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「少子化対策」のホントの難しさ/エッセイ

   日本の少子化問題がささやかれてはや半世紀近く。セットで迫りくる高齢化社会。この問題はなかなか奥が深い。

(*このエッセイちょっと長いです。すみません。)

 政府が考えるこの問題の原因は、内閣府のwebにその考察があり、「未婚化の進展」「晩婚化の進展」そして「夫婦の出生力の低下」だそうだ。これを背景に「仕事と子育てを両立できる環境整備の遅れや高学歴化」、「結婚・出産に対する価値観の変化」、「子育てに対する負担感の増大」及び「経済的不安定の増大等」を取り上げている。

 なるほど、まぁそうかな、と思うと同時に、もしそうならば、国がこの問題に手を出せる部分はかなり少ないし、本質的な改革は無理だろうな、とも思う。なぜならば、子を産み育てることは人々の ”意志” の結果であるからだ。上述の背景の部分で政府が打てる手は環境整備と補助金くらいだろう。

 増税や公共事業、新たな法整備などの政策は直接影響を及ぼし、その効果はすぐ目に見えてくるものであるのに対し、少子化対策は政策から結果までの間に人の ”意志” が介在するので簡単ではない。多くの人の ”価値観”というか ”気分” をすぐさま変化させ、なおかつそれを長期に持続させるなど、神がかった講話者か、洗脳を得意とするカルト宗教でないと無理だろう。

    "将来結婚し子供をもうけ、幸せな家庭を築きたい"と強く願う人は、そのような人生設計をするのである意味問題ない。問題は結婚なんて、子供なんて、と悲観的に考えている人をどうするかである。そのような人にたいして、自由を制限するような意志を心にめばえさせ、半ば洗脳に近いことでもしなければいけないとすれば、やはり政府がそれを行う訳にはいかない。では、どうすれば人々は結婚し子を産み育てようと思う(意志が生まれる)のだろうか?

所々に見える矛盾

    少子化問題のアンケートなどでいつも上位に挙がる理由に「時間」「お金」そして「環境」がある。環境がよい場所で時間にゆとりがあり、お金に余裕があれば結婚をして子を産み育てる、というのである。確かに一つの必要条件であるように思える。しかし、大局的にはこれが全くそうではない事がすぐにわかる。なぜならば、発展途上国よりも先進国の方が出生率の低下が顕著だからだ。明日食べる物を今日心配するような子育て環境が良いとは言えない貧困国の方が出生率が高い。つまり、今この日本で結婚、出産、育児は絶対無理なのかと言えばそういうわけではなく、単に現状よりもより良い状態を望んでいるにすぎない。

    発展途上国の出生率の高さを労働力の確保と理由付ける旨もあるが、(人身売買などを除いて) 労働力となるのは産んでから数年は必要で、また妊娠期間や乳幼児期の世話も含めると数年間の家族全体の労働力の低下は避けられない。これが計画的に行えるのはそこそこ安定な生活が出来てこそであり、この理由にすべてを押し付けるには無理がありそうだ。

人も元来楽しようとする生き物?

   この手の議論をする際に、たまに見かける動物実験の『UNIVERSE 25』。ネズミが繁殖するために最適な環境を与えたにも関わらず、最後はほぼ絶滅してしまうというもの。詳細はググって貰うとして、内容はなかなか衝撃的なものである。平和で安定な生活が保証されているにもかかわらず出生率が低下するというこのネズミの実験結果を、人間にそのまま当てはめるのは無理があるが、かなり考えさせられるものがある。ネズミにとっても出産、育児は大変な事と感じていて、出来ればやりたくないということなのだろうか。そして、人もその様な傾向があるのだろうか。

価値観の変化だけではない?

   戦後間もないころ日本では、結婚をし、子をもうけ育てるのは当たり前といった風潮があった。それは文化に近かった。「独身は恥ずかしい」「結婚して一人前」「子供は二人以上」など。これらの文化はやがて新しい価値観によって徐々に変化した。

   北アメリカで1965年に大規模な停電があり、この事が原因でベビーブームが起きたとされる有名な話は、その後間違いである事が判明している。しかし、災害時を起点にベビーブームが起きる相関もあると言われている。別な話として、ネット環境のない昔の時代、周りに何もない田舎の大学の学生の同棲率が高いという話を聞いたことがある。他に楽しみがなく暇になったとき、人が最後にやることが性的行動とは何とも悲しい話でもある。(ちなみに災害時のベビーブームに関しては人は身近に死を感じるとき、子孫を残すという生物としての本能が働くからという話もある)

   現代の楽しみと言えばネット環境に関連したものがとても多い。動画配信、SNSやネット通販など、TVぐらいしかなかった昔と比べ楽しみの選択肢は爆発的に広がった。また、性的に限らず様々な人の欲求に対しても、ネットや街中に溢れているコンテンツによってかなり解消される時代になった。それはもしかして、人が持つ生物学的に本能としての求愛行動を減退させることに繋がっているのであろうか。

しのごの言ってられないが

   これまでの話を総合すると見えてくるのはやはり難しいの一言である。時代に逆行する価値観を持ってもらい、適度に欲求不満な状態にし、娯楽を制限し日々仕事などに忙しく生きる。これはまさに出生率が順調に推移していた高度経済成長期の生き方である。しかし、人間らしく、自分らしく生きる生き方が推奨される現代では、あの時代にはもう戻りようがない。
   
   人気タレントが結婚し子供をもうけ、幸せそうに生きる姿は一部の人にはよいアピールになるかもしれないが、せいぜい一過性のブーム程度であろう。やはり"気分" 程度では弱く、もっと強い使命感のような価値観が必要になってくる。そのような価値観があるのか?実は全くないともいえない。この辺りは別のエッセイで語りたいと思う。(こちらもかなり長くなる汗)

   さて、国がこれに関して出来ることは少なく、決定打は打てないと冒頭のべたが、下手をすると、むしろ大きな弊害が生まれる可能性もある。例えば、補助金や税の優遇を "やりすぎる" と、それ目当ての安易な出産が増え、子育てに問題がある家庭が増える。また、労働人口が少ない現状で子供の数が多くなりすぎると環境を整える事が困難になる。子供の数を増やしたいが一気に増えても困る。また、過去にフランスで補助金による少子化対策を講じしばらく良い結果を出していたが、その後効果が薄れ出生率が元の低い値に戻った例もある。持続もまた難しい。

国がやれることの限界

   もし、私が政策立案の立場だったならば、どのような手が打てるか考えてみた。「結婚して子供をもうけて、ちゃんと向き合って育てる」という行為にボーナスを与える。ボーナスはズバリ年金の増額である。子供の数と成長期間に合わせて、また社会人となり一定期間年金やら納税やらの条件を満たす(ニート対策)ことで、その親の将来受け取れる年金額が増える。もしくは老後の社会保障の優遇など。端的に言えば納税者を増やしたのだからその一部をその親の老後に還元するのである。今の若い世代は年金払い損世代なので中々魅了的に感じてくれるのではないかと。まぁかなり反対意見も出てくると思うが、国がやるとすればこの辺りが限界だろう。やはり難しい問題である。

   
   長々と書き綴った拙いエッセイを最後まで読んでいただき有り難うございます。

*一部追記しています。

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