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【特別公開】日本の読者のみなさまへ イギル・ボラ

 映画監督、作家として活躍するイギル・ボラさんのエッセイ『きらめく拍手の音 手で話す人々とともに生きる』の日本語版が刊行になりました。
 ボラさんは、コーダ=音の聞こえないろう者の両親のもとに生まれた、聞こえる子。幼い頃からろう者と聴者の世界を往来し、他者とのさまざまな違いから自分自身を発見する、その過程を、この本とドキュメンタリー映画『きらめく拍手の音』の中で語り伝えてきました。

 発売後、ご好評をいただいている本書より、今回は特別に、著者が書き下ろした日本語版「あとがき」を公開いたします。多くの方々へ、ボラさんの物語が届くことを願って。

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日本の読者のみなさまへ


 2014年に映画『きらめく拍手の音』を撮り、翌年本書を書き上げた。その過程は私にとって言語を探す旅だった。CODAとは何なのか、コーダとしてのアイデンティティとは何を指すのか、両親はろう者というアイデンティティを持ってコーダの私たちをどうやって育てたのか、弟は長子ではない二番目のコーダとしてどんなストーリーを心に抱きながら生きてきたのか。最初から答えを知っていたわけではない。映画を撮り本を書きながら、ストーリーを解き明かしていった。振り返ってみると、私にとってそれは、アイデンティティを確立する道のりであったのだ。
 映画は口コミで広がり、いくつもの映画祭をはじめ、劇場、コミュニティ上映、映像コンテンツ配信サービス、ビデオ・オン・デマンドを通して公開された。コーダのアイデンティティを持って、新聞連載をし、いくつもインタビューを受けた。それから、数人のコーダたちと“CODA Korea”という、韓国最初のコーダ・グループを結成した。「コーダ」という名前で集まった私たちは本当に似ていたが、同時にあまりにも違う存在だった。定期的に集まり語り合った。外国のコーダたちはどんな活動をしているのか知りたくて、訪ねていき交流もしたし、コーダ国際カンファレンスにも参加した。韓国のコーダたちの経験とアイデンティティについての本が必要だと意気投合し、ともに『私たちはコーダです』という本も書いた。そうして、ろう文化と聴文化の間を行き来するコーダの存在が次第に可視化されていった。そして、「言葉が話せない、かわいそうな聴覚障害者から生まれた子ども」ではない、二つの言語と二つの文化を行き来しながら生きていく存在がコーダだ、という認識を社会に広めていった。

 2017年春、日本で映画『きらめく拍手の音』が公開された。初めて撮った長編映画が海を越えて外国で公開され、観客たちと出会うということは、作り手として栄誉あることだった。公開の準備をしながら多くの人たちに出会った。韓国の新人監督の映画を公開するという無謀な決定をした配給会社代表と広報担当は、この映画の、ろう文化と聴文化、その間を行き来する存在であるコーダを、心から尊重してくれた。公開後に、監督の私と映画の主人公である両親を招待し、韓国手語と韓国音声言語、日本手話と日本音声言語、四つの言語と文化を自由に行き来する、観客とのトーク・イベントを行うことは、 熱い思いを持って臨んでくれた配給会社と劇場、通訳者というサポーターの方々がいたからこそ可能だった。
 日本での映画の公開は大きな励みになった。手語を習ったことがあると言い、心をこめて手と腕を動かし話す記者、目を見つめてうなずく日本のろう者たち、私と似た経験をしたという日本のコーダたち、キムチを浴槽で漬けるのか、それが韓国の文化なのかとまじめな顔で質問した観客たち。体の緊張が解けていった。もうこれ以上、私の両親はろう者で、彼らは手話言語とろう文化を持っていると、力んで言う必要はなかった。日本の観客にそれは、韓国のろう者の文化であり言語として受け入れられたのだ。初めは、日本の人たちが韓国人より障害についての認識において進歩しているからだと思った。ところがそれは違った。私をはじめとして、「韓半島(訳注:朝鮮半島)に生まれ、韓国語を使用する単一民族が韓国人」という教育を受けてきた韓国人は、他の文化を経験したことがないからだ。私がいくらこれが私たちのろう文化だ、コーダの文化だと言っても、多文化を受け入れる過渡期にある韓国社会では、そう言う私も含め、多文化が何なのかをよく理解できていなかったのだ。異文化というフレームの中で、障害はもはや障害である必要がなかった。韓国人もろうもコーダも、ただ違う生き方をしている人たち、違う文化のうちのひとつになった。

