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ペットショップの店員さんの気持ち

犬を飼っていました。もうおじいちゃんになったけれど、小型犬で赤ちゃんのように愛らしく、私が元いた家に今もいて、家族が留守の間、日向ぼっこをしたり、庭に入ってくる猫に吠えたりしているのでしょう。昔のまま。

その子をペットショップから迎えた日のことをふと思い出しました。

一週間かけて、その子を迎える準備をしました。いよいよその日になり、最初の時からずっと担当してくださっている、まだ若い男性の店員さんがその時も対応してくださいました。 

犬を飼うにあたっての設備の確認や、心構えやその子の性質や身体のこと、食事や運動、トイレのしつけの仕方などをお話ししてくださいました。

まだ生後2ヶ月の小さなその子のおでこは、通称ペコと言って、まだ泉門が閉じてなくて(触れるとペコペコと柔らかいのでペコと呼ぶそうです。)、その〝ぺこ〟を優しく撫でたときの店員さんとその子の間に、まだ新参者の私たちとの間にはない、何か特別な、温かい雰囲気が漂っている気がしたのです。
この人は、この子がここに来て以来、形式的な仕事だけてはなく、きっとこの子を沢山可愛がってくださったのだろうな、と感じたのです。

だから、その気持ちを受け継ぐような、厳かな気持ちにもなりました。

ペットショップの店員さんとは、どんな気持ちなのでしょう。
飼い主の気持ちひとつで、これから送り出す子たちの運命が決まってしまう。
無邪気で無力なこの子たちの運命を握っているのは、この社会、このシステム、人間たち。

ペットショップは不自然で今となっては不本意にも感じるけれど、そこ(売り場など見えている部分は)ある意味、少なくともまだ安全で、ここを出たらもうそこは、人間によって命が左右される世界。
この子たちには、どんな生涯が待ち受けているのか。年間一万の殺処分になる子たちのいくらかも、最初は、同じように優しい店員さんに見守られ、送り出されたのではないか。

かわいい子たち、どうか、どうか、幸あれ、

そんな気持ちで、今日も送り出しているのだろうか。

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