見出し画像

Happy Birthday to me …

先日、誕生日を迎えた。

実家のサポートに行く日で、事前に母から美味しいケーキを買ってくるように言われ、途中下車して評判の洋菓子店のものを求める。父のおごり。ホールケーキは食べきれないので、カットされたものを3つ。おやつ時間に私がケーキをお皿に出し、父が紅茶を淹れてくれて、父と母が声を合わせてお誕生日ソングを歌ってくれた。来年もこうして歌ってもらえるだろうか、と思う。

私の娘と息子が通った幼稚園はキリスト教系だった。そのせいなのか、月に一度のお誕生日会では、幼稚園が用意した一輪の花を、子どもが親に渡すことになっていた。生まれてきた子どもではなく、産んだ親を祝う、もしくは親にお礼を言うイベント。ちょっと感動した。

今日、親に祝われながら、そのイベントを思い出した。私も親に産んでくれてありがとう、と言おうかな、と。でも自分の気持ちとしては、育ててくれてありがとう、とは心から思うが、産んでくれてありがとう、というのは少し違和感がある。

まあまあ幸せな人生を送っていると思う。上を見ればきりがないが、色々感謝している。でも、生まれてきて良かった、というのは少し違う。生まれてきたからには、まあやっていこう、という感じ。青臭いことを言うが、人生に意味はあるのか、なぜ生まれてきたのか、半世紀以上生きてきてよくわからない。

高校生の頃、なぜ生きるのか知りたくて、心理学の本を読み漁ったりした。でも答えはわからなかった。自分を大事にしてくれる人々がいて、自分が大事だと思うと人々がいるから、まあ生きていくか、とお茶を濁した。その延長上に今の私がある。年老いた両親を見て、死を間近に感じるようになって、また高校生の頃の疑問がよぎることがある。やはり今も答えはわからない。でも大事にしてくれる人々も、大事にしたい人々も、幸い存在する。

先日読んだ小説で、そうか、と思ったことがある。私たちは人生を理解する必要はなく、ただ人生を生きなくてはならない、と。

人生を理解することはできそうにないけれど、生きていく中で、無数の選択肢の中からどう進むか自分で選び、選んだその人生をただ生きて行こうと思う。この1年、変えられることを変える勇気と、変えられないことを受け容れる冷静さと、変えられることと変えられないことを見分ける賢さを持てますように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?