 日本での公開以降、映画は中国、オランダ、ベルギー、イギリス、カナダ、ドイツ、アメリカなどで上映された。カナダのケベック州でのことだ。上映後、あるカップルが近づいてきて言った。「子どもの頃両親と一緒に移住して来ました。不思議なことに、映画を見ながら本当にとても共感したんです。英語が話せない両親の代わりに通訳をして、彼らの保護者にならなければならなかった経験は、監督だけのものではなく、私のものでもあるんです。これは コーダの話ですけど、同時に文化と文化が出会うときに起こることなんだと思います。私 たちがそうだったんですよ」
 イギリスとアメリカでも似たような話を聞いた。その時、気がついた。これは障害者の話ではなく、まさに文化と文化の間で起こることだったのだ。自分自身のことを説明する必要はなかった。互いに違う文化のうちの一つであるだけだった。特別で特異な存在ではない、各々固有性を持った存在、あなたと私。ようやく自由になれた。聴覚障害者の娘ではない、ろう者を両親に持つ子であるコーダではない、ただ「私」として存在することができた。

 2020年初め、東京で日本のコーダに出会った。日本のコーダたちの集まりJ-CODAのイベントに招かれ、私の経験とコーダ・コリアの活動を共有した。英語で、韓国手語で、日本手話で、日本音声言語で、韓国音声言語で、語り合った。日本のろう者の暮らしと韓国のろう者の暮らしが似ているように、日本のコーダと韓国のコーダの経験もまた似ていた。国境を飛び越えた連帯感。日本で姉妹や兄弟ができた気分だった。私はどこに行っても、進んで橋をかけ、紹介し、つながることに楽しさを感じるのだが、その時もそうだった。日本で誰かに会うたびに、自分が書いた本と映画を宣伝した。本書『きらめく拍手の音』と、韓国のコーダたちとの共著も本当にいいですよと自ら激賛した。もし関心を持ってくれる出版社または翻訳者がいたら、いつでも紹介してほしいと図々しく言ってまわっていたら、本当に叶った。声は上げてみるものだ。切に願えば誰かが聞いて応援してくれるのだ。小説『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』シリーズの著者、丸山正樹氏の紹介で本書の翻訳者である矢澤浩子氏に出会い、韓国と日本を行き来しながら活動する友人でありミュージシャンのイ・ラン氏に、出版社リトルモアの編集者當眞文氏を紹介してもらった。

 本書が日本で出版されることになり、たいへん嬉しい。ろう者と聴者、私と似た、でもまた別の経験を持つコーダ、すべての人が、本書を通して、著者がどのように自身のアイデンティティを探し求めたのか、その道のりで何を発見したのかに向き合ってくださることを願う。障害者とその子どもの話ではなく、新しい文化と遭遇する豊かさを感じていただけたらありがたい。
 私のパートナーは日本人なのだが、いつだったか彼のお母さんが手話を勉強していると言った。そして韓国手語と日本手話は似ていると言った。お母さんは両方の拳を握って人差し指と親指を二度くっつけた。「同じ」という意味の韓国手語であり、日本手話だった。 彼女が人差し指と親指を合わせて私を見つめたその瞬間、たぶん私たちは今あるすべての文化と言語、偏見と先入観を乗り越えられるだろうと思った。そんな瞬間をあなたとともに作っていきたい。

 コーダは生まれながらに交差性を持った存在だ。いや、もしかしたら各自が持つ固有性と違いが与える豊かさを、少し早めに知ることになった存在なのかもしれない。あなたと私が持つその固有性が、「違い」「間違い」「正常じゃない」という理由で差別を受けないことを。そして、互いが持つ違いと固有性を尊重しつつ、「私」が「あなた」を理解し知っ ていく人生の道のりが、より美しく豊かであることを願って。

2020年11月
イギル・ボラ

(訳=矢澤浩子)

きらめく拍手の音_書影

きらめく拍手の音 手で話す人々とともに生きる
イギル・ボラ 著 矢澤浩子 訳/解説=斉藤道雄(リトルモア刊)

手話は言語だ。
[コーダ]=音の聞こえないろう者の両親のもとに生まれた、聞こえる子(Children of Deaf Adults)の話。
映画監督、作家であり、才気溢れる“ストーリー・テラー”、イギル・ボラ。
「コーダ」である著者が、ろう者と聴者、二つの世界を行き来しながら生きる葛藤とよろこびを、巧みな筆致で綴る瑞々しいエッセイ。
家族と対話し、世界中を旅して、「私は何者か」と模索してきた道のり。

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