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中国SNSでバズって中国の騎楼がどこにあるかまとめてみた話

騎楼について

まず、私は「騎楼」が大好きである。騎楼とは中国語で、長屋状の建物の2階部分が1階部分の通路上にせり出すことで連続した軒下部分を作り出しアーケード状になっている近代建築をいう。これらは、中国大陸南部・香港・マカオ、台湾、華人の住む東南アジアの都市などに見られ、シンガポール、マレーシア等の南洋ではショップハウスと呼ばれる。

中国泉州の騎楼(2019年)
中国泉州の騎楼群(2019年)
中国泉州の騎楼群(2019年)
中国潮州の騎楼群(2019年)
中国潮州の騎楼群(2019年)
中国潮州の騎楼群(2019年)
シンガポールのショップハウス群(2023年)
マレーシア クランのショップハウス群(2019年)

これらは、書籍によると、もともと英国の海峡植民地であったペナン、マラッカ、シンガポールで植民地政府がその規格を定めることで整備が進められ、それらの地域に多く存在していた華僑・華人が中国南方の故郷の地に持ち帰り中国南部でも多く建設された。また、海峡植民地ではなかったタイのプーケットなどにもみられ、移民の手により南洋域内でも広まったことが伺える。東南アジアではその強い日差しやスコールを避けられることから普及し、また同様の理由で中国南部でも普及したのではないか。

個人的には、欧州と中国それぞれを感じさせる要素が混合したその意匠がとても魅力的だと感じている。例えば欧州風のアールデコ調を取り入れつつも屋根の断面が中国伝統建築の様式をしていたり、中国語の縁起の良い言葉が飾られていたり、中国南方の廟や家屋に見られる剪粘(Jian Nian)や嵌瓷(Qian Ci)と呼ばれる磁器の破片を使った装飾が使われていたり。また、そのような意匠には新時代への希望が込められていたのではないか、そういった時代背景も普及した要因としてあったのではないか。SNS上では、中国南部では南方から持ち込まれた騎楼の意匠に対し「南洋風」と呼ぶ人も多いようだ。

シンガポールのショップハウスに見られる中国式の装飾

中国SNSで

騎楼があまりにも好きなため、中国SNSで「騎楼が好きだ、旅行する際の参考としたいのでどこにあるか教えてください」と、騎楼があることを知っているいくつかの地名を挙げつつ投稿をしたのだが、意図せずその投稿がバズってしまい、ここにもある、ここにもあると1,000件以上のリプライが来た。中国も誰かが何かを言ったことに対してああだこうだというのが好きなようだが、まさにその形に当てはまってしまいリプライが多くきてしまったようだ。事情によりその投稿は非公開にしたのだが、せっかくなので個人的な旅行の参考用に地図にまとめることにした(地図にすることは主たる目的ではなく、繰り返すがせっかくなので個人的な旅行の参考用にまとめるだけである)。地図上のピンと地名を同時に表示する方法を知らないので暫定版として完全手作業によるビッグデータ処理(笑)を行った。

リプライには騎楼の存在する各都市名だけでなく、その都市内の地区名や特にどこがどのような雰囲気でおすすめだとか、いわゆる商業化された(きれいに改修されすぎて味気ない)騎楼街なのかもしくは昔ながらの生活感のある騎楼なのかについてのコメントなどを多数頂いたのだが、情報として処理しきれないため、まずは地名を地図に落とし込むに留めた。コメントの一部は後段で紹介する。

こちらが、Google Map上に地名を張り付けたものである(Google Mapが使える地域に住んでいるためGoogle Mapを使用しているが、そもそも中国ではその使用が認められておらず、それはご留意頂きたい)。市や県のランクを示す市・県級は意識しておらず、異なるレベル感の都市名がプロットされている点も容赦頂きたい。吹き出しの指す場所も必ずしも正確ではない。

中国の騎楼(個人的な旅行の参考用)

そして、まとめてみて思ったのが、1) 華僑・華人が持ち帰ったといっても、これほどまでに多くの地域に見られることに驚くこと、2) それらは南洋における華人の出身地名とかなり重複していることからも華僑・華人が持ち帰った説が正しそうなこと、3) 沿岸部だけでなく内陸にも存在しており、広州、厦門などの大都市から内陸へ波及していった可能性もあること、が伺える。

SNSで頂いたコメントをいくつか紹介したい。

広州に多くある。以前大雨のときにお店(士多)でアイスクリームを買い騎楼の軒下で外の大雨を眺めていたのを思い出す。

上海金陵東路はかつて上海の楽器街で、ネットショッピングがなかった時代には誰もが楽器を買うためにそこに行ったが、その後楽器街は周辺の街区改造とともに消えてしまったな。

