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おむすび結ぶ

「限りなく透明に凛として」その言葉に出会った時、私はその左手に自分の正義、右手に自分の悪意を持ち、左右どちらにも強く引っ張られ、今にも心が切り裂けそうな時でした。

誰にでも理性では片付かない感情と言うものが有るかと思いますが、この言葉に出会った頃の私は震えるほど許せない人がいました。

憎しみは何も生み出さないと頭では解っていましたが、憎しみ製造機のようにトゲのある言葉を放り出す相手に対して、私の理性や道徳観は何もコントロール出来ずにいました。

今でこそパワハラ、モラハラと言う弱い立場を守る為の言葉はありますが、その相手と出会った頃には残念ながら私を守る言葉も逃げ込む場所もありませんでした。

長い間考えを変えようと努力したり
相手の中に光を見い出そうとしたりしましたが
自分の人生から削除したいほどの憎々しさの前では功を奏するのは無理でした。

「私は何て我儘で、小さな人間なんだろう」と
自らを責め続けていました。

そんな時、佐藤初女さんのドキュメンタリーが
テレビ放送され偶然観る機会に恵まれました。

森のイスキアに訪ねて来る人に特別な言葉も答も投げかけないただひたすら相手の話を聞き、相手を受け入れ、相手を許しているかのように見えました。

大きな衝撃を受けた私は
森のイスキアまで足を運ぶ事は出来ないので
佐藤初女さんの著書を、読み続けました。

それでも私の人生の直接的な答は、もちろん書いてありません。

でもその中で渇いた心が、みるみる間に言葉を吸収して、少しずつ潤っていくのが解りました。

憎いほど嫌いな人を好きになる方法は、結局は無くても、憎む自分を受け入れて、背中をさするように生きる術がある事を気づかせて頂きました。

出来ればお会いしてお話し出来たなら
どんなに幸せな時間だったかと悔やまれますが
書かれた数々の著書の中で、佐藤初女さんの言葉や生き方は、私を待っていてくれたような気がしました。

今も生きていく中で、立ち往生する事もしばしばありますが、そんな時は著書に何度か書かれた「人が透明になる瞬間」を思い出したり
佐藤初女さんがこだわった
「心をこめて作り、感謝していただく」ことを
思い出して乗り越えています。

お会いした事もない方ですが、著書をもって御縁が結ばれ本当に心から感謝しています。

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