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お寺の掲示板 【No.27/柊原のお寺・真宗寺/2023.4月】
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【掲示板の言葉】
梅こぼれて 桜散る 牡丹くずれて 菊は舞う
椿は落ちて 朝顔しぼむ
紫陽花しおれて 李はだれる 雪柳吹雪いて 花のおわり
では人如何(いかん) なんと云う
この人生という 花のおわりを
日本語は自然に対して豊かな表現を持っています。
花の終わりを言う表現でも、上記のような、美しい言葉がさまざまあります。
花は潔さげな花もあれば、甘い香りを放ちながら腐爛する花、冬枯れ色褪せて朽ちてゆく花もあります。実にさまざま。百花には百花の咲きざまがあり、枯れざまがあるのです。
人間もきっとそう。百人に百人の生きざまがあり、死にざまがあります。
では、そんな人間の終わりは何と言うでしょう。「死ぬ」「亡くなる」「没する」「他界する」「昇天する」「永眠する」「鬼籍に入る」「不幸にあう」……キリがありません。
さて、今月23日は真宗寺前住職の祥月命日。
5年前に「浄土に帰った」私の祖父。念仏者の生きざまと死にざまは白蓮華のようだと仏典にありますが、祖父は念仏に生き、念仏に死し、「往生の素懐を遂げました」。
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