見出し画像

短編吸血鬼小説『ミカエラの日記』

 

 四月十五日、晴れ、夕方から曇り、雨

 失敗。薬草集めで、つい遠出しすぎ。大木の下で雨宿りしていたら、後ろから顔に布を当てられ、失神。エーテル臭。

 夜半、気がついたらこの部屋。寒い。暖炉はあっても、薪がない。

 分厚い一枚板の扉に鍵。窓は高い位置にあり、届かない。備品は寝台に便器、テーブル、椅子、水差し。

 大幅にお掃除不足。寝具は新調の必要あり。毛布にくるまって朝を待つ。外はまだ雨。

 手際からして、婦女誘拐常習犯?

 わたしが一晩帰宅しなくても、お父様は気がつかない可能性大。ベルタかペーターかが気づき、村長に報告して、捜索が始まるのは数日後。

 わたしの荷物を一緒に運んでくれたのだけは、誘拐犯に感謝。おかげで、夜明けの薄明りの中、日記が書ける。 

四月十六日、雨のち曇り

 扉の下の開口部から、食事の差し入れあり。ワインは一流。料理は三流。塩を使いすぎ。このアンバランス加減は、没落貴族?

 かなり遠方の村で、若い娘の行方不明事件が何件かあったのを、いま思い出した。気をつけて情報収集しておくべき。反省。

 音の反響からして、高い位置にある囚人部屋。古い城館の一室らしい。人声、生活の物音なし。料理を運んできた召使い(推定)も、まだ姿を見ていない。

 することがないので、スカートを裂いて紐を製作。

四月十七日、晴れ

 脱出、失敗。

 寝台を壁に立てかけ、その足に紐をつなぎ、高窓から降りることに成功したが、館そのものが崖の上。崖から降りるのに手間取り、召使いの男に発見された。

 毛深く、衛生度低し。言語不明瞭。知能が低いらしいが、主人には忠実らしい。

 今度はわたしを、地下の穴蔵に閉じ込めた。唯一の窓には鉄格子。居住環境悪し。

四月十八日、晴れ

 毛深い下男に散歩を要求したら、中庭に出された。噴水、彫像、かつての栄光の残滓。壁が高く、中庭からの脱出は不可能。

 下男に指図して、寝具の天日干しと地下牢の掃除、下着類の洗濯に成功。

 不衛生や寒さのため、わたしを病気にすることは、まずいと理解している様子。誘拐を命じた主人については、まだ不明。同じ城内にいるらしいが、なぜ姿を見せないのか。 

四月十九日、晴れ、午後から曇り

 眠ろうとしている時刻、下男のイーヴォに地下牢から出された。主人の居間に連行される。

 家具調度、絵画類はいいものだが、やはり掃除不足。使用人が一人きりでは、無理もない。

 主人は、予期していたより若い男。多少は教育あり。こんな田舎の城館に籠もっていないで、都会に出て働けばと提案したが、却下された。

 自分は吸血鬼だからと。

 前にさらってきた女たちは、血を吸いすぎて、衰弱死させてしまったという話。したがって、わたしから血を吸うのは十日に一度、少量ずつにするという。

 理解不能。その程度の血液だけでは、大幅に栄養不足のはず。もしくは、動物の血液でも間に合うはず。

 豚を飼うよう提案したが、却下された。豚の血液は、口に合わないらしい。

 病気なら治療可能かもしれないから、実験器具と薬品類を揃えるように要求。わたしの父は医師で、科学者。わたしも父の助手として、訓練を受けている。

 彼は最初、わたしの要求が理解できないようだったが、平均程度の知能はあるらしい。説得に成功。血液検査にも同意。実験器具は発注すると約束。イーヴォは時々、近くの村まで買い出しに行くという。 

