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32年前の虹の絵の話

25歳の今頃だった。
神戸の市街地から離れた1Kの公団住宅に一人で暮らしていた。

仕事は契約社員で薄給。
でもやりたかった仕事に転職して
充実していた。

仕事休みの平日
フラリと三宮(さんのみや)に向かった。
定休曜日の水曜だったのだろう。

人もまばらなセンター街の店は、ほとんどシャッターがおりていた。
買い物に来たわけじゃないのに、なんとなく気分が落ちて
ふと先に見えたものに目が留まった。

絵だった。
定休日の店の前に、ビニールシートを敷いた上に
様々な大きさの絵が置いてあった。モチーフや構図はほとんど同じ。

長い坂道を旅人が歩いている。
その先には赤い屋根の小さな家があり、
鮮やかな虹がかかっている。


色鉛筆?
それとも水彩画だろうか・・。

目が離せず近づいてしゃがみ込んだ。

「どうです?いかがですか?」

奥から話しかけてきたのは、大きな眼が印象的な小柄の女性。

「これ水彩画ですか?」

「パステル画ですよ。きれいでしょう。お部屋に飾ると明るくなりますよ」

正直なところ覚えてないのだが、おそらくそんなやり取りをしただろう。

「これください」

2000円の小さな写真立てサイズの額縁の絵を手にして差し出した。

「それも可愛いですけど、これなんかいかがですか?」

女性は1万円くらいのサイズのものを持ってきた。

さすがに高いし、躊躇していると

「この絵ね、私の友人の男性が描いてるんです。ずっと病気で療養しててベッドの上で描いてるんですよ。
将来パステル画家になりたいって思ってるようで。描くのが生きがいなんですよね」

そんなこと言われても即決できるはずもない。

迷っていると、女性が畳みかけるように言った。

「オーダーでお描きしましょうか。この人物や家はお好きなものに変えて描けますよ」

「そうなんですか!実は私来年ぐらいに結婚するんです」

ふっと、口をついて出てしまった。

長く付き合ってる彼はいるけど、結婚話は出てないと言うのに。


そんな事を言ってしまったのは
ここ一カ月ほどの間に、親しい同僚2人から
「結婚して神戸を離れるのだ」
と打ち明けられたからだったと思う。

自分の中で処理しきれない寂しさと悔しさが胸の中に漂っていた。


「おめでとうございます!
それじゃあ、思い切ってこの一番大きな絵にされては?
結婚の記念の絵として思い出にもなるし。
教会に向かうタキシードとウエディングドレスのお2人で描くようにって
友人に言いますよ」

女性は眼を輝かせて、
一番大きな3万5千円の絵を
私の前に見せた。

自分で自分についた嘘の大きさに気おされて、私は引っ込みがつかなくなった。

特注品だから半月ほどかかる事を了承し、女性に請われるままに名前と電話番号を言ってその場を離れた。

しばらく胸の動悸が収まらず
妙な高揚感があった。


その夜、隣県で働く彼(今の夫)にその話をすると、
「すぐにキャンセルしたほうがいい。胡散臭いで。
なんで一旦考えるとか、せんかったん?」と言う。

その時に気づいたのだが、私は女性の連絡先を聞いてなかった。

翌日、職場でもこう言われた。
「それは買うの止めたら?
名もなき人の絵に3万5千円は高いわ」

キャンセルしようにも、連絡先を聞いてない。
どうしようもないのだった。


1週間ほどして、絵の女性から電話があった。
半月かかると言ってたのに‥と思いながら話を聞くと
「ドライブに行かないか」という誘いだった。

強く言われて了承したものの、彼にも同僚にも
「行かない方がいい」と猛反対された。
勧誘や、そのほかの危険な匂いが
プンプンするというのだ。


結論から言えば、何もなかった。
こちらの休みに合わせて、最寄り駅まで車で迎えに来てくれた女性は、
摩耶山に連れて行ってくれた。
女性は大きく伸びや深呼吸をして
よく笑った。
怪しい話も勧誘もなかった。
「もうすぐ絵が仕上がりますから、また電話しますね」
そう言われて別れた。

約束通り半月後に
仕上がった絵を最寄り駅で渡され
3万5千円を支払った。
外箱には、青い色鉛筆で男性の名前がたどたどしい文字で書かれていた。

それきり連絡はなかった。
その1年半後に、私は神戸を離れた。
結婚して京都に移り住んだからだ。


絵は今もある。
65×50サイズの額縁は重た過ぎて、壁に掛けられない。
立てかけて飾っていたが、ある時落してしまい、硝子にヒビが入った。


鮮やかな虹は、今もきれいだけれど
どこか毒々しく感じ
どの部屋においても落ち着かない。
今は季節ものと一緒にクローゼットの中にしまわれている。


今なら、絶対に買わないだろう。
女性が話した、絵にまつわる話も信じないだろう。


でも
32年前のあの日に見た時は
本当にまぶしく、
絵に惹きつけられた事は間違いない。















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