青鬼の襷を洗う女 読書日記

青鬼の褌を洗う女 坂口安吾(著)

あらすじ

昭和初期に活躍した「無頼派」の代表的作家である坂口安吾の小説。初出は「週刊朝日」25周年記念号−「愛と美」[1947(昭和22)年]。小さい頃から母に、オメカケか家族か金持の長男にと告げと言われてきた主人公・サチ子。しかしそれに刃向かい、様々な男と付き合い我が道を行く。福田恆存に「坂口安吾の実験はどうやらひとつの頂点に達した」と語らしめた作品。(amazonより)

感想

かなりひねくれた感じがした。主人公のサチ子は男に依存して生きているが、そのことを悲観せず媚びたいとまで言ってのける。なかなかなかった感覚なので驚いた。引用のやり方を知ったので使ってみます。

私は野たれ死をするだろうと考える。まぬかれがたい宿命のように考える。私は戦災のあとの国民学校の避難所風景を考え、あんな風な汚ならしい赤鬼青鬼のゴチャゴチャしたなかで野たれ死ぬなら、あれが死に場所というのなら、私はあそこでいつか野たれ死をしてもいい。私がムシロにくるまって死にかけているとき青鬼赤鬼が夜這いにきて鬼にだかれて死ぬかも知れない。私はしかし、人の誰もいないところ、曠野、くらやみの焼跡みたいなところ、人ッ子一人いない深夜に細々と死ぬのだったら、いったいどうしたらいいだろうか、私はとてもその寂寥には堪えられないのだ。私は青鬼赤鬼とでも一緒にいたい、どんな時にでも鬼でも化け物でも男でさえあれば誰でも私は勢いっぱい媚びて、そして私は媚びながら死にたい。

青鬼の褌を洗う女 青空文庫

途中に挟まる処女性の信仰に対するアンチテーゼ的な会話は面白かった。ちょっと言い過ぎなところもあるが…。

それはあなた、処女が身寄りのようなものだてえノブちゃんの心細さは分りますとも。けれどもそんな心細さはつまりセンチメンタリズムてえもので、根は有害無益なる妖怪じみた感情なんだなア。処女ひとつに女の純潔をかけるから、処女を失うてえと全ての純潔を失ってしまう。だから闇の女になるですよ。けれどもあなた純潔なるものはそんなチャチなものじゃない。魂に属するものです。私は思うに日本の女房てえものは処女の純潔なる誤れる思想によって生みなされた妖怪的性格なんだなア。もう純潔がないのだから、これ実に妖怪にして悪鬼です。金銭の奴隷にして子育ての虫なんだな。からだなんざアどうだって、亭主の五人十人取りかえたって、純潔てえものを魂に持ってなきゃア、ダメですよ。そこへいくとサチ子夫人の如きは天性てんでからだなんか問題にしていない人なんだから、そしてあなた愛情が感謝で物質に換算できるてえのだから、自ら称して愛情による職業婦人だというのだから、これは天晴れ、胸のすくような淑女なんだな。

青鬼の褌を洗う女 青空文庫

現在、パパ活女子などがネットを騒がせているが、もしかしたら彼女たちもサチ子と同じような感じで媚びたいと思っているのかもしれない。総じてあまり考えたことのない価値観で描かれた作品なので、感情移入はできなかったが面白かった。坂口安吾は堕落論くらいしか知らなかったので、いろいろ読んでみようと思う。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?