「事業者」とは何か

「所詮棒持って突っ立ってるだけのくせしやがって!あんたは俺たちにただ金を渡すだけだ!」土木工事を行う労働者らは、あまりの工事の苦しさに疲弊し、この言葉を叫んで工事現場を離れていく。「お前ら、俺らのことをそんな風に見ていたのか・・」

 週末に、『黒部の太陽』という映画を見た。時代は1956年、黒部ダム(黒部第四水力発電所、通称“くろよん”)の建設、特にトンネル工事の苦悩を描いた映画である。主人公は2人、関西電力で本事業の事務所次長を任された北川(三船敏夫)と、第三工区を任された建設業者・熊谷組の岩岡(石原裕次郎)。この映画は「敗戦の焼けあとから国土を復興し文明を築いてゆく日本人たちの勇気の記録」であり、“インフラ事業のあり方に関する戦前と戦後の違い”というのも一つのテーマとなっていた。電力インフラ事業を営む私としてはとても勉強になったし、個人的に今とあるアジアの国で水力発電案件の開発を進めているところなので、身が引き締まる思いだった。

 この工事は、当時日本で一番難しいものであった。その一番の要因は、フォッサマグナが通っている断層帯、“破砕帯”をトンネルが通過する必要があったことである。この破砕帯に加え、その地形の難しさから地層の十分な情報を収集し切れておらず(映画の中で何度も、トンネル工事の初期調査をする隊員が崖から落ちるシーンが回想シーンとして出てくる)、入札形式にして応募をかけても業者から見積りの目途が立たないため、「関電の作る設計を受けさせる、受け入れられる業者にやってもらう」という無理筋な状態で建設業者5社が決まった(今じゃ考えられない・・)。まず初めに関電から建設業者に告げられたのは、「犠牲者を出さないように」の一言。

 このような状況下、主人公の北川は不安になり社長に辞退したいと告げるが、「火力を中心とする現状、ピーク時の調整能力を持つ大きな水力発電が必要。そんなことは君も分かっているはずだ」と丸め込まれてしまう。資本金130億円の関電が400億円の工事をやる。社長からは「事業というのは、経営者が10割の自信を持ってやるものではない。7割の成功の見通しがあったら勇断をもって実行する」と信念を示される。建設業者の一社である熊谷組の岩田は「親父は自分のために土木工事をやっている、他人の命なんて気にしていない」と思い込んでおり(実際にそのような背景で兄を失くしている)、親と大喧嘩になる。しかし北川は、「過去にはそのようなこともあったかもしれない(日本軍の指示で、死んでもモノづくりのために発電所の早急な建設が必要だった)。しかし、彼らの次の時代を切り開くこと(安全にインフラ工事を進めるやり方を模索すること)の方が大事だ」と主張する。自分の目でその工事の進め方を確かめたい気持ちになった岩田は、元々図面屋(設計者)であったにも関わらず、自ら工事の前線に行く決意をする。

 3時間20分にも及ぶ長編映画であるため詳細は割愛するが、予期していた通り破砕帯にぶつかり工事が停滞し、死者を出してしまう。そんな中、溜まり切った疲弊を爆発させた労働者から出た一言が、冒頭の「あんたら親子は所詮突っ立ってるだけなんだよ!」という言葉である。対事業者ではなく対指導者(今回は建設業者のトップ、現場監督)であるが、電力事業において「事業者」としての役割で案件に取り組んでいる総合商社で働く私にとっても、正直なところ建設に直接関わるわけではないし、「所詮突っ立っているだけ」と言われても明確に言い返せないと同時に、「いったい事業者の価値・役割って何なのだろうか」と改めて考えさせられた。
 
 私は電力インフラ事業に携わって5年目になる。3ヵ国で様々な発電所、工事現場を見てきたし、建設業者とも数多く関わってきたが、それでもまだまだ①「事業」に対する建設業者・その下で働く労働者の感情を理解できていないと感じ、②インフラ建設の壮大さ・そこに潜む危険性の大きさも身に染みた。関係者の数がとても多い(政府・銀行・住民・アドバイザーなど)中で、その関与する濃度・感度が薄れてしまっているのか、いかに壮大な事業であり、またいかに危険を孕む事業であるのか、インフラ事業をやる上で本質的な所をガツンと見せ付けられたような感覚になり、ゾクゾクした。建設工事における安全基準なんてこれっぽちも理解していなかったと痛感した。

 言葉の定義を見てみると、「事業」とは”同種の行為を反復・継続・独立して行う事”(国税法令)、「事業者」とは”事業を行う者で、労働者を使用するもの”(労働安全衛生法)となっている。さらに、事業を進めた結果出来上がったものを利用するユーザー・行政(市町村など)という別の確度から見た場合、事業者は「(労働者・利用者・ルールメーカーなど)さまざまな声に耳を傾き続け、(その声に合わせて)事業を少しずつ変化させていくこと」、そこに役割・価値があるということだろうか。確かに、日本でも途上国においても、国が事業を進めてよいと判断しなければ事業を行うことはできない。法令の整備を含む政府の承認・納得をもらいながら、必要な人・資金を集めて、「事業に関わるそれぞれのプレイヤーが力を発揮できるような&事業の恩恵を受ける利用者が満足できるような事業の素地を作ること」、というように事業者の役割を言い換えることもできるかもしれない。

 これから少なくとも1年は、コロナの恐怖とともに生きていかなければいけない。自粛を続けていては、社会全体が停滞してしまう。「事業者」が果たすべき役割はとても大きい。感染拡大は徹底的に防ぎつつも、「事業者として」いろいろな方の声に耳を傾け、世界と連携し知恵を出し合い、世の中に必要とされる事業を開発し、推し進めていきたい。「所詮突っ立ってるだけ」と言われないように。

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