中学、高校時代

僕は双極性障害らしい。「らしい」というのは、以前通っていた病院で不安障害と診断されていたが、途中から双極性障害に診断が変わった。うつ状態になり、そこの病院に通うのが辛くなったので、近くの病院に転院したら、うつ病なのか双極性障害なのか分からないということになった。一応双極性障害の薬は出ているが、抗うつ薬も出ている。抗うつ薬を飲んでいるが、ぶっ飛んでいるわけでもない。ただ鬱も治っていない。僕も何が何だかよく分からない。だから、主治医が双極性障害と断定しないのも確かに分かる。今の主治医は病名をすぐに診断しなかったり、薬に対して割と厳しい意見をもっている。これまでの医者は、すぐ病名をつけたり、割とコロコロと薬を変えたり増やしたりしていた。医者というのはかなり考え方が違うのだ。

自分の中でハイになっているなと思うことがある。友達と遊んでいる時やスポーツをしている時、本を読んでいる時、仕事中など、たまにハイになることがある。僕はゾーンに入るとかスーパーサイヤ人状態になるとか勝手に思っていたのだけど、これは軽躁状態だったのかもしれない。ただ、教科書的な、誰がどう見ても躁状態みたいなことになる訳ではない。ただ、決まって落ち込みもやってきた。だから、優しい人は「今日はテンションが高いね」とか「今日はテンションが低いね」とか言ってくれるのだが、嫌な奴になると二重人格だとか、キャラを作っていると言われていた。僕にはこの意味がサッパリ分からなかった。まあとにかく、気分の波があることは確かなのだ。

初めに精神的な不調が訪れたのは中学3年の時だった。学校に行くと吐き気がするのだ。特に嫌な事があったわけではない。友達も普通にいた。ただ、授業を受けていると吐き気を催すようになったのだ。初めのうちはなんとか粘って通っていたが、それも段々と辛くなり通えなくなって不登校になった。そして引きこもりになってしまったのだ。この時の記憶が正直言ってあまりない。学校に通えない僕は変わり者だという烙印を勝手に自分につけて、同級生と会うのが怖くて引きこもったのだ。すると、人と会うことや外出するのも怖かった。ただ、鬱ではなかった。家にいる時は何ともないのだ。ご飯を食べれていたし、夜も寝れていたし、好きな事も出来ていた。ただ、外に出て人と関わったりすると吐き気がでるだけだったのだ。

なんとか流れを変えようと高校に行った。といっても学校に通っていないし、受験勉強をしていないので、名前を書いたら誰でも受かるような遠くの高校へ行った。環境を変えたからといって吐き気が治るわけではなかった。まず電車で通学していたのだが、電車で吐き気を催す。学校に着いたら着いたで吐き気を催す。とにかく吐き気との戦いだった。友達をつくるどころではなかった。これはさすがにおかしいと思い、心療内科だか精神科に通った。正直この時期のこともあまり記憶にない。ただ、病院で処方された薬を飲むと吐き気が治って、すごく元気になったのを覚えている。今思うと二段階くらい気分が上がった気がするのだ。これまでは吐き気が辛くてうじうじしていたのが嘘のように、同級生に話しかけたり、ピエロ役を演じているような状態になっていたのだ。もう良くなったと思ったので、途中で勝手に薬をやめたのだと思う。すると冬休み明けに学校へ行けなくなった。そして退学することにした。そこからまた引きこもり生活が始まるのだ。

僕は引きこもり状態になると弱った姿を誰にも見せたくなかったので、友達との連絡も一切遮断する。それで、どんどん友達が減っていくのだ。高校を辞めて、引きこもっていたんだけど、このままではいけないと思って通信制高校へ行った。通信制なら一ヶ月に2回くらいしか通学しなくていいので、その2回くらい吐き気を耐えればなんとかなった。通信制に通い始めたあたりから、本を読んだり、音楽を聴いたり、映画を観るようになった。これまではインターネットをしていたが、このままではいけないと思い、本と音楽、映画に切り替えたのだ。そして、図書館や本屋、ブックオフにレンタルビデオ店をはしごする毎日だった。一応外には出ていたが、誰とも関わらない状態だった。このあたりから少し変わってきた感覚があったが、吐き気は治らなかった。

僕は18歳頃まで本が全く読めなかった。そのせいか、自分が感じていることを言葉にすることができなかった。コミュニケーションも場当たり的なコミュニケーションだったのだ。だから「吐き気が辛い」ということも言えなかったのだ。ただ、本を読めるようになって、というか読む訓練をして、頭の中で文章を作れるようになってきた。すると、今の自分を分析できるようになってきた。これが本を読んだことによる大きな収穫となる。本にしろ音楽にしろ映画にしろ楽しんで享受していたかというとそうではない。もう修行に近かった。ざっくり言うと生きるモデルを探していたのだ。だから就職するまでの間の何でもない時期は、本や音楽、映画が沁みわたるように吸収できた。就職してからは全く吸収できなくなってしまった。なんだかアホらしくなってしまうのだ。就職するとある程度のレールというか現実が見えてくる。大体周りの上司をみていたらこうなるんだろうなというのが想像できてくる。それが嫌で仕方なかった。要は自分の物語を生き始めることによって、他の物語、本や音楽、映画が全く入ってこないのだ。本は小説なんてものは全く読めなくなって、もっぱら、実用的なものしか読めなくなっていた。自己啓発本みたいなので士気を上げていたくらいだ。

とにかく、僕は吐き気に悩まされてきた。後気分の波もあった。物事もいつも中途半端で投げ出していた。もう、どこからどこまでが努力不足や忍耐不足で、どこからどこまでが病気なのか分からない。高校時代以降は次に書きます。

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