本には交流がある8 自分を好きになるのが一大事業の人もいると、太宰治のことを書くまえに綴っておきたい

実は、今から14年前、私58歳のときに太宰治のことを書いてみた。生誕100年の記念で青森図書館でエッセイを募っていることを偶然に知り、ふりかえってみるのもいい機会だと、書いたものがある。読み返してみた。
(22歳のときに・・・これまでだ、文学青年、いわゆる純文学から撤退した。負けいくさ。戦にもなっていなかったかも知れない。自分が恥ずかしかった。
ここまで書いて、次の日、ハッとする言葉に出会いました。山元加津子さんのメルマガの文章です。
「私たちもみんな、おそらくは誰もが大切な約束事を果たそうと頑張っているのでしょうか?そうだとしたら、学校で一番学ぶべきことは何かなあとそう思うのです。それは自分のこと好きでいいんだあと思うことかなと思うのです。
<自分のこと好きでいいんだあ>この言葉にハッとしました。アイデンティティとは、自分のこと大好きでなければ、ただの題目、掛け声だと気づいた。そうして私にとって大事なことは、22歳で文学青年の灯台の、太宰を読まなくなった、書くこともやめたほんとのわけがわかったのです。もちろん才能のなさも承知していたが、それよりも22歳の私は自分がキライだったのです。生きるために日常に働いている自分、文学に囚われて2重人格みたいな自分がキライだったんだ。家族にも私に優しい人たちにも迷惑をかけつづける中途半端な自分がイヤだったんだ。自分をキライな人に・・アイデンティティ(自分)がわかるわけがない。who  am I ?と言うのでなく私は私が大好きだと>受けとめればよかったのだ。ただ、<自分を好きになる>簡単なようで一大事業のように思える。安易な自惚れ、ナルシズムではないのだから・・・・
何十年たって真理がわかる。本当に、時間が、かかる男です。
でも、わかったんだから、得しちゃった!
山元加津子さんには本当に大切なことを気づかされる。この気づきをたいせつに、14年まえにまとめた太宰治のことを記してみたい。




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