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ロシア凍結資産、ウクライナ支援に充当へ

欧州連合(EU)は1日開いた臨時の首脳会議で、制裁で凍結しているロシア中央銀行の資産をウクライナ支援に使う方針で一致した。資産が生む利子の活用を検討する。米欧で「支援疲れ」が広がるなか、資金源を確保するとこのと。

要約文

欧州連合(EU)は、制裁で凍結しているロシア中央銀行の資産をウクライナ支援に充てる方針で首脳会議で合意した。この資産から生まれる利子も活用される予定で、ウクライナへの支援金として2024年から2027年の間に500億ユーロ(約8兆円)の一部が充てられる可能性がある。EU内にある凍結資産は約3000億ドル(約44兆円)で、その大部分はベルギーの決済機関ユーロクリアが管理しており、2023年にはロシア資産による利子収入が44億ユーロを記録した。今後4年間で150億〜170億ユーロをウクライナに提供できる可能性があり、この措置は米欧の「支援疲れ」を背景に議論が加速している。ただし、この資金使用は国際法上の問題やロシアからの報復の可能性など、いくつかの懸念をはらんでいる。

ロシアの勝利?による影響

この社説は、ロシアによるウクライナ侵攻の長期化に対する懸念を表明しています。西側諸国内に終戦ムードが広がりつつある中、ロシアの占領を受け入れる形での停戦を許容すべきではないと主張しています。ウクライナへの支援は、国民が求める限り続けるべきだと強調し、米国の支援が停止するリスクやトランプ候補の大統領選勝利による懸念を指摘しています。また、主権、領土一体性、人権尊重の基本的原則が侵されることの危険性と、それがアジアでの同様の事態を招く可能性を警告しています。日本にとっても、ロシアとの関係、特に経済面での影響、エネルギー調達の問題、平和条約交渉の停滞など、多くの負の側面があるとして、ロシアの「勝利」は許容できないと結論付けています。

ウクライナ侵攻の原因

2022年2月に始まったウクライナ侵攻の原因は複数あり、その長期化にもいくつかの理由があります。

### 原因
1. **地政学的競争**: ロシアはウクライナのNATOへの接近を脅威と感じていました。ロシアは自国の西側境界線近くにNATOの拡大を阻止しようとしていました。

2. **ロシアの安全保障上の懸念**: ロシアは、NATOの東方拡大とウクライナの欧米との関係強化に対して、自国の安全保障が脅かされると主張していました。

3. **ウクライナの欧米志向**: 2014年のウクライナの政変後、ウクライナは欧米により近づき、EUとの関係を深め、NATO加盟にも関心を示していました。これは、ロシアの影響力を排除しようとする試みと見なされました。

4. **歴史的・文化的結びつき**: ロシアは、歴史的にも文化的にもウクライナと深い結びつきがあると主張し、特に東部ウクライナのロシア語話者の保護を名目に侵攻を正当化しました。

### 長期化の理由
1. **軍事的抵抗**: ウクライナ軍と民間の抵抗は予想以上に強力で、ロシア軍を停滞させました。

2. **国際的支援**: ウクライナは、欧米諸国を含む国際社会からの軍事的、経済的、外交的支援を受けています。これがウクライナの抵抗を可能にし、戦争の長期化に寄与しています。

3. **ロシアの目標の曖昧さ**: ロシアの戦争目標が変遷し、時には明確でなく、戦略的な方向性が不明瞭な場合がありました。これが効果的な戦略の実行を困難にし、紛争を長引かせています。

4. **国際的な制裁と外交的孤立**: ロシアに対する広範な国際的な制裁と外交的孤立は、紛争の解決を複雑にしています。これらの制裁はロシア経済に重大な打撃を与えている一方で、軍事的な行動を止めさせるには至っていません。

5. **情報戦とプロパガンダ**: 両者が情報戦とプロパガンダを展開していることも、紛争の認識と解釈を複雑化させ、長期化に寄与しています。

これらの要因は相互に関連しており、複雑な状況を生み出しています。結果として、紛争は簡単に解決できるものではなく、長期化のリスクを高めています。

第二ミンスク合意

第二ミンスク合意は、ウクライナのドンバス地域における紛争に対する合意です。この紛争は、2014年※にウクライナの首都キエフでの政権変更後に始まりました。新しいウクライナ政府に対する反発として、ウクライナ東部のドンバス地域(ドネツク州とルガンスク州を含む)で親ロシア派の分離主義者が武装蜂起しました。これに対してウクライナ政府は軍を派遣し、紛争が激化しました。

紛争は、ウクライナとその主権、領土の一体性を支持する国々と、分離主義者を支持し、時には直接的な軍事介入も行っているとされるロシアとの間の地政学的な緊張を反映しています。第二ミンスク合意は、この紛争を解決し、平和を回復するための国際的な努力の一環として成立しましたが、合意の完全な履行には至っていません。