四月二十日、晴れ

 実験室の設営。ついでに他の部屋の掃除、寝具類の洗濯。

 下男のイーヴォ、命じれば働く。薪割り、家具の移動、床磨き、その他の力仕事をさせた。

 器用ではないが、根気あり。教育すれば、向上の見込み大。 

四月二十一日、晴れ。夜から小雨

 わたしが厨房の管理をすることにした。裏庭に、荒れた野菜畑。これから、手入れをすることにする。

 イーヴォは狩りの名人と判明。猪を獲ってきた。解体は上手。料理は下手。わたしが引き継ぐ。

 ようやく、ワインに見合う、まともな料理。

 お父様は、今頃、捜索隊の先頭だろうか。助手のわたしがいなくて、不自由に怒っているに違いない。わたしの価値を認識するべき。わたしの頭脳は、お父様と同等か、それ以上。男だったら、学者として世に出られただろう。 

四月二十二日、雨

 城内の点検。イーヴォに手伝わせ、ひたすらお掃除。不要物は燃したり、保管したり。

四月二十三日 雨

 城内の図書室で読書。本はたくさんある。前の城主が集めたものらしい。料理を作りすぎたかと思ったが、イーヴォが平らげた。 

四月二十四日 曇り

 イーヴォの話を聞く。捨て子。この城の前の主人に拾われ、育てられた。読み書きはできない。もっぱら力仕事や単純作業。でも、説明すれば理解能力はある。少しずつ物事を教えたら、役に立つのでは。 

四月二十五日、曇り

 実験器具、試薬、専門書の一部が届き始めた。都会に注文したものは、また後日。

 実験ノートを用意。自称・伯爵から血液採取。夜中しか会えないのが不便。日光に当たると、具合が悪くなるそう。

 神経過敏? 吸血鬼妄想?

 参考のため、イーヴォからも血液採取。わたしの血液を参照用とする。  

四月二十六日、晴れ

 イーヴォに命じて、実験用の兎を捕獲させた。飼育小屋を作らせることにする。

 伯爵の病気が、伝染性か知りたい。こんな血液、見たことがない。相当に珍しい病気。

 イーヴォの血液も特殊。比較するのに、他の動物の血液が欲しい。犬か狼。彼は自分を、狼と人間の子供だと信じている。 

四月二十七日、晴れ

 そろそろ夏服に着替えたい。客室探険、古い衣服を発見、手入れにかかる。前に暮らしていた女たちのものらしい。本当に、血を吸われすぎて死んだのか。 

四月二十八日、晴れ

 自称・伯爵は日光が苦手。夏は活動可能時間が短く、遠出できないという。

 昼間は、地下室のどれかで眠っているらしい。その場所、わたしには内緒。教えたら、就寝中、わたしに殺されると思っているらしい。被害妄想。

 貴重な実験材料なのだから、生きていてもらわないと困る。

 伯爵の血液を注射した兎を観察中。詳細は実験ノート。

 イーヴォの運動能力を計測。最高水準の運動選手並み。金持ちの護衛に最適。

 ただし、お風呂好きにしなくては、採用されないだろう。明日、川で洗ってやる予定。 

四月二十九日、晴れ

 イーヴォのしつけ、順調。わたしの命令に従うことに、慣れてきた。犬と同じ。こちらが主人だと、わからせればよい。

 この城の前領主だった伯爵が、いつの間にか吸血鬼化していたという話を聞いた。遠縁だったレナルドは、だまされて呼び寄せられ、吸血され、仲間にされたという。吸血病感染?

 しかし長寿化、強健化の効果あり。

 レナルドは、もう百年以上、生きているという。彼の日記で確認。

 彼の血液、不老薬として商品化の可能性あり。欠点は、日光過敏症が伴うこと。夜会好きの、上流のご婦人たちなら、気にしないかも。

 現在は、前伯爵の残した美術品や宝石類を売り食いしているという。

 前伯爵、半世紀前、女狩りに出たまま、帰還せず。失敗して、死亡の可能性大。

 吸血の相手は、なぜ女限定なのか?

 レナルド、経営感覚なし。このままでは、いずれ売るものはなくなる。

 この城をホテルにと提案、却下された。人間が怖いらしい。わたしのことは、どうやら、あてにしている様子。哀れな主従の行く末、考えてやらなくては。

 お父様はしばらく、わたしなしで苦労すればよい。男尊女卑の考え、少しは改まるかも。わたしも大学に行きたかった。たとえ男装してでも。 

四月三十日、晴れ

 レナルドに実験食を試食させた。血液以外に、受け付けられるものは何か。

 生の豚肉、鶏肉、兎肉、不可。嘔吐。

 野菜類、不可。嘔吐。

 果物、かろうじて消化可能。ワインは好き。葡萄の季節になったら、試食させよう。

 消化能力の著しい低下、治療可能か?

