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『熱帯雨/Wet Season』アンソニー・チェン監督:シンガポールの社会事情を背景に感情の機微を描く映画

第20回東京フィルメックス・コンペティション上映作品

シンガポール、台湾 / 2019 / 103分
監督:アンソニー・チェン (Anthony CHEN)

フィルメックスの公式サイトの説明では「中学生と担任の女性教師」となっていて、映画の字幕でも「中学」となっていたが、誤解を招くのではないか。映画のせりふでは「secondary school」と言っていて、下記画像(外部サイトの記事「シンガポールの教育制度と、教育レベルについて」より)によると、secondary schoolは13歳から。映画の少年は「4年生」とのことなので、16歳、日本では高校1年生に当たると考えてよいと思う。

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マレーシア出身で、シンガポール人の夫とその父親とともにシンガポールに住む中国語の学校教師は、中国語に力を入れていない校長の下、やる気のない生徒たちを教えている。家では高齢で体の自由が利かない義父の介護をし、通院して不妊治療をしているが、8年間妊娠の兆候がない。夫は毎晩帰宅が遅く、休日も顧客の接待と称して出掛けていく。教師には、電話で時折(または頻繁に?)話すマレーシア在住の母親と、金をせびりに来る弟がいる。子どもがいないことに嫌味を言う夫側の親戚も。義父の介護は大変だが、義父は言葉は話せなくても思いやりがあるらしいのが救いだ。

中国語の試験結果が特に悪かった生徒たちに補習を命じるが、生徒たちはさぼるようになり、残ったのは、授業中でも気を抜くと英語で話してしまう、中国武術の部活を入っていて、両親が仕事で留守がちな生徒一人だった。彼はひそかにスマホで教師の写真を撮り、思いを寄せている。教師も、車で彼を送ったりしているうちに、武術を頑張ったり、義父に優しく接したりする姿が気になり始めるがーー。

というストーリー。

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さまざまな社会問題を織り込みながらも、それらがうるさく主張することなく、さりげなく描かれ、登場人物たちの心の変化が、巧みな映像のシーンの積み重ねで表現されていく。秀逸の一言。

粗筋は陳腐になりそうなぎりぎりのところを行っているようでもあるのだが、映像やせりふや俳優の捉え方によって、上質な映画として昇華させているところがすごい。監督の力量が高いのだろう。

主人公の女性の描き方には疑問を感じる部分もあるが、全体の完成度が高いので、つい、いい映画と思ってしまう。

タイトルにあるように、季節は雨期。しょっちゅうスコールの場面があり、登場人物たちの不穏な気持ちや激しい感情を表している。しっとりとした蒸し暑い湿気の気配が、スクリーンから立ち上ってくるようだ。

結末はほぼ予想通りだったが、ラストシーンが好き。

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上映後には、監督のQ&Aセッション。その内容の一部を紹介する。

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本作の少年役には演技未経験の人をキャスティングしようと思って、何千人もの子に会って、8カ月間もワークショップを行ったが、ぴんとくる子がいなかった。それで、監督があるときインスタを見ていて、役に合っていると思った子の写真を発見。調べたら、前作(監督の長編第1作)の『イロイロ ぬくもりの記憶』で11歳で映画初出演、主演だったコー・ジャールーだった(!)。せっかくなので、連絡し、ワークショップでインプロ(即興演技)などをしてもらったところ、役にぴったりなのでオファーした。

コー・ジャールーのキャスティングが決定したので、相手役の教師には、前作でコー・ジャールーの母親を演じたヤオ・ヤンヤンを選ぶことはないと思いつつ、彼女に連絡し、脚本を読んでもらった。結局、彼女と一緒に役作りを行おうということになり、本作への出演が決まった。

上記のQ&Aの話を聞いた時点では、ぜひ前作の『イロイロ ぬくもりの記憶』も見てみたい!と思ったのだが、今、インターネットで検索したら、第14回東京フィルメックスで上映された作品で、そのときそれを見ていて、素晴らしいと思った映画だった!!そのことに気付き、興奮している(笑)。映画の好みがあまり変わっていないのか?!もう一度前作も、そして今回の作品もまた見たい(本作はおそらく日本で一般公開されるだろうとのこと)。

コー・ジャールーは6歳から中国武術を習っていたが、本作の出演が決まったときには、武術を数年間しておらず、体重も増えていた。そこで、出演に当たり、減量と、映画で武術の全国大会(学生の)で金賞を取る設定にしたので、シンガポールのナショナルチームのコーチに頼んで、武術の特訓をさせた。

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教師の義父役は、1960年代から舞台俳優として活躍し、現在も年に数回舞台に立つ、健康な71歳の俳優が演じた。体が不自由な役を演じるに際し、病院で、脳梗塞などのため体が麻痺した高齢の患者を見て、役作りをしてもらった。

上記の観客からの質問の際、義父が下半身をさらす演技についても触れられていた。それで思ったのだが、義父も主人公の生徒も、主人公の教師の前で、お尻をさらす場面がある。また、固形物を食べられない義父のために、教師が自分の口の中でかみ砕いた食べ物を口から出して、義父に食べさせる場面が冒頭にあり、その後、教師と生徒が一緒にドリアンを手づかみで食べる場面がある。その後さらに、教師と生徒と義父の3人でドリアンを食べる場面もある。また、生徒は武術が得意で、義父はテレビでカンフー映画かドラマを見るのが好きだ。教師に優しくし、また教師に面倒をみられる立場でもあるこの2人に、このように共通点があったり、シンクロする場面があったりするのが興味深い。そういう演出なのだろうか?

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前作でも本作でも入念にリハーサルを重ねて撮影に臨んだが、本作の主役2人のベッドシーンは、撮影当日まで納得のいくリハーサルができなかったという。当日、監督は、コー・ジャールーと唯一このときだけ口論になって、「そんなに言うなら監督が自分でやれば?俺は家に帰る!」と言われたらしい。監督は、「できることなら自分でやりたいが、年齢がいき過ぎている」(監督は1984年生まれ)と返事したらしい(笑)。しかし、いよいよ本番で服を脱ぐと、すぐに済ませたくなったのか、ちゃんとうまくいったとのこと。この場面以外は、コー・ジャールーは優れた俳優で、現場に台本を持ってこないが、せりふは決して忘れず、リハーサルからうまくいって、首尾よく撮影できた。

教師をマレーシア出身の設定にしたのは最初からで、マレーシア出身のヤオ・ヤンヤンを最終的にキャスティングしたのと直接は関係がない。シンガポールでは実際に、学校の中国語教師は半数がマレーシア出身で、最近は中国大陸出身者もいる。その理由は、シンガポール人は7割が中国系だが、英語を公用語としており、また欧米に留学するにも海外移住するにも必要なのは英語なので、英語ばかり使って、中国語が苦手な人が増えているから。

上記のQ&Aの内容も面白かった。映画では、中国語(北京語=普通話=マンダリン)と英語のせりふが出てくる(あと、広東語みたいな響きの言語もあった?マレー語??)。英語はいわゆるシングリッシュらしく中国語の音を語尾に付けたりしたせりふもあった。英語と中国語交ざりの文もあった。生徒たちは、漢字が分からなくて、中国語の文章を書くときに、書き方が分からない漢字があると、中国語の音をアルファベット(ピンイン。中国大陸で使われる発音記号のようなもの)で表記し、教師は、「漢字をしっかり練習しなさい」と言う。そういう言語環境がとても面白い。

日本でいち早く本作を鑑賞することができて、おまけに監督の話もいろいろ聞けて、よかったし、うれしい。


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