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「あなたにここにいてほしい」 (短編小説)


 「何よ! ケンジが浮気したんじゃない」
 言ったあとで、しまったと思った。
 そんなことを言うキャラじゃないのに。

 あたしも女なんだ。

 出来る女気取っても、中身はやっぱ彼のメールの相手が気になるタイプなんだなぁ。
 グラグラと揺れながら、色を無くしていくケンジ。慌てふためきを隠すための激怒がひどく滑稽に見えた。

 (何か叫んでるけど、なんだろ……)

 玄関でへたり込んでいるまま、いったいどれくらい経ったのだろう。
 ふいに手首の痛みが襲った。

 そう、出て行こうとするケンジを引きとめようと掴み、振りほどかれた勢いで下駄箱の取っ手で打ち付けたのを思い出した。
 目の前には、転がった赤いエナメルのピンヒール。ケンジが珍しくプレゼントしてくれたものだ。 
 まさか、浮気相手とまったく同じものを渡しているとは、ケンジの間違いメールを見るまで知らなかった。

 そりゃそうだ。

 「あたし…… バカみたい」

 急に虚しさと苛立たしさが胸のあたりを占拠して、ピンヒールを手にすると廊下の先に見えるリビングの窓に投げつけた。
 キラキラとした赤い流れ星は、窓ガラスを割らずに半分閉じられたカーテンに当たった。
 そのまま割れて外に出ていけば、月の明かりを浴びてそれはそれで綺麗だったろうな。

 ふと、違和感に襲われた。


 なんだ…… ろ?
 カーテンの揺れ方?
 
 しげしげとカーテンを見ると、見慣れないものがカーテンの下から生えていた。

 足だ。
 どうみても、靴下を履いた男性の足。
 なぜ……?
 いつもなら怖くて、すぐに玄関から飛び出していただろう。
 でも、今は、すべてがどーでもいいのだ。

 廊下を進み、リビングまで入ると、足の生えたカーテンまで一直線に来た。
 勢いよく、カーテンを開けてみた。




 「ユーレイだったら、これからの夏の鉄板ネタだったのに、ドロボーなんて笑えないわ、マジで」
 リビングのソファーにどっかと座ったあたしの前に、フローリングに正座してなんとか存在を消そうと、小さくなっている中年の男。
 コントでしか見たことないけど、本当に上から下まで黒づくめに関心した。
 少し垂れた前髪の隙間では、これからの自らの行く末を不安がる眼。

 警察に連絡しなきゃ。
 テーブルの上に置かれたケータイを取ろうとして気がついた。
 これケンジのだ。
 と、同時に玄関から威勢のいい足音が近づいて来た。
 ケンジはどうやらケータイを取りに戻って、鬼の首を捕ったようだ。

 「はっ! 僕ばかりが悪者みたいに言ってるけど、もう男を引っ張りこんでんじゃないか! 
 いつもお金振込みに行ってるけど、案外どっかの男にでも貢いでんじゃないのか?!」

ケンジ、活き活きしてるなぁ…… 言ってることはクズだけど。
 そう思ってたけど、どうやら自分の気づかないところでこたえたみたいだ。
 いつの間にか、泣いていた。
 悲しいんじゃない、きっと情けないんだ。
 黒い影が動いたかと思うと、一部がケンジに伸びていった。

 「いい加減にしろよ、ボウズ! この子はな、毎月少しずつ仕送りしてるような子なんだよ! 通帳の名義人と送り先の苗字が同じだから、母親かなんかだろう」
 いったい目の前で何が起こっているのだろう。
 
 「確かに、通帳と印鑑をいっしょに置いとくような抜けたとこもある。 下着もちゃんと畳まないような不精なとこもある。 が、お前みたいなクズに、いいように言われてガマンする言われはないんだよ!」
 ドロボウのあまりの剣幕に、驚いて何も言えずにいるケンジ。
 見知らぬ男に胸倉をつかまれたのが意外だったみたいで、棒立ちで顔面蒼白。 ま、あたしも見知らないけど。
 今度は真っ赤な顔をして振るえていたかと思うと、忘れていたケータイを掴んで出て行った。
 忙しいヤツ……。
 あれ、あんな男が好きだったんだっけ。




 「ちょっと付き合いなさいよ。 飲めるんでしょ」
 冷蔵庫からビールをふたつ出し、一本を渡す。
 あたしは、あたしがわからない……。
「通帳と、その…… 下着。 見たんだ……」
 ドロボーは、ちびちびと飲んでいたビール缶から口を離すと、下を向き小さくうなずいた。
 仕事柄、やることはやってたのか。
 しかも、最初のケンカの時にはもう、この部屋にいて話を聞いてたんだ。
 急に笑いがこみ上げてきた。
 結婚まで考えていた彼とケンカしたあと、部屋でビールを飲んでいる相手が空き巣なのだから。

「大丈夫…… ですか?」
 心底心配そうに、あたしの方を見やるドロボウ。
 無精ひげをきっちり剃れば、もっと見栄えがいいのに。
 「アンタ、時間あるんでしょ? そりゃそうよね、空き巣に入るくらいなんだから」
 ソファから立つとリビングの椅子の背もたれにかけてあったエプロンを手にした。
 両手で髪をひとまとめにすると冷蔵庫を開けて中身を覗いた。
 「なんか、おつまみ作るわ。 在りもんだから嫌いなものあっても知らないから」
 ドロボウは正座のまま肩をすぼめて首を激しく振っている。
 あたし、何やってんダロ……。
 鼻歌なんか出ちゃってるし。
 あたしの無い胸(そういやケンジは巨乳のAV隠してたな……ちっ)の奥から、今度はふんわりとした笑いが全身を満たしていくのが解る。

 ベランダに続く窓の外には、都会に疲れるために出かけた人達を乗せた最終電車がゆっくりと流れていくのが見える。
 夜半を過ぎてもこの街の灯りは減るどころか、その輝きをいっそう増している。 けどその中にいる顔は砂浜の砂粒のように、どれも区別がつかない。
 たとえ隣人でも。

 「ありがと」
 気がつくと、そのひと言が漏れていた。
 言ったあと、われに帰りハッとしたけど、否定する気分じゃないし。
 ドロボウは眼を見開いてびっくりしている様子で、あわてて顔の前で手を左右に振った。
 昭和だなぁ、ほんと。
 さぁて、明日はお休みだし、テッテー的に飲んじゃうから。

 相手もいるし ね。



 開け放った窓から、土曜の午後の気持ちのいい風が通り抜けている。
 どこかからか、こどもの遊ぶ声をのせてリビングのレースのカーテンを揺らして去っていく。
 そのカーテンに撫でられた写真立て。
 新装開店の花輪が並ぶ店先で撮られた写真がある。
 特技を活かしカギ屋を開いた店主と、控えめな胸の女性の姿。

 『Lock and Kye』
 まるで、ふたりの笑顔に書いているようだった。



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