Live my life

少し前までフツーの主婦だったわたし。心揺さぶられるひとと出会い、わたしの心と身体は旅に出て、気がついたら、、ラブホにいた…! そう、ラブホです。そうして、また、新しい扉が開いた。

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少し前までフツーの主婦だったわたし。心揺さぶられるひとと出会い、わたしの心と身体は旅に出て、気がついたら、、ラブホにいた…! そう、ラブホです。そうして、また、新しい扉が開いた。

最近の記事

正しい復讐の仕方

少々物騒なタイトルですが、これ、とある漫画の題名をお借りしたものです。 最近の漫画では、浮気されたり、疎まれて酷い仕打ちをされ捨てられた王妃や彼女が、転生して人生をやり直す作品が本当に多いのです。 やり直す過程で、捨てられるより、先にこちらから見切りをつける、前向きに歩いていこう、といった姿に、いつしか捨てた方の皇帝が逆に惹かれてきたり、ヒロインを慕う別キャラの男性が現れたり、はたまた、そんな彼女を見た元彼の浮気相手の女性が面白くないのが、見ているこちらは痛快な気持ちにな

    • ペットショップの店員さんの気持ち

      犬を飼っていました。もうおじいちゃんになったけれど、小型犬で赤ちゃんのように愛らしく、私が元いた家に今もいて、家族が留守の間、日向ぼっこをしたり、庭に入ってくる猫に吠えたりしているのでしょう。昔のまま。 その子をペットショップから迎えた日のことをふと思い出しました。 一週間かけて、その子を迎える準備をしました。いよいよその日になり、最初の時からずっと担当してくださっている、まだ若い男性の店員さんがその時も対応してくださいました。  犬を飼うにあたっての設備の確認や、心構

      • オオサンショウウオの見る夢

        昨年の紅葉も終わりの頃、わたしは、生まれて初めて、オオサンショウウオに出会いました。 いつからそこにいるのか、捕らえられ、何もない、石も、水草もない、ただガラスだけに囲まれた水槽の中にオオサンショウウオはいました。置き物や、化石のように、身動き一つせずただじっと、そこにいました。 すぐそこに、ふるさとの湖があるのに、帰ることもできず、何年くらいそこにいるのでしょうか。気が遠くなるくらいの年月を、来る日も来る日も、そこでそうしていたのでしょうか。 可哀想という気持ちと、捕

        • あれほど別れたくなかった人が再び現れても、会いたいと思わない不思議

          先日、失恋について書きました。偶然なのか次の日、お別れしたその人が、アパートを訪ねて来たのです。お別れしてから半年くらい経っていました。わたしはちょうどその時シャワーを浴びていて、チャイムの音に気がつきませんでしたが、夕方メールが届いていました。 今日アパートに来たこと、インターホンに映っているだろうから驚ろかせてはいけないとメールしたことが書かれていました。 その見覚えのある文面を見た瞬間、心臓がバクバクいい、息が苦しくなったのです。 その人はまだ過去のあの時点に変わ

          月夜の晩に。パートナーさんとの幸福な時間。

          パートナーさんと月を見に、湖のほとりに行きました。 パートナーさんの買ったばかりの折りたたみの椅子とテーブルに、ノンアルビールとおにぎりを並べて、明るく輝く月を2人で座って眺めました。 月を静かに並んで見ていると、夏の賑やかさや慌ただしさが、過ぎ去っていったんだなと感じました。 横を見ると、月明かりに、パートナーさんの顔が見えました。眉毛がルパン三世の眉毛に少し似ています。出会ってからまだ半年も経っていないのに、いつの間にか慣れ親しんでいた、優しい表情でした。 月明かり

          月夜の晩に。パートナーさんとの幸福な時間。

          失恋。私の場合。

          失恋、それは、何という胸の苦しみ。胸の痛み。 失恋て、こんなに辛いの?世の中の失恋した人は、本当にみんなこんなに苦しい経験をしているの?これを乗り越えられる人がいるの?すごい。 初めて味わったこの耐え難い苦しさに、世の中の失恋を経験した人や、果敢に乗り越えようとしている人に、ましてや経験談として話せる人には、偉業を成し遂げた偉人に対するような尊敬の念すら感じました。 いま思うと、失恋の苦しみは、大好きな人を失うことが悲しいと言うよりは、慕っている人に拒絶される、自分が否定

