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#34 国連軍まで出動したんだよ。

#1コマでどれだけ語れるかチャレンジ

戦争は誰が正しいかを決めるのではない。誰が生き残るかを決めるのだ。
バートランド・ラッセル イギリスの哲学者

人間が2人以上いれば、争いが起こる。

3人集まれば、派閥が出来る。

複数の人が集まる事でコミュニティーが出来る。それは、その大きさや活動の意味によって呼び方が変わっていく。

集まり、サークル、集団、企業、組織、地域、都道府県、そして国。

その多様性と複雑さは日を追うごとに増している。そして限られた資源や空間・時間を、それぞれのコミュニティーの主張を元に奪い合っている。

人間は2人いただけでも争うのに、コミュニティーの人数は世界的な視点を持って見れば増える一方なのである。なので残念ながら、世の中から争いは無くなったりはしない。コミュニティーの主張の違いが、生物としての根本的なものであれば、差別や区別が発生する理由ともなる。

つまり、各コミュニティーの主張が問題なのだ。しかしその主張が「生死」に関わるのであれば、どうするべきなのだろう。生きるというのは、すべての人間の摂理であり権利である。主張を守る事が、生きるために必要なのだ。だから、

生きるために、死ぬ覚悟で戦う。

歴史をひも解けば、往々にしてそういう事になっている。我々はこれからも、歴史を繰り返すのだろうか。

クローンという言葉がある。

クローンとは、

生物体の細胞から無性生殖的に増殖し、それと全く等しい形質と遺伝子組成を受け継ぐ別の個体。

生物の細胞を使いそれを増殖させ、その生物と同じ生き物を、別に作る。という事である。

倫理上許されていない事ではあるが、もう少しわかりやすい表現で言うと、あなたの細胞を使って、あなたと同じ人間を、あなたとは別に作る。という事である。

あなたとは別のあなた。同じ個体なのに、別の存在。

たぶんに面白そうではあるが、それでいて少しゾクゾクっと来るような、言いようの無い何か本能的な恐れを感じる。

しかももし、あなたと同じ個体のはずなのにあなたには無い、何か特殊な、少し不思議な能力を持っていたとしたらどうだろうか。

所謂、遺伝子操作され、遺伝子異常のある存在。ミュータントとも呼ばれる存在が現れたらどうするべきなのだろうか。

そんな事はあり得ない?そう思いたい?それは人間ではない?だが、人間が想像する事は、ほぼ実現可能であるとも言われている。

もし、そいつらが我々に牙を向いたとしたら?
もし、あなたがそいつらに立ち向かわなくてはならなかったら?

このコマを見て欲しい。

てんとう虫コミックス ドラえもん8巻収録「人間製造機」より。

新世界デパートの手違いで野比家に届いたひみつ道具「人間製造機」。例のごとく勝手に使ったのび太のせいで大ピンチが起こる。

しかし、ネーミングからしてもはやとんでもない。人間を製造できる機械である。それを取り扱っている新世界デパート。劇中では販売中止になっている商品であることが明記されている。なぜ出てきたのだろうか。そんな商品を取り扱っていて、しかも配達ミスまでしているので、この新世界デパートは相当やばい。という事もわかる。

ドラえもんが使うデパートは3種類ある。一番よく聞くのは、未来デパート」である。よくドラえもんがこの未来デパートに仕入れに言ったり、バーゲンがあって買い物に行っている描写がある。

もう一つは、「22世紀デパート」である。このデパートも配送ミスが多く、頼んでもいない「クローン培養機」をドラえもんに届けて行ったりする。

そして今回の「新世界デパート」である。

尚、それらに順列をつけるならばこうだ。

未来デパート > 新世界デパート ≒ 22世紀デパート

ドラえもんが主に使うのは未来デパートで、新世界デパートと22世紀デパートはカタログやダイレクトメールなどを送ってきたり、押し売りロボットを送り込んできたりもする。これは未来も今も変わらない。

