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#3 インタビュー後記


江越さんのお話の中であったこの部分。

子どもと他愛もない話をしてる時に、ふと目の前で話してる子が大人に見えた瞬間があって、すごく輝いていて、「あ、僕は今、この子達を見ているけど、この子達の未来を見ているんだな。」と思いました。その瞬間のことは、今だに覚えています。

とても気に入って、インタビュー記事のタイトルに入れました。


私も大学時代の教育実習先で、似たような体験をしたことを覚えています。


相手は高校生だったので、体はみんなもう大きくなっていたけれど、一人一人の生徒と話をする中で、彼らが大人に見える瞬間が、確かにありました。


毎日毎日顔を合わせて、一日何時間も一緒に過ごすと、彼らが日々変化しているのだということを感じることができます。

この変化の先に大人になった彼らがいて、きっと今よりもっと輝いているんだろうな、という少しの期待が混ざって、そんな風に見えることがあるのです。


ただそれは、上下関係のある「大人」と「子ども」として接する中では感じられないような、そんな気がしています。

子どもを自分の下の存在として見た瞬間、自分自身の中で、彼らが大人になることはないからです。


教師として学校の中にいると、子どもを一人の人間として尊重し、対等に関わることが難しいと感じることがあります。

そこには、色んな要因があると思います。


江越さんのお話してくださったシャンパンタワーの法則のように、学校の中においても、まずは自分自身のグラスを満たすということが、人と人が対等に関わるために必要な要素なのかもしれません。


最後までお読みいただきありがとうございます(*´-`) また覗きに来てください。