 固形物が食べられない体質となると、不老薬として売り出すのは無理かも。食べる楽しみを失うのでは、上流のご婦人たちも考えるだろう。 

五月一日、晴れ

 輝かしい天気だというのに、レナルド、気力減退。

 励ましたが、もう死にたいと言う。夜しか外に出られない生活は、もう嫌だと。放置したら、太陽の下に飛び出して、自殺するかも。

 少しなら、わたしの血をあげてもいい。

 わたしまで感染すると、研究上困るので、注射器で採血。ワインに混ぜて、飲ませた。おかげで多少、元気になった様子。

 イーヴォは別種のウィルス感染のよう。彼らの血液を注射した兎、体質の変化がはっきりしたので、そろそろ治療実験にかかる。 

五月二日、晴れ

 素晴らしいお天気。花と薬草摘み。

 レナルドは青空の下に出られないので、お供はイーヴォだけ。楽しいピクニック。

 夜、レナルドに話をすると、うらやましがる。自分も青空を見たいと。

 画材を注文することにした。レナルドに、絵を描くことを勧めるつもり。何か気晴らしがないと、彼が落ち込む。 

五月三日、曇り

 強盗に襲われた。わたしの失敗。薬草の採集で、城から離れすぎ。

 強姦寸前でイーヴォに助けられたけれど、2人組の強盗は死亡。頭蓋粉砕。内臓破裂。イーヴォの腕力は凄まじい。死体は埋めて処理。

 その前に血液、内臓、実験用に採取。

 わたしが怖かっただろうと、レナルドが慰めてくれた。基本的に紳士。

 吸血鬼化していなければ、平凡に暮らしていただろう。結婚して、子供を作って、幸せに。

 自分は神に呪われていると言うので、神などいないと断言した。お父様もわたしも、無神論者。神などいたら、誰も苦しまない。人々を救うのは、科学精神のみ。 

五月四日、曇り、小雨

 レナルドが夜中のうち、新聞を手に入れてくれた。わたしは行方不明とされ、捜索体制は大幅に縮小されている。

 お父様は心配しているだろうけど、レナルドとイーヴォを置いていけない。二人とも、頼りなくて。

 レナルドは怖がり。イーヴォは知恵がない。 

五月五日、雨

 お父様に手紙を書くことにする。恋人と駆け落ちして、幸せにやっていますと。

 イーヴォに頼んで、離れた土地から投函してもらう。彼は、かなりの速度で走れる。人に見られないように、用心させないと。

 レナルドは、わたしが家に帰らないと知って、泣いて喜んだ。吸血鬼とキスするのは、変な感じ。普通の男の人としたことないから、比較できなくて残念。

 いえ、比較の必要なし。 

五月六日、曇り

 兎の実験、継続中。レナルド兎にイーヴォの血液、イーヴォ兎にレナルドの血液。うまく中和できるかどうか? 

五月七日、晴れ

 兎を観察中。

 キスも練習中。レナルドが吸血欲に負けそうになったら、わたしの血液を入れたワインで落ち着いてもらう。

 新たな発見あり。男性機能の喪失。

 性欲が、吸血欲にすり替わってしまっている。やはり、売り物にはならないかも。

 性欲なしで長生きは、本末転倒では。吸血病、欠点多すぎ。レナルドが男性機能を取り戻してくれないと、わたしが欲求不満になる。

 イーヴォには、雌狼の恋人がいると判明。意志の疎通はともかく、混血は可能なのか? 経過観察を要する。 

五月八日、晴れ、夕刻から風

 警察が調査に来た。強盗の足跡をたどっている様子。

 わたしが出るわけにはいかないので、イーヴォが対応。主人は留守とごまかしたが、疑われたかも。村人と付き合わない貴族なんて、怪しすぎ。

 夜中、レナルドに相談。ここを売って、もっと北の土地に逃げた方がいいかも。

 彼は他の土地を怖がる。吸血鬼と知られたら、殺されると。

 内張りをしっかりした馬車なら、昼間でも移動可能では? 