          失恋。私の場合。

          浦島太郎は、なぜ、故郷の島に戻ったのでしょう。

          浦島太郎は、竜宮城で、毎日乙姫様たちにもてなされ、美味しい物を食べたり、歌ったり踊ったりして楽しんでいたのに、どうして故郷の島に帰ったのでしょうか。 家族のことを思い出したのでしょうか。友だちや知り合いに、会いたくなったのでしょうか。 慣れ親しんだ故郷を思い出し、ホームシックになったのでしょうか。 美しい乙姫様でさえも、留めておくことはできない、故郷への想いとは、何でしょうね。 人は飽きやすく、変化や刺激を求めるけれど、一方で変わらないものに安心もする。 故郷は、慣れ

          浦島太郎は、なぜ、故郷の島に戻ったのでしょう。

          この瞬間を、小さく折り畳んで小瓶に詰めたい

          夕べ、急に悲しくなって目が覚めました。 昨日、またパートナーさんが遊びに来てくれたのですが、 玄関を開けて入ってきた時のパートナーさんの姿がとっても印象的で、 いつものようにドアチャイムが鳴り、 わたしは走って行ってドアを開けると、そこにはいつものパートナーさんの笑顔があり、いつもの様に「ただいま〜」と言って、 昨日は、ギターを立てる支柱を買ってきてくれて、ギターを立てかけた部屋はとってもカッコよくなり、それに昨日はギターも教えて貰って、 一体これのどこが、何が、悲し

          この瞬間を、小さく折り畳んで小瓶に詰めたい

          マディソン郡の橋のフランチェスカは…。その時、わたしは…

          むかし、「マディソン郡の橋」という映画がありました。 田舎に住む平凡な主婦のフランチェスカが、家族が牛の品評会に出かけている間に、その土地にある屋根付きの橋の写真を撮りに来たというカメラマンと出会い、恋に落ちるという、地味で真面目な奥さんの、世間的にいうとフリンのお話です。 この映画が話題になったのは、わたしが20代の時でした。わたしは映画は観ていませんが、原作を貸して貰って読みました。 若いとは言えない二人の恋は、とくにフランチェスカの方は、味気ない生活が一変する程の出来

          マディソン郡の橋のフランチェスカは…。その時、わたしは…

          カゲロウの生涯は、儚いのか。

          カゲロウ。 何処へいく、というわけでもなく、玄関先などで、パタパタと羽をバタつかせるカゲロウを見たことがあると思います。 彼らには、口がない。 地上に出てからの彼らの生涯が、あまりにも短い為に、食べる必要がないのです。だから、消化器官そのものがないのです。 儚さの象徴のようなその生涯は、特にわたしが今住んでいる県で見られるというオオシロカゲロウの成虫での寿命は、「一日」ではなく、実際は「数時間」だといいます。 この短い生涯を、果たしてわたしたちは、自分たちの一生の長さ

          カゲロウの生涯は、儚いのか。

          遊ぶ、ということ。

          先日、知り合いの人に誘われて、女同士ふたりで県外にドライブに行きました。  道中、道沿いの下に川が流れていて、覗くように見下ろすと、河原の石が見えました。 私が、今住んでいる県は、川べりに草が生い茂っているのをよく見かけ、あんな風に無数の小石が散らばった河原を見るのは久しぶりでした。 それを見ながら、昔、夢中できれいな石を探したことを、思い出しました。 その時の、心躍る気持ちも。 雄大な川、千曲川。 その川幅の大きいこと。そこで釣りをしている父の側で、子どものわたしは

          遊ぶ、ということ。

          浮き草のようなわたしを捕まえてくれた緊縛

          誰のことも所有せず、また、自分自身も誰にも所有されずに生きる。 それは、とても自由なようで、肉親や友だちなど、頼る人の全くいない土地でひとりでいる場合には、ある意味過酷な状況と言えます。 自由には二つの要素があると、わたしは思います。一つは自由になることそのもので、もう一つは、そうして手に入れた自由でしたいことをすること。その二つはセットで、片割れがないのなら、せっかくの自由が眠ってしまうように思うのです。 果たしてわたしは、自由になる為に、元いた場所を飛び出しました。目

          浮き草のようなわたしを捕まえてくれた緊縛

          今日は夏至

          夏至はわたしにとって、特別な日です。 振り返ったとき、意味のある特別な日は、人生の中では一つではないと思うので、 今日は「特別な日の一つ」ということになりますが、去年のこの日、わたしは、この地に初めて降りたったのです。そうして、わたしの人生は、大きく道を変えていくことになりました。 ごくフツーの主婦だったわたし。優しい旦那さんに、かわいい子どもも大きくなり、これからもこの生活は変わることなく、不自由なく、平凡に、穏やかに、妻、母という役割を全うして、人生を終えるはず…だった

          今日は夏至