特別ってとても厄介
特別感、というものについて話題になったのでちょっと考えてみた。
特別感というものは厄介だなぁと個人的には思っている。
例えば自分の好きなもの、好きなひとに感じる「特別」な気持ち。
それは自分発信なのでいいとして。
ちょっと厄介なのが、その好きなもの、好きなひとから同じように「特別」にされたいという気持ち。
ときにそれは嫉妬とか惨めな感情を湧き起こさせる材料にもなる。
「特別」にされたいのにされない。
「特別とは思ってくれてそう」だけど行動として「特別扱い」されてない(と感じる)。
うまく言えないけど、ちょっとモヤモヤしちゃう。
子供のころ、私は母方の祖母と同居していた。
とても厳しい人だった。いっしょに何か遊んだりとか、出かけたりとかの記憶はあまりない。
それでも孫だから、私を特別に思ってくれてると思ってた。私も祖母が嫌いではなかった。
その祖母が、私が大人になる頃に亡くなった。
お葬式で、近所に住む私より5つ上くらいのお姉ちゃんから「おばあちゃんにはほんとに可愛がってもらって…遊びに連れて行ってくれたり、私が大変な時には優しい手紙くれたんだよ。」と言われた。
急に、もやっとした、黒い感情が胸の中で澱んだ。
私、おばあちゃんから手紙なんて書いてもらったことない。
おばあちゃんがそんな優しい言葉をかける人だなんて知らない。
どうして?私は孫なのに。
近所のお姉ちゃんの方が可愛かったの?
私よりもお姉ちゃんのほうが「特別」にされてない?
それまでわあわあと泣いてたのに、涙はぴたっと止まり、ざわざわとした感情だけがのこった。
そこからその件に関する感情は停止している。
さらに歳をとって、今なら「それは特別だとか特別じゃないとかではない」という表向きの整理はできるようになった。
でも、ほんとは、モヤモヤとした黒いものは澱んだままだ。
私にとって「特別にされていると感じる/感じない」はとても重要なことだ。
だけど、どうして「特別」を感じたいんだろう。
好きなひとからそう感じられないことが、なぜこんなに悲しいんだろう。
いくつになっても「特別」にされたい。
この感情が時には取り越し苦労で、そもそも相手発信なのだからコントロールすることは出来ないとわかっているのに。
だからこそ求めてしまうのかもしれない。
きっとずっと私は「特別感」に囚われるんだろう。
だから私にとっての「特別感」はちょっと厄介。
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