五月九日、雨、強風

 兎に変化。食欲なし。脱力。 

五月十日、曇りのち晴れ

 兎が衰弱。イーヴォもレナルドも心配顔。 

五月十一日、晴れ

 兎、一羽を残して全滅。簡単に見つかる治療法はないらしい。この一羽だけ、なぜ回復したのか。新たな兎を捕獲してもらうこととする。 

五月十二日、晴れ

 何ということ。

 警察に踏み込まれ、救出されてしまった。

 お父様は、わたしが悪い男に騙されたのだと思っている。

 レナルドは、イーヴォが馬車に乗せて逃走。試しの内張りに、どれほど効果があるか。これから夏なのに、昼間の逃亡は危険。

 二人とも、誘拐犯として手配された。

五月十三日、晴れ、午後曇り

 お父様に実験ノートを見せ、説明。説得成功。

 吸血鬼化を起こす病気の研究、再開。 

五月十四日、雨

 お父様、人体実験の実験台を志願。好きな研究を永遠に続けるため、長生きを希望。食欲も性欲も、要らないという。

 保存しておいたリカルドの血液、わたしが知らないうちに注射。せめて、猿か犬で実験してからにして欲しかった。

五月十五日、雨

 お父様、昏睡状態。やはり、血液注射は無謀。 

五月十六日、曇り

 お父様、昏睡続く。 

五月十七日、晴れ

 お父様、死亡。

 血液の量が、不適切だったのか。保存のために添加した試薬が、まずかったのか。

 しばらく秘匿のつもりが、女中のベルタに知られ、村に広まった。葬儀をせざるを得ない。皆には、東洋の怪しげな強壮剤を飲んだためと説明。

 手順にやかましいお父様だったのに、動物実験をせず、いきなり自分に使うなんて。老いて、気が急いていたためか。

 血液採取、保存。 

五月十八日、晴れ

 葬儀。疲労した。 

五月二十三日、晴れ

 疲労が取れない。遺品の片付け、やる気が起きない。

 どうしたらいいか、わからない。ロナルドとイーヴォに会いたい。

 一人が苦手。

 自分がこんなに、お父様に頼っていたなんて。偏屈でも、男尊女卑でも、わたしには唯一の家族。お父様に頼られることが、わたしの支えだったのか。 

五月二十五日、晴れ

 村で噂。夜中、広場で、とても大きな狼を見たと。 

五月二十六日、曇り、午後から雨

 胸が苦しい。じっとしていられない。神様。

 わたし、無神論者なのに。 

五月二十七日、午後から晴れ

 馬車で旅をする支度をした。巨大狼の噂をたどりながら、進む予定。

 不思議な狼の目撃例、各地にあり。家畜は襲わないのに、人里に出没する。何かを探している。

 聞いた限りでは、イーヴォが姿勢を低くして、疾走する時の様子に似ている。 

五月二十八日、曇り。夕方から、霧

 家の始末に手間取るうち、父の旧友、レムスキー博士の訪問。思い出話。泊まっていただく。 

六月四日、晴れ

 久しぶりの日記。ようやく、日記をつける余裕ができた。

 レムスキー博士の証言、新聞で確認。抜粋。

『……悲鳴に驚いて行ってみると、窓は割れ、家具は倒れていました。ミカエラ嬢の服の切れ端が、窓ガラスにひっかかっていただけで、誰の姿もなく……』

 警察では、巨大狼に襲われ、拉致されたものと断定。村から離れた森の中で、血染めの衣類を発見。わたしのものと、ベルタが確認。

 これで、わたしは世間から退場できた。わたしを探す者は、誰もいない。

 あとはレナルドとイーヴォと、厚く内張りした馬車に乗り、もっと北の国へ行く。一年の大半、雪に閉ざされる国へ。お供は、大きな雌狼。

 研究の続きは、そこでゆっくり行う。別に、二人が治癒しなくても構わないから。


      ミカエラの日記 了

 他に恋愛SF、宇宙SF、フェミニズムSFなどを書いています。古典リメイクとして「レッド・レンズマン」「紫の姫の物語」もどうぞ。

  
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?