかどうかと尋ねていた。その運転手が言うには鳴門公園行きに乗れとのことだったので、この時点でスルーしたバスはどれもそこには行かないものだったと安心できた。こうして本物のバスがやってきたときに、そこで待つほとんどの人が乗ることになった。やはり目的は一つのようだ。今回もpaypayが使えるか気になったが、QRコードを見つけられなかったので、降りる直前まで小銭を握りしめていた。実は前日鳴門公園に行く道中でこの美術館を通過したのだが、今見てもその外観は圧倒的だ。いったいいくつの国旗が掲げられているのだろうか。グローバル化の権化である。

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