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社会不適合者黙示録 思春期編 最終回

夏休みには2つ隣の市にある県内トップ高校を見学に行ったこともあった。実力的には全然行ける。しかし、やはりこんな田舎からは毎朝通う手段がない。半ば強制的に1つ隣の市の高校を選ぶことになった。本当は近所に高校はあるが、ここは絶対にありえない。建前としてはギリギリ歩き通学になる距離感だからとは言っていたが、本当はできる限り高いレベルの環境が必要だと感じていたからだ。塾での生活も考えるとその考えは実に合理的である。

そうやって高校受験勉強のシーズンが始まった。志望校はその県内トップと並ぶほどではなくとも、問題が起きそうな高校というわけではない。差し詰め"自称進学校"といったところだろうか。残念なことに例の顔面放棄も志望しているようだったが、高校は7クラスあるから同じクラスになる確率は低い。それにノイズ共は振り払えるので人生を変えるにはいい機会だ。どうせなら首席で合格してみよう、と思い立って勉強してみることにした。

しかし、素行の悪さは日に日に増すばかりであった。受験のストレス?いや、違う。学校では受け入れられない自分の、必死な存在アピールといえようか。第三者が見るには痛々しく、虚しい様であったことだろう。ある日はまた講師に怒られ、一時期塾を出入り禁止となることもあった。その塾は高校のすぐ隣になったので、本来であれば進学後に毎日そこで自習しようと思っていたが、こうなっては仕方がない。切った尻尾が竜になるのもまた一興だとも開き直っていたところだったが、そのことは親にも気付かれ、後日親子で謝罪をしに行くことになった。

この件は解決し、再び塾へは通えることになったが、ここまですれば塾にすら自分の居場所がないことにも気付き始めていた。そこでの人間関係は悪いとは言わない。だが、どうも自分のメンタルが健全にならない。毎週土日に5時間ずつある受験対策も、休み時間には外へ出て自分の存在を確かめる必要があった。いつかはこの身も持たなくなるのではないか、そんな土日が過ぎればまた学校。助けてくれる人が欲しかった。でも弱みを見せるといじめられる。相談できない。誰も信用できない。一人でふさぎ込んでただただ耐えることしかできなかった。この受験でいい成績をたたき出せたら、もしかしたら自分は見直されるんじゃないか、この環境が変わるんじゃないか、と当てのない期待だけが勉強への原動力となっていた。

卒業式。証書授与中や合唱中に、泣き出すものもいた。自分は学生服のカラーがきつく、首残りと頭痛を気にしていたばかりで、他人の感情を理解することはなかった。彼らはなぜ涙を落すのだろうか。花粉症による目への刺激とは違う。嗚咽だ。抱き合うものもいた。これが人生の岐路と言ことなのだろうか。自分は正直嬉しかった。この首凝りと頭痛を絶えればこの組織の大多数とは関わらなくてよくなる、と。

卒業アルバムの最後のページは寄せ書きのための白紙となっている。平等を期すため、クラス皆に書いて回ろうと担任が提案した。自分は彼らにそれぞれ何を書いたかは覚えていないが、教室を一周して帰ってきたころには
「ほとんど関わらなかったけどありがとう」
の文字で溢れ返っていた。最初にそう書いた人に続いて書く人がほとんどだったのだろう。別に白紙で良かったのだが。晴れて人間関係をリセットすることができた。

卒業式の1週間後に受験。そのさらに1週間後くらいに合格発表。他の方々はネズミ国への入国を検討していたようで、発表前にすべきか発表後にすべきかで悩んでいたようだった。そんなうわさ話を他所に、僕は入試の翌日から塾(近所の校舎の方)に毎日一人で自習しにいくことにした。高校での勉強に向けて、英単語を先取りしようという作戦だ。邪魔者が減って気分はだいぶ良くなっていた。単語はどのように覚えればよいのか、その校舎によくいたFという先生に聞いてみた。彼は声変わりに失敗して独特の声帯を持っているが、京都大学出身者であり、そんな彼でも「東大出身の人はやっぱり別格だ」という話をしていた。

そうか、自分の目指すべき到達点はそこにあるのか。ここにきて明確な目標を手に入れた。これまでは逃げて、隠れて、怯えながら毎日を消耗するだけの人生であった。しかし今は違う。3年後に倒すべきボスが現れたかのような感じだ。そのためには1日で英単語を100語覚えられるくらいになった方がいいらしい。結局、入学までに覚えられたのは850語だけであったが、それでも心強いことには変わりない。

いざ、新天地へ。ここからは自分が覇権をとってやる。そう決心して前向きに4月を迎えた。

中学の3年間。いや、小学校も含めたら9年間。この義務教育で、僕は他人は助けてくれないこと、それでも生き延びるには自分が現状を壊して変わり続けるしかないということを学んだ。きっとそれがこの世の中の仕組みなのだと。残念ながら、友達の作り方は最後まで学べなかった。これからも孤独に生き抜いていくことになるのだろうか。

でも、それでも自分のことを理解してくれる友人ができたらいいな。


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