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学会遠征編ショート版 第14話

帰りの寄り道


 外へ出て早速1個は食べた。もう一つはうまいこと保管して、誰かしらにあげようか。外には、来たときは無視していたがベートーヴェンの像がある。撮影スポットなのだろうが、一人での参上なので僕は被写体にならなかった。喉が渇いたのでもう一度道の駅店内に入った。何かノンアルコールの飲み物…と探していると見つけたのはすだちジュースのカンである。ショート缶か、炭酸入りのロング缶。より徳島らしさを追求するなら、すだちの骨の髄までしゃぶれる長い方に決まる。当然ながらふたを閉められるものではないので、缶を片手にしばらく歩くことにした。来た道を素直に戻れない性格なので、方角以外は気にせず我が道を往くのだが、道中曲がれるポイントがないことに気づいてしまった。これでは駅までいけない。そう思って少しマップを見た。タイヤの通れない道を歩くこともあったが、田舎出身の僕にとっては大した課題ではない。小学校の帰り道なんて、よく家の畑をショートカットしたものだ。こうしてあの鳥居が並ぶ道まで戻ってこれた。この先には何があるのか。完全な興味本位でしばらく歩いてみたが、途中できりがないと勘づき引き返すことにした。まだ日は落ちない。今ならまだ例の霊山寺を楽しめそうだ。そう思ってまた目指すことにした。ローソンで飲み終わった缶を捨て、新しくお茶を買った。ただただ道を歩いているだけでも面白い発見はある。まずは鶏卵の自販機だ。スーパーで買うよりも安い金額で売っていたうえに、当日にとれたものしか入っていないと自負していた。これが地元なら迷わず買っていただろう。しかし、ここは旅先。ホテルに戻っても調理は難しそうだ。それに、これを土産にすると、カバンから強烈な硫黄の香りをお届けすることになりかねない。残念ではあるが見過ごすことにした。さらに進むとお米の自動販売。こちらは24時間年中無休と看板が掲げられているので期待を大にして売り場を見たら、「現在故障中」と手書きの張り紙が張られていた。オチが早すぎる。いつ故障したのかはわからないが、これは今後も長らく放置され、地域の腫物にされるのであろう。「誰か、もうあの建物壊したら?」「そんなこと言っても、持ち主がここにいないんだからどうにもできないだろ!」脳内再生が余裕だった。
 こうしてまたもや辿り着いてしまったお寺。厳密には、最初通りかかった時とは違う入り口にいる。入ったすぐそこには、不気味にほほ笑む干からびた等身大の人形がいくつか立っていた。昭和中期のような笑い方である。敷地の中は、鯉の池や地蔵の整列など、ある程度のものはそろっていた。使い道のわからないパンダの座る奴もあった。よく公園の余ったスペースに置かれているのを見かけるアイツである。当然のことながら汚かった。それとは対照的に建物の中はお線香の香りがしてきれいな空間だった。小さな子どもが父親と一緒に火を分け与えていり、お経を唱えている人がいたりと、ここは今も活発に利用されているお寺だとわかった。
 もう満足だろうか。そろそろ帰るかと思い、電車の時刻を確認したら、40分後に来るようだった。まあそんなものだろう、今更驚くことではないと思いながらも、やはり暇なものは暇である。旅なんて思い切って動いた方がいいと思ったので、一つとなりの池谷駅まで歩いてみることにした。マップを確認した位置からは2km強。歩いてもまだまだ10分くらいはあまりそうである。これが何もない田舎町での楽しみ方だ。ちなみに、1駅分省略しても徳島駅までの運賃は変わらない。歩きたいから以外の理由なんてないのだ。道は多少くねったりもしているが、基本は線路に沿って歩けば問題ない。日も傾き、ただでさえ大人しい町はさらに静寂さを増すかのようであった。通り過ぎた喫茶店は、調べたところもう閉店時刻を過ぎたようで、店員さんが店じまいをしていたようだったが、偶然目が合った時に少しにらまれた。たしかに、こんなところを一人で歩く人間などまずいないであろう。地元住民でさえそんなことはしない。この時ばかりは自分が不振である自覚はあった。とはいえこんな土地狂った観光客もいれば、そこに慣れ親しんで生活している人もいる。少し広い庭で姉妹で遊ぶ子どももいて、ここは人の住む世界なのだと改めて実感した。駅が近づくにつれてマップを開く頻度が上がっていく。あと何mか。疲れもたまってきたようだ。キャベツ畑に春を感じ、疲労感に年を感じた。いや、まだまだ若い。旅もまだまだ続くのだ。そう気合を入れなおして池谷駅まで歩き切った。後悔はしていない。

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