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好きなクラシックがあると言ったら、笑われた夜

池水は 濁りに濁り 
藤波の 影もうつらず 雨ふりしきる
伊藤左千夫

しとしと降る、雨の夜。
その音を聴きながら、本を読むのが好きで
窓から眺める雨が好き。

外に出る日、雨が降るのは嫌い。
風情よりも濡れる感覚が好きになれない。

梅雨。

6月が近づいてくる。
お墓参りにいく季節。
太宰治の命日・桜桃忌がやってくる。

太宰が死ぬとき、伊藤左千夫のこの歌を残した。

雨が降り続いて、池の水は濁り藤の影を写さない。
と、これまではこんな感じで意味を捉えていた。

今晩、強い雨の音、降り付けるような痛い雨。
この音を聞いていると太宰の苦しみが少しわかる。

「影もうつさず」ではなく「影もうつらず」と
うたっているのが歌のいいところだったんだと。

「うつらず」ということは、裏を返せば
うつすものが本当は存在しているということ。
濁る池水の水面には決してうつることのない藤も
本当は「そこ」に存在がある。

雨に気を取られていたら、忘れてしまう存在でも
存在している。そこには、ちゃんとある。

でも、見える人と見えない人がいる。

人間の弱さとか、脆さに対しても
見える人もいれば、もちろん見えない人もいる。

そして、大半のひとは気づかない。

梅雨は大嫌い。
それでも、1番太宰を思い出す季節。

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