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私には透明の炎が見える -小野美由紀さんという作家

好きな作家がいる。小野美由紀さんだ。

初めて彼女の著書と出会ったのは五年前のこと。
なぜか目に留まった、目がキラキラしたキュートな女の子のイラストの表紙とは裏腹にその文章の切れ味と小野さんの心の動きが文字通り心にぶっ刺さり、初めて文庫本を三時間ほどで読み終えてしまった。文字通り私の人生を変えてしまった「傷口から人生。 メンヘラが就活して失敗したら生きるのが面白くなった」である。

彼女がいたから、彼女の本があったから、そしてそれを読むことができたから
私には「誰かの心に明かりを灯す文章を書く」という大きな目標ができた。noteを始めようと思ったのも、彼女のnoteを読んでいたからだ。

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小野さんの書く文章を、僭越ながら自分なりに文章で表現してみようと思う。

小野さんの書く文章は
表面はとてもよく磨かれていて、つるりとしているが、ひとたびその中を覗いてみると、静かに、けれども熱くゆらりと燃えている炎が確かに在る。

これは五年前から思っていることなのだが

小野さんの文章を読むと、まるで突然真冬の北海道の街中に立ったような
「すっ」とした冷たい空気が頬をよぎる気がするのだ。

それは心のない、冷たい文章という意味ではなく、しんしんと降り積もる雪を眺めているような、背筋がしゃんとするような、そんな心地の良い冷たさだ。

彼女の描く世界には「透明な炎」がゆらいでいる。
濁りのない、透明な炎につつまれると
たちまち心の中が「しん」と静かになるのを、私は確かに、感じる。

そしてなにより、彼女の灯す炎は、あたたかいのだ。

冷と熱が同時に存在するなんて、おかしな話だと思う。
でも、彼女の眼を通して紡がれる言葉は、地平線のように真っ直ぐに、且つ人間らしさがあって、いつ読んでも「不思議な人だな」という感想をもつ。

同時に、言葉の用い方やその説得力、文章表現力、豊かな感性には畏敬の念を抱かざるを得ない。
 

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叶うのであれば、「小野美由紀」という人間の中に入り、そこから世界を見つめてみたいと思う。

でも、もしかすると彼女の瞳にはあまり多くのものは映っていないのかもしれない。

浜辺で小さな石を拾い、それを丁寧に、根気強く磨き、その表面の一部分を私たちに見せてくれている、それだけなのかもしれない。

彼女の磨いた石は美しい。
そして、その背後にゆらめく透明な炎は、もっと美しいのだ。

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