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映画『その手に触れるまで』ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督

ベルギーに住む13歳のムスリムの少年が、イスラム教の過激な「教え」に傾倒し、道を踏み外しながらも、成長する過程を描いた作品。

テロ関連のニュースで耳にすることが多くなってしまったブリュッセル。その西部に位置するモレンベークが舞台。

第72回カンヌ国際映画祭監督賞の受賞作品。主演のイディル・ベン・アディは第10回ベルギー・アカデミー賞で有望若手男優賞を受賞。

無駄なく的確にシーンを重ねていき、深刻なテーマながら、温かいまなざしで少年アメッドの物語を紡いでいく。好感の持てる名品。

ヨーロッパに住んでいなくても、ぜひ見たい映画だ。

原題の意味は「若きアメッド」だが、日本語タイトルの『その手に触れるまで』は、アメッドが「イスラムの教えだ」として、女性に触れなくなったことと関わっている。彼が身近な人と手を取り合う日は、再び来るのか。

イスラム過激派に傾倒した少年の物語

少年アメッドは、母親、姉、兄と暮らす13歳。識字障害だったが、ムスリムの子どもたちが通うらしい学校の女性教師、イネス先生の熱心な指導のおかげで、文字が読めるようになり、数学もできるようになった。

1カ月前まではゲームざんまいの日々だったのに、最近はモスクに通い詰めて、「導師」の話を熱心に聞き、1日5回の祈りも欠かさない。コーランを懸命に暗記し、ネットにアップされている導師らの話にも耳を澄ませ、「殉教者」を「かっこいい」と思う。

母親も姉もベール(ヒジャブ)をかぶらず、露出の多い、一般的なベルギー女性と同じ服装をしている。母親は毎晩、(コーランで禁じられている)飲酒もしている。兄は、アメッドと一緒にモスクに通うが、「熱心な信者」ではない。

モスクの導師は、日用品を売る小さな商店を経営している。アメッドはその店にも入り浸り、戒律を守っていないと見なす母親や姉を軽んじるようになる。そして、あいさつの握手を求め、歌で現代アラビア語を教えようとするイネス先生は、「背教者」だと導師に教えられる。

彼女を「聖戦(ジハード)」の敵として「排除」すべきだと思い込んだアメッドは、ナイフを足首のところに隠す練習をしてから、イネス先生の家へと向かい――。

【注意】以下、ネタバレを含みます。

この事件は未遂となるが、アメッドは少年院に入れられ、農場を手伝いに行ったり、読み書きのできない入所者の少年に読み方を教えたりする。面会に来た母親に、父親がいなくなったからそんな有様になったんだというようなことを言ってしまい、母親は泣く。

母親の懇願によって、心理士と会い、面会を望んでいたイネス先生と会うことも了承するアメッドだったが、実はそれは見せ掛けで、あることを企んでいた。

それも失敗に終わり、農場で、一家の娘、ルイーズと親しくなり、キスをする。しかし、イスラム教では、結婚前の男女が接触することは禁じられているので、アメッドは罪の意識に悩み、ルイーズにムスリムになる気があるかと迫る。縛られることが嫌いなルイーズは拒絶する。

農場からの帰り道、教育官が運転する車から突然逃げ出したアメッドは――。

危険な思想にはまる理由

ラストで、アメッドの気持ちが変わったのは、「痛み」によって「死」を感じ、怖くなったから?やっぱり平凡に生きていきたいと思ったのかもしれない。マイノリティーの立場にあって、「平凡」とはなかなかいかないとしても。

ベルギーでムスリム(に見える人)が差別に遭うことは、多々あるのだと思う。ただ、この映画では、そうした場面は描かれない。アメッドが出会うムスリムでない人たちは大概、親切で、ほぼほぼ公平だ。少年院の中であってさえ、信仰は(非常時以外は)尊重されるし、農場の一家も信仰に理解を示す。

ただ、アメッドは「親切にされるのは嫌だ」と言う。それはおそらく、自分を大事に思えていないからではないだろうか。大切にされ、尊重される「資格」が自分にあるとは思えないせいではないだろうか。

勉強はそこそこできるが、ゲームに興じる、あるいは逃げ込んでいたのかもしれない、だけの日々。兄はサッカーに夢中で、姉は恋愛などに夢中。母親に飲酒の理由を聞くこともできない。家族の中にも居場所がない。

そんなとき、自分の「よりどころ」にできそうなものを見つけた。熱心に学び、祈っていれば、神(アラー)が救ってくれるだろうし、「殉教」して「英雄」にさえなれるかもしれない。そんな期待で、導師にしがみつく。

導師はというと、モスクではたぶんそれなりに尊敬される存在なのだろうが、街ではささやかな店主。自分の言うなりになる少年を抱えて、自分は価値のある人間だと思いたかったという、自尊心のようなものが、根底にあるのではないかと思った。劣等感が育まれてしまうような体験をしてきたのかもしれない。だからといって、若者を自爆テロなどに駆り立てていいわけがない。

導師はアメッドが信じたような人格者ではなく、アメッドから未遂事件のことを聞くと、「誰がその女を殺せなどと言った?言ってないぞ!店に警察が来る前に自首しろ。この店では祈っていただけだと言え。ネットの導師に感化されたと説明するんだ。モスクや店がなくなってもいいのか?」などと言う、卑怯な人物。その上で、「短い間、少年院に入れられるだけだ。祈っていれば大丈夫」などとアメッドを慰める。

アメッドは導師の言う通りにするが、結局、アメッドの兄が、導師がアメッドに、イネス先生は「背教者」だと吹き込んだのだと話し、導師は逮捕されたという。

イネス先生が信じているイスラム教は、ほかの宗教の人々とも仲よくするようにとの教えだ。農場の娘ルイーズは、神も天国も地獄も信じておらず、動物の生命をいとおしむ。

ネットでヨーロッパなどの若者にも「布教」する「過激派」。なぜ一部の人々は、その「教え」に染まってしまうのか?

この映画は「生ぬるい」かもしれないが、その一端の真実を、きっと切り取って見せてくれていると思える。このようなテーマを、子どもでも見られる形で作品にすることは、とても大切なのだと思う。

一部の人が苦しみ、不安に押しつぶされ、不満を増幅させて暴走するような社会にしないために、何ができるか。これは、日本でもよくよく考えていかなければならない問い、課題だ。

作品情報

フランス語原題:LE JEUNE AHMED/英語タイトル:YOUNG AHMED
※共に「若きアメッド」の意。

2019年/ベルギー・フランス合作

上映時間:84分

監督・脚本:ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ/Jean-Pierre Dardenne, Luc Dardenne

出演
アメッド/Ahmed役:イディル・ベン・アディ/IDIR BEN ADDI
イネス先生/Inès役:ミリエム・アケディウ/MYRIEM AKHEDDIOU
教育官/Caseworker/L'éducateur de référence役:オリヴィエ・ボノー/OLIVIER BONNAUD
ルイーズ/Louise役: ヴィクトリア・ブルック/Victoria Bluck
アメッドの母親/La mère役:クレール・ボドソン/Claire Bodson
導師/Imam Youssouf役:オスマン・ムーメン/Othmane Moumen


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