現在の日本でも、頼んでもいない商品が突然家に届き後から料金を請求されるという詐欺行為がある。22世紀の未来世界でも、同じような犯罪まがいのビジネスがまだあるのではないだろうか。社会文明が進んでも、運営する人の本質が変わらなければそこまで変わらないのかもしれない。

しかしいくら誤配送とは言え、「人間製造機」とか「クローン培養機」という、倫理的に大きな問題がありそうな道具がなぜこうも多くドラえもんのところに届くのだろうか。

この疑問はこのように進む。

そもそも、これは本当に誤配送だったのだろうか。

である。

仮説にすぎないが、その理由は全て、のび太を教育するためでは無いだろうか。すなわち、のび太に倫理観を養わせるため。危機的、だが別のひみつ道具を使って取り返しのつく状況を作って、のび太に体験という形で教育する。という事だ。だから、実はドラえもんが頼んでいるのだが「こんなもの頼んだ覚えがない!」と言っているのだ。

発注してもある一定期間で返品する事が出来る、クーリングオフ制度が未来でも適応になるのであれば、その期間中に教育を施した後で送り返せば良い。このようにコストをかけずにのび太に教育行う理由は、未来の野比家の経済事情が良くないという事が言えるのではないだろうか。・・・ちょっと変な陰謀論みたいな感じになってしまった。以上、全くの妄想である。

さて、コマの内容に迫っていこう。

一旦、国連と国連軍について説明する。

国連の役割

第二次世界大戦を防げなかった国際連盟の様々な反省を踏まえ、1945年10月24日に51ヵ国の加盟国で設立された。主たる活動目的は、国際平和と安全の維持(安全保障)、経済・社会・文化などに関する国際協力の実現である。

そんな平和と安全、意地、そして国際協力を実現するために存在する組織なのだが、軍という形をとる事もある。それが、国連軍という事になる。平和の維持のために、軍事力を用いて平定するのだ。まぁ、わからないでもない。時には武力介入も必要な事なのであろうと思う。

未来の社会情勢が安定しているという描写は無い。未来世界が完全に平和であると考えるのは早計だ。タイムパトロールの存在を思えば、時間犯罪者が増えているので、むしろ凶悪な犯罪が今よりも起こっていそうである。

いずれにしても、国連軍というのは国連加盟国による連合軍という事なので、未来世界の大部分が総力戦として、この共通的である「ミュータント」に対して戦ったという事になる。逆説的に言えば、このミュータントという共通の敵が人類を団結させたのかもしれない。そうだとしたら人類の歴史としては、なかなかドラマチックなストーリーかもしれない。

逆光で白と黒ハイライトで描かれたこのコマは、恐ろしいことを怖く話すドラえもんと、それを聞いておびえているのび太の表情で構成されている。注目すべきは、「ふきだし」の大きさである。コマの半分はセリフというのは、なかなか珍しい構図でもある。そのくらいこのセリフの内容に注目が行くような仕掛けとして使われている。

戦争は人類の本質や本能であるとも言えるが、同時に大きな闇だ。人類の歴史に覆い被さっている。そのために、戦争の事を話す時はこのように暗い影が差すのである。影も、上から下へとのびているように見える。ここに、しっかりとした重みをもって話しがされているという描写がある。

重厚感、そして大変に恐ろしいコマであると言える。

さてここで考えてみたいのは、のび太の興味本位が全ての発端である。という事だ。世界的な危機という大変な出来事が、誰かの興味本位で引きおこる可能性がここに示唆されている。案外、世の中の戦争もそんな風に起こっているのかもしれない。

ドラえもんの世界では、割と世界の危機が起きている。栗饅頭に世界が覆われる可能性もあったし、宇宙人にビー玉を渡せなかったら宇宙戦争に巻き込まれていたかもしれないし、ねずみの為に地球破壊爆弾が使われていたかもしれないのだ。