2014年の政権交代は、ウクライナで「ユーロマイダン」と呼ばれる一連の抗議活動の後に起きました。これらの抗議活動は、当時のウクライナ大統領ビクトル・ヤヌコビッチが、欧州連合(EU)との連携を深める協定に署名することを突然拒否し、代わりにロシアとの関係強化を選んだことがきっかけで始まりました。

ユーロマイダン抗議は、政治的、経済的、および社会的改革を求めるもので、特にウクライナの欧州統合と民主化への願望を表していました。数ヶ月にわたる抗議の後、2014年2月にヤヌコビッチ大統領は国を離れ、政権は親欧米派の指導者に移りました。

この政権交代は、ウクライナがロシアとの緊密な結びつきから欧米とのより強い関係を模索する方向に舵を切ったことを意味しました。しかし、この変化は、特にロシア語を話す人々が多数を占めるウクライナ東部の一部地域では受け入れられず、これがドンバス地域の武装蜂起と後の紛争へとつながりました。ロシアは、この政権交代を「クーデター」と呼んで非難し、ウクライナの新政府を合法的なものとは認めていませんでした。

補足

第二ミンスク合意は、ウクライナ東部のドンバス地域での戦闘を終結させるために、2015年2月12日にベラルーシの首都ミンスクで署名された和平協定です。この合意は、ウクライナ政府と親ロシア派の分離主義者間の紛争を解決する試みの一環として、フランス、ドイツ、ロシア、ウクライナ(いわゆる「ノルマンディー形式」の国々)のリーダーたちの仲介のもとで成立しました。

第二ミンスク合意には、以下の主なポイントが含まれています:

1. **完全な停戦**: 協定の直後に停戦が実施されること。

2. **重武器の撤退**: 戦闘ラインから一定距離内の重武器の撤退。

3. **OSCEの監視**: 欧州安全保障協力機構(OSCE)による停戦と重武器撤退の監視。

4. **地方選挙の実施**: 分離主義者が支配する地域での地方選挙の実施。

5. **特別地位法の採用**: ドンバス地域に対する特別地位を認めるウクライナ法の採用。

6. **全ての人質と非合法に拘留された人々の解放**: 人質や拘留された人々の交換と解放。

7. **人道的援助の提供**: 戦闘地域への安全なアクセスを通じての人道的援助の提供。

8. **ウクライナの国家統制の復元**: ウクライナ政府による国境管理の完全な復元。

この合意は、2014年9月に署名された第一ミンスク合意の後継として成立しましたが、その実施は困難であり、停戦違反や合意の完全な履行に関して両側から多くの違反が報告されています。その結果、ドンバス地域の緊張は継続しており、この合意は完全には実施されていません。

感想

日本の報道ではウクライナ侵攻について、しばしばロシアを一方的に非難する声が多いですが、客観的な情報分析が必要だと考えます。侵攻によって多くの人々が犠牲になっている現状は決して受け入れることはできません。しかし、無意味に侵攻が行われるわけではなく、ロシアとウクライナの長年にわたる関係や地政学的背景を理解することが重要です。個人的には、この問題が早期に解決されることを強く望んでいます。その理由は、私の親族がクリミアに住んでいるからです。数年前に訪れた時、クリミアは美しい町並みと自然に恵まれた素晴らしい場所でした。また、黒海沿いのビーチも魅力的でした。今年、子供がクリミアを訪れて親族に会いたいと考えていますが、親としての立場から安全性を考慮すると、この計画を承認するかどうかは非常に難しい判断です。

ヤルタ会談が行われた場所(クリミア)

ヤルタ会談

ヤルタ会談は、第二次世界大戦の終盤、1945年2月4日から11日にかけて、ソビエト連邦のヤルタ(現在のウクライナ、クリミア半島に位置)で開催された重要な国際会議です。この会談には、アメリカ合衆国のフランクリン・D・ルーズベルト大統領、イギリスのウィンストン・チャーチル首相、そしてソビエト連邦のヨシフ・スターリン書記長が参加しました。

ヤルタ会談の主な目的は、戦時中の同盟国間で戦後のヨーロッパの再編について合意を形成することでした。具体的な議論のポイントには以下のようなものがありました:

1. **ドイツの処遇**:戦後のドイツの分割占領や管理方法についての合意。

2. **国際連合の創設**:戦後の平和維持のための国際機関の創設に関する討議。

3. **ヨーロッパの国境線の再編**:特にポーランドの国境線に関する議論。

4. **戦後の日本との戦い**:ソビエト連邦の太平洋戦争参加の条件。

5. **東欧諸国への影響**:戦後の東欧諸国におけるソビエトの影響力拡大への道筋。

ヤルタ会談は、戦後の世界秩序の基礎を築く上で重要な役割を果たしましたが、会談での決定が冷戦の原因の一つとなり、特に東欧諸国のソビエトによる支配を確立する結果につながったと広く見なされています。このため、ヤルタ会談はその後の歴史の中で論争の的となることもあります。

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