【連載】かくれ念仏/No.23~薩摩と富山~
●薩摩と富山
かくれ念仏と富山のかかわりは周知のことである。
しかし、最近それをひょいと思い出したのは、2021年9月29日、ご門徒さんから、常盤薬品工業の「新グロンビターD」というエナジードリンクをもらった。ご門徒さんは、いろいろこういうドリンクがあるけど、これが一番効くんだと言われた。
常盤薬品は神戸に本社があるが、このドリンクは前に「越中さん」が紹介してくれたという。ここらで「越中さん」と言うと「置き薬の訪問員」のこと。本来は富山からやってくる薬売りの方を指して「越中さん」と言うのが適当なのだが、もはやその会社の所在は関係なく、配置薬の職業の方を越中さんと呼ぶのだ。まあ、もう若い人はそんな言わないだろうが…。
かつて本物の「越中さん」は全国に商域を誇っていた。なかでも遠く離れた薩摩は重要なマーケティングエリアで、専門の「薩摩組」という部署のようなものもあり、薩摩組の集会では、薩摩弁で話し合いや宴会をしていたという。なぜこんなにも越中さんは薩摩を大事にしたのか。理由は大きく二つある。
一つは、琉球や大陸と独自のコネクションを持っていた薩摩には、生薬に用いる貴重な原料や、珍しい薬剤、また最新の製薬技術や知識が集まってきていた。薩摩はこれを買い付けたり、情報収集をするのための、唯一無類のホットスポットであったわけだ。
そして、もう一つの理由は、薩摩も富山も真宗念仏篤信の地であったからだ。越中さんは、信仰を同じくするもののために、自らの危険も顧みず薩摩に入り、薬を販売した。また、その背負い籠に忍ばせた小型の御本尊を取り出し、法座を結ぶこともあったという。こうして越中さんは、薩摩門徒の心身を、薬で療し、仏法で治した。
現代では、この両県の薬の縁、法の縁におけるつながりは正直希薄である。しかし、地の方の日常語の中に、親しみと尊敬の念のこもった、「越中さん」の語は生きている。
私は、新グロンビターDを飲んで、その日の勤めへと振起した。
了