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【民俗・歴史】親鸞と虎石

●日本中に「虎石(とらいし、とらがいし)」と称される岩石がある。その中には真宗に関係あるものもある。

① 大谷祖廟の虎石
親鸞遺愛の石で、遷化された京都市中京区善法院の井戸から掘り出され、茶色で虎が伏せているように見えたところから名づけられた。善法院が後に聚楽第の造営地となったため、虎石は伏見区深草の宝塔寺に移されたが、山科の西念寺門徒の中村半三郎が虎石を宝塔寺より買い取り、1709(宝永6)年に大谷祖廟の御廟の上に納められ現在に至る。

② 花降山大泉寺(浄土宗)の虎石
京都市下京区万寿寺通西洞院東入月見町。当地は九条兼実の別荘(花園亭)の旧跡であったとされ、帰洛後の親鸞が草庵(葭牆御坊、花園院)を営んだ(『華園文庫』)。昔は月見池、月見松、虎石、親鸞珠数掛けの梅などがあったが、中世以降は兵火に荒廃し、現在はない。



●形がトラっぽい以外に「虎石」と呼ばれる場合には、以下の考察がある。


A 模様や色柄がトラ🐅っぽいから
B トラ
🐅のように鳴いたり、吠えたという伝承があるから
C『曽我物語』の曾我十郎の愛人、虎御前にまつわるもの



※ 『曽我物語』は、鎌倉時代に富士野で起きた曾我兄弟の仇討ちを題材にした軍記物風の英雄伝記物語。その登場人物に虎御前がいる。


虎御前が石になったとか、パターンは様々。

一番有名なのは、神奈川県大磯町の延台寺番神堂にある虎石(とらがいし)。

重さ146kg。曾我十郎祐成が遊女虎御前のもとに通う夜、賊の矢を防いだため、十郎の身代わり石といわれるとか、曽我兄弟の夜討ちの成否を案じ、夜もすがら寄りかかった石とか、ここでも諸説ある。美男しか持ち上げられないという。

鹿児島にも鹿児島の三代行事として、「曽我どんの傘焼き」があったり、曽我ものに縁もゆかりもないが、各地に供養塔や墓など残っている。


謎……

→ 『曾我物語』が人気だったのはあるとして、
鹿児島とか全国の地方にまで、何で虎御前伝説や虎御前故地がある?

つまり……
「虎御前」と「虎石」って単純な接点じゃなくね?

…この謎をひもとく、第4のポイントが…



D シャーマンに関するもの !!!!

民俗学者、柳田國男によれば「トラ」は「トウロ」、「トラン」の転じた語で、「石のそばで修法する巫女の総称」。つまり「虎」とは全く別語の、「トラ」という普通名詞で呼ばれる諸国巡礼の巫女集団がいた。

民衆にとっての『曽我物語』が語る虎御前の神がかりともいえる姿と、巫女の霊験や佇まいは重なって捕らえられ、経年的にリンクしていった。

ちなみに、民俗学者、折口信夫によると、『曽我物語』の最初期の語り手は箱根権現・伊豆山権現の瞽女(盲目の巫女)だったという。鹿児島では瞽女は「ゴゼドン」と呼ばれ、門付のように町や家を渡りゆく、身近な宗教者であった。



●まとめ
「虎石」は形以外に、これらABCD、或いはその他のどれかか、これらの要素が絡み合って「虎石」たる。

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