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青い鳥と赤い杉:鏡の向こう

 その町では、住民たちも知らない間になぜか煤だらけだった。その煤がなくなるように、町長は隣町まで道を延長することを計画していた。その道には、両側にスギが植栽され、並木道になるような巨大な計画だった。あの有名な日光の杉並木街道のようだ。

 住民たちはその道にスギを植えて、植えて、植えつづけても、まだまだ足りていなかった。町はまだまだ煤だらけで、真っ黒で、まるで放火された町のようだった。

 その煤だらけの町の高い塔には、飛べない青い鳥が住んでいた。「住んでいた」というよりも、「閉じ込められていた」のほうが的確だった。飛べない、逃げられない。塔の中から見える空は真っ黒か、灰色か、その二色しかなかった。飛べない、逃げられない。それでも、青い鳥はその運命に甘んじて、幸せだった。

 そしてある日、青い鳥が鏡を見つけた。ただ、その鏡に映っていたのは、自分ではなかった。

 その鏡の向こうは真っ白で、青い鳥の住んでいる真っ黒な町とは正反対の降り続ける雪で真っ白になった町が映っていた。青い鳥は真っ白なものに憧れていて、いつかあの真っ白な町に住みたいとふと思った。

「ねえ、君」鏡の向こうから声が聞こえてきた。落ち着いた声だった。その声を聞くと、青い鳥はまるで優しい潮騒に包まれたかのような不思議な気分になった。

 青い鳥はその声の主の姿を探そうと目を細めていたが、真っ白で眩しすぎたのでよく見えなかった。もう一度よくよく見ると、赤っぽい何かが見えてきた。
「あなたは誰?なぜ鏡の中にいるの?」と青い鳥は尋ねた。

 その声の主は、真っ白な町に住んでいた赤い杉だった。赤い杉にも、鏡の向こうが真っ黒で暗すぎて何も見えなかったのだ。よく見たら、青っぽい小さな何かが見えてきた。
「君だって鏡の中にいるように見えるよ」と赤い杉は返した。
「不思議だね」
「うん、不思議だね」

 その奇妙な出会いがきっかけで、青い鳥と赤い杉は毎日話すことになった。二人はお互いのことを一目見て、時を移さず恋に落ちた。その二人は、運命の二人のはずだった。

 それから青い鳥は、塔の中で飛ぶ練習を始めた。飛んでは、落ちて、飛んでは、落ちてを繰り返していた。また飛んで、また落ちていた。そうして苦労している日々を、赤い杉が鏡の向こうからいつも見ていた。

「あと少しだよ。あなたの真っ白な町に行く」
「うん、待ってるよ」
「約束して」
「うん、約束だよ」と答えたが、赤い杉には青い鳥に話していないことがあった。近いうちに、真っ白な町から出て、隣町に運ばれて、他のスギと並木道として生きることになるのだ。青い鳥は真っ白なものに憧れていたから真っ白な町に住みたい、ということに赤い杉は気づいていた。赤い杉に会うためではなかった。だから赤い杉はそれを青い鳥には言わなかったのだ。

「塔の中から見える空が最近少し美しく見えてきたよ。あなたに出会ってから」と青い鳥は言った。
「ぼくも君に出会って良かったよ」
「一緒だね」
「うん、一緒だね」

 二人は運命の二人のはずだった。出会って、恋に落ちて、結ばれるはずだった。

 日々が過ぎ去って、煤だらけの町に雪が降ったちょうどその日、青い鳥はやっと飛べるようになった。塔の中から飛び立ち、青い鳥の身体は雪の華に染められて、真っ白になった。やっと会えるんだ、と真っ白な青い鳥は鏡に向かって大きく羽ばたいた。鏡の向こう側にいる赤い杉を呼んだ。

 赤い杉は、煤で真っ黒な町の空に星のように煌めく真っ白な青い鳥を見つめた。
「君、真っ白になったね」と赤い杉は言った。

「わたし、飛べるようになったよ。あなたの町に行く。ねえ、一緒になろう」と青い鳥は森の小鳥が楽しげに歌うように言った。

「それは出来ない。ぼくにはぼくの選んだ道がある。君にも君の選んだ道がある。一緒にはなれないんだ」ため息をつきながら赤い杉は言った。
「よくわからない」
「ぼくもとても苦しいけれど」
「ごめん」
「それぞれが信じる道を行けばいい」
「好きだよ」
「うん、ぼくだって同じだ」
「さよなら」と言って、そのお別れの言葉の返事も聞かずに青い鳥は鏡から離れて泣き始めた。

 泣いて、泣いて、ボロボロになった。

 その後青い鳥は二度と鏡を見ることはなかった。赤い杉はすきま風が滑り込んでいた冷たい部屋に鏡を隠し、それから歳月は流れ、その鏡の存在さえ思い出さなくなった。

 二人は運命の二人のはずだったけれど、その二人の世界には太陽が一秒たりとも現れることがなかった。

 真っ黒な町は煤だらけのまま。

 真っ白な町は真っ白なまま。

 二人は会うことのないまま。