しかし、今回のミュータント騒ぎについて考えてみると、未来の世界では国連軍が出動して何とか事を収めた訳であるが、過去世界であるのび太の時代では、この凶悪なミュータントに対応するすべがないような気がする。文明の進み具合が、ミュータントの能力に追いつけないのではないか。さらに言えば、ミュータントは全くの制御不可能である。ミュータントが存在した段階で、もう詰んでいると言える。

興味本位が、そこまでの状況を作り出す。好奇心が猫を殺す。とも言う。

最近の世界情勢を見てもこのまま対立と分断をしていったら、どうなるんだろうか、見たことの無い未来がその先にあるのではないだろうか。という好奇心や興味本位が僕にはある。

しかしこれが、最終的に僕を(あなたを)殺すかもしれないのだ。決して軽くとらえてはいけないと思う。もちろん今はいいかも知れない、関係が無い人の方が多いだろう。でもすぐに他人事ではなくなるかもしれないのだ。無関心でいるべきでは無い。

セリフを見ていたら、こんな疑問も頭に浮かんできた。

「かってになかまをふやして、人間を征服しようとして大さわぎになった。」とある。

ミュータントが勝手に仲間を増やしたのは、どうしてだろう。

劇中から人間製造機によって作り出されたミュータントは、生まれてきたその時からすでに人間に敵対的であることがわかる。そういう種なのだろう。しかし個として人間よりも能力的には優れていたとしても、絶対数が多い人間に対抗するのであれば、ミュータントも数が必要になったと考えるのが自然である。

この大さわぎになったミュータントたちとは、どのくらいまで増えたのだろうか。それを知る手立ては無いが、その相手になった国連軍の数ならばこんな感じで割り出してみた。

国連軍が動くというのはいわば地球的な危機である事から、過去の戦争の最高動員数と並ぶと考えてみる。第二次世界大戦の動員数は1億1000万人と言われている。1945年の世界人口は調べてもはっきりしないので、仮に20億人程度とすると、5%となる。

のび太の時代を1970年代とすると、世界人口は40億程度となる。それの5%なので、2億人。2020年の現在世界人口を77億人だとすると、およそ3億8500万人。もうすぐ人口は100億人になると言われている。そうすると、実に5億人が戦争に駆り出される計算になる。

もっとも、近代的な戦争にこれだけの動員数がかかるとは考えられない。サイバー戦争とか、情報戦が主になるハズだ。なので、この計算は机上も良いところである。が、一つの考え方である。

22世紀の人口はどのくらいだろうか。残念ながら僕らには知りようがないが、どうであろうと未来に国連軍が出動するのであれば、それは相当の数であると言える。対するミュータントの数も、おそらくものすごい数になるハズだ。

だが、生きるために、死ぬ覚悟で戦う。

のは、ミュータントも一緒ではないだろうか。未来に興味本位で生み出されたであろう彼らは、いったいどうなったのだろうか。生きる残る為に、数を増やすしかなかった彼ら。国連軍と戦って負けたのだろうか。彼らが勝っていたら、ドラえもんのいる未来にはなりそうにない。おそらく、殲滅されたのだろう。

人間の成分を使って作られたミュータント。遺伝子を操作されたとは言え、ほぼ人間だ。意思があり、感情があり、我々にはない能力がある。

今でも、差別や分断は起こっている。だが、見ようとしていないだけで、これはいつもそばにあった事だ。そして、ほぼ間違いなくこれからの未来でも起こるだろう。

違いを受け入れられないという主張。それがある限り、人間が2人以上いれば、争いが起こる。3人いれば、派閥が出来る。しかし、誰が正しいのかを決めるのは、戦いに生き残る事ができた者だけだ。

それは文字通りの戦争ではないかもしれない。だが戦おうとする人は多いように見える。その人たちは勝つかもしれないし、負けるかもしれない。戦う相手はミュータントではない。あなたとほぼ同じ人間だ。

それは本当に、生き残るために仕方ない事なのだろうか。

倫理と戦争について考えさせられた1コマだった。

今の僕には、ゲシシシシ……。と笑うことしか出来ない。

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