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流れに身を任せて生きる

昨日、大家さんのアンドレアから「ちょっと話があるんだけど、時間作ってくれる?」と連絡が来た。

こんなことは初めてなので、「私、なにか悪いことしたかな? 暖房使い過ぎた? それとも、大きな声で喋りすぎて、近所からクレームが来た?」と、ドキドキしながら、打ち合わせの予定の時間を待った。

結論として、大家さんのお母さんが夏から数ヶ月間、この街に来る事になったので、夏までしかこの部屋を貸せなくなってしまった、という話だった。

実はこの話は突然のことではない。
そもそも昨年の秋にこの部屋を借りた時から、「本当はこの部屋は賃貸しする用ではなく、母が来た時に寝泊まりする用の部屋なんだ。でも、今はコロナで親がなかなか来れないから、しばらく使ってもいいよ」という条件で借りていた。
ただ、「しばらく」というのがいつまでなのかは、私も大家さんも昨年の時点では分かっていなかった。
それは社会情勢に寄るところが大きかったので、「まぁその辺はテキトーにやりましょうや」という話になっていた。

その「しばらく」の終わりが、ついに来たのである。
この状況、少し前の私だったらだいぶ焦っていたと思う。なぜなら、何度も繰り返してしまうけれど、オランダで部屋を探すのは、本当に大変だから。
(どのくらい大変かというと、正規の大学&大学院留学生達でさえ部屋を見つけることができず、大学側からも手配が不可能で、少なくない学生達が普通のホステルに寝泊まりし、大学に通っている、という状況。かなりクレイジー。)

しかし、私は焦るのとは逆に、「流れに乗れている」と安心した。
なぜなら、この話を告げられる1週間くらい前から、私の中で、「そろそろ、この部屋から引っ越す時かもしれない。というか、引っ越そう」と心を決めていたから。
ただ、いつ引っ越すべきかは、まだ自分の中で分からなかった。だから、「分からない時は、決めなくて良い」という、自分の経験から学んだ法則に従い、時期については特に考えずにいた。

そんな中での、大家さんからの話だったので、「引っ越すべき時が、知らされた」と感じたのだ。
たぶん私は、この部屋だけではなく、この街から引っ越す事になると思う。
この街は大好きだけど、そういう流れを感じるから。(そして、私の心も、それに対してイエスと言っているから)

そう、私は今住んでいる街が大好き。
しかし、この街に住む事になったのは、私が選んだのではなく、「流れ」だった。
住む前は、この街の名前も、存在も知らなかった。
たまたまイギリス人の親友が、「オランダに引っ越すなら、友達が住んでるから、空いてる部屋がないか訊いてあげようか?」と言ってくれて、住む事になっただけ。
しかし実際に来てみたら、街のサイズも雰囲気も歴史も、すべてが私好みな上、日本とも縁が深い街で、すぐに大好きな街になった。
あの時は本当に、驚くほどに全てがスムーズに進んだ。目に見えない流れが、私をこの街に導くかのように。

そして今、この部屋から出なくてはならなくなった。もちろん、この街の中で必死に部屋を探すこともできる。けれど、実は今、また、別の流れが来ている。そして私の心は、その新しい流れに対して、「イエス」と感じているので、この街で別の部屋を探すことはせず、新しい流れと、自分の心の声を信じて、その流れに乗ろうと決めている。

それというのも、今までの人生を振り返った時、はたと気づいたのだ。
大きな流れを無視すると、あまり好ましい事にはならない事に。

私はこれまでに何度か、「初志貫徹!」とか言って、「大きな流れ」を無視し、最初に自分が決めた目標に執着し、歯を食いしばって頑張り、目標を達成したことがある。
しかし、そんなふうにして達成した「目標」は、私に真の充足感や幸せをもたらしてはくれなかった。それどころか、歯を食いしばって頑張っている間に、大切なものをひどく犠牲にしてしまっていた。

季節が巡るように。あるいは、川が流れて、集まって、最後は海に流れてゆくように。この宇宙には、私個人の計画とか都合とか、そういうものを遥かに超えた、「大きな流れ」「自然の摂理」があると、最近やっと、ハラで理解してきた。
真冬に短パン、タンクトップで外にいたら風邪を引くように、真夏にカナダグースを来ていたら暑くて熱中症になるように、「大きな流れ」に逆らっても、ロクなことはない。
さらにもう一つ、理解してきたことは、自分の心身が整っており、自然の摂理と一致できている時は、クマが冬には冬眠するように、「大きな流れ」に沿った行動を取りたくなるように、できているということ。
なぜなら、私たち人間も、自然の一部だから。

流れに身を任せるというのは、慣れないうちは少し怖いものだと思う。
それまで地図に印をつけ、ハンドルを握りしめ、自力でコントロールして頑張って自力で進んできた人にとっては特に。
しかし、流れに身を任せた時、流れは、私たち人間が想像していた以上の場所に、連れて行ってくれる。
(私がオランダのこの街に流れ着いたように。自力で考えていたら、たぶん、アムステルダムか、ハーグに住んでいたと思う。それも悪くないけれど、今の街のほうが、ずっと魅力的だし、ずっと私に合っている)

世の中がかつてないほどに大きく変化している今の時代は特に、「初志貫徹!」に囚われず、心身を整え、身体感覚を磨き、「いま、ここ」にフォーカスし、自分と大きな流れを調和させ、軽やかに流れるように生きていくのが、良い気がしている。

新しい流れが、どこに導いてくれるのか。
楽しみにしながら、あともう少し、この街を満喫しようと思う。

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