高州市の通りはアーケードで構成されているが、その多くは時間の経過とともに取り壊され、いくつかの粗末なアーケードが残っているだけ。

南寧の中心にももともと多くの騎楼があったが、区画整備により壊されてしまった。

江門市開平のアーケードは非常に古く、ほとんどが修復されておらず、数キロにわたって続くアーケードはすべて時間の痕跡です。子供の頃、本当に美しくてため息ばかりでした。

江門のアーケードは比較的オリジナルのままで、復元された形跡はあまりありません。星匯歩行街の夜景は映画の範囲を超えています。

広州、旧市街のアーケードの下には、正月用品や春節の対句、書道や絵画などを販売する老舗がたくさんあり、楽しい雰囲気が漂っています。また、路上や商店街で本格的な広東料理を簡単に見つけることができます。

福州では茶亭街が取り壊されてしまいました。当時高齢者達は納得がいっていませんでした。福州にはもうアーケードがありません。

普寧洪陽鎮は、他の主要都市や商業港のアーケード街ほど有名ではありませんが、ここの町の中心部にはアーケードが多数あり、装飾の細部には中国の地元の特徴的な要素が多数使用されています(梅、蘭、竹、菊などのレリーフ、潮州象嵌磁器工芸品、様々な書体で書かれた店舗の銘板など)、そして洪陽の実際のアーケードはまだ「生きています」。地元住民は普通に生活しており、店を開いたり商売をしたりしているが、とても生活感があります。

梧州の河東老街には今でも人が住んでいますが、一部は取り壊されて再建されていません。梧州は世界最大の騎楼群であることに加えて、明代と清代の古い建物がある、 2 つの異なるタイプの建物が存在する住宅街となっています。また、古い建物と修復されていない建物があり対照的です。

潮州人は五脚giと呼びます

(ブログ記事筆者である私による注):
五脚gi=五脚基(潮州語や福建語でGoh ka ki)とは、南洋ではショップハウスのアーケード下の通路部分を示す。これは、脚基 = Kakiはマレー語で足の意味であり、「五脚基」が英国植民地政府が定めた5フィートの幅を持つアーケード下の通路部分を指すからだ。つまり、マレー語を含む呼び方まで南洋から潮州へ輸入されたといえるのではないか???

騎楼について初めて知ったのは学校の国語の授業で先生が"永遠的蝴蝶"という小説を朗読してくれたとき。深く印象に残っている。

学生時代、卒業論文で騎楼をテーマにしました!

学生時代、騎楼の良さを伝えるウェブサイトを作りました!

コメントから、心象風景としての、現在存在している/改修する前の姿で存在していた/かつて存在していた騎楼を垣間見ることができた。またコメントからは、かなりの地域で政府による一部取り壊しや、老朽化によって人が住まなくなってしまったところ、「商業化」により従来の味わいがなくなってしまったことを、「残念」だったり「当時の騎楼への懐かしさ」を感じている人々も多いのではないかと感じた。いつの時代、国でもある話ではある。日本の商店街も同じだ。一方で、「商業化」せず、人々の生活感が漂い味のある、オリジナルな騎楼が残る地域もまだまだ多くあるようだ。都市化が進み多くの住民が集合住宅に居住するようになるなかで、全ての騎楼をきれいにメンテナンスし続けるのは難しいことだし、騎楼に限らず、中国だけに関わらず伝統建築は同じような課題を持っているように思う。シンガポールでも人口増加に対応するために都市開発の過程で多くのショップハウスを取り壊し、近年になりその歴史的価値に気づき保存の取り組みがなされている。

参考:
シンガポールでショップハウス保存のワークショップに参加した話|LiveinAsia (note.com)

最後に

この壮大な南洋と中国南部の間での人と文化の交流、中国南方で騎楼の建設を企図した人々、そこで生活する人々が抱いたであろう新時代への期待感を想像するとロマンを感じずにはいられず、今回まとめてみた一個一個の地名を見るたびに胸がときめいてしまうのである。全て回るには人生はあまりにも短いが数年以内にいくつか回ってみたいと思っている。

ちなみに、SNSでのリプライで「京海市」と回答してくれた方が多くいたのだが地図で調べても出てこず、これは実は最近とても流行したドラマ「狂飙(Kuang Biao)」に出てくる架空の市の名前であった。このドラマは広東省江門で撮影され、劇中に騎楼のある風景が多く登場する。ドラマは2000年代の中国南部が舞台で、腐敗した地方政府と癒着する裏社会、そのような時代背景のなかでそれぞれ強く生きる人々を描いている。

ドラマ 狂飙 の撮影された江門市


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