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葉桜のなごり雪
子育て短歌、ここで一首。
仲の良い
友らは先に
中学に
葉桜なるも
切なさ胸に
by小川小海
先日子どもらの今年度初の授業参観だった。
6年生の授業では
国語の授業で春はあけぼの~
この先をつくるというのをやっていた。
みんな
「春はあけぼの
ピンクは桜
黄色は菜の花
きれいだな」
など可愛らしい歌が多かったが
息子がつくった歌がこれだった。
「春は卒業式
待つのが長くて嫌だった
卒業して欲しくなかった」
きっと
担任の先生や
クラスの子
参観に来ていた保護者の方は
これを見ても何も感じないと思う。
だけど私はもう心の中では
もぅ嗚咽レベルの涙だった。
国語の授業参観で泣いてたら激ヤバい母親だから
ぐっと我慢しつつも
みんな卒業しちゃって本当に寂しいね。
心の中で息子にお答えした。
なんでこんなに泣けるかというと
去年まで住んでいた地域では周りに遊ぶ友達が少なく土日になるとみんなサッカーや野球と習い事をしていたから習い事をしていない長男は遊ぶ友達が近所にいなかった。
だから遊ぶ仲間を求めもう何年も前から学区は違う公園まで通っていた。
そこがあるからここに引っ越してきたと言える。
そこには長男にとって1つ上の学年に気が合う友達が沢山いたのだ。
そこの仲間たちは1つ年下でも
学区外でもそんなの関係なく長男とよく遊んでくれた。
スイッチ、対戦型カードゲーム
鬼ごっこ、けいどろ、バトミントン、サッカーと
炎天下の夏はわずかな木陰を求めて木の下だったり、仲間のお母さんが影のある自宅の駐車場だったり、何人もいるのにご自宅や庭先を開放してくださり季節通して暗くなるまで遊んでいた。
そんな姿を見ていたからその仲間たちがごっそり卒業し、毎日遊んでいた仲間がいない寂しさだったり置いて行かれた感だったりで毎日学校に行き渋っているのもわかる。
卒業式から1カ月以上たつのに今もまだ胸に残っているのだと思うと泣けてきた。
先月の卒業式から帰宅後
「おれ、けっこう泣いちゃった・・・。」
と言っていたのがふと思い出された。
長男は4月1日が予定日だったが
数日後に産まれた。
「あと数日早かったらおれももう中学生だったのにな。」なんてことも言っていたっけ。
だけど君が生まれた日を決めてきて
その日を選んだことに
きっと意味があるんだよ。
といつも思っている。
そして人生を先に生きるものとして
来年また中学で会えるとしても
小学生だった今の関係性では会えないということを大人として知っているからこそ余計切ない。
来年は先輩、後輩という関係性に少し戸惑うだろう。
だけど我が子が友との別れや寂しさを感じられる
年齢に差し掛かった成長の喜びもある。
この寂しさ、
切なさってどこからくるのだろうか?
例えるとどういう感じだろうか?と考えていた。
イルカさんの『なごり雪』を聞くと
こんな寂しい、切ない気持ちになるな。
と思ったから
朝ご飯を作りながら
なごり雪を熱唱した。
歌いながら切なくなってまた泣いた。
そしたら次男が
「なんで泣いてるの?」と聞いてくるから
「ママ今、切ない気持ちなんだよね~。
切ないってわかる?」
と聞くと
次男 「わかんなーーーい」
長男 「ちょっと寂しい気持ち・・・」
おっしゃる通り
ちょっと寂しい気持ちだよ。
切ない気持ちがわかるんだねとまた泣いた。
桜が散り、葉桜になっても寂しい切ない気持ちを
『葉桜のなごり雪』という気持ちに勝手に認定した。
そして
なごり雪を替え歌にして歌っている。
切ないなかにも我が子の成長にまた泣ける。
なごり雪も降る時を知り~
ふざけすぎた季節のあとで~
今春が来て君は大きくなった~
去年よりずっと~大きくなった~
去年よりずっと~大きくなった~♪
なんていい曲なんだろう。
私はイルカさんのなごり雪を
息子たちに秦基弘くんのなごり雪を
ダウンロード。
しばらくはハードリピートだな。
葉桜のなごり雪気分に浸りたい朝だった。
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