神戸大学文芸研究会
神戸大学文芸研究会の2022年度部誌を有料にて公開致します。 お話毎のご購読も可能です。1話250円,全5話
日頃よりご支援ありがとうございます。 神戸大学文芸研究会です。 この度、神戸大学文芸研究会は会の運営者の不足により、来年度以降の活動は休止となりました。 せっかく始めることができた活動ゆえに我々もとても残念に思いますが、ご理解の程よろしくお願いいたします。 こちらのアカウントは引き続き閲覧可能です。 もし新たに運営をしたいという方がいらっしゃいましたら、喜んでお手伝い致します。こちらのメールアドレスまでご連絡ください。 literatureclub.kobe@gmail
かの夢想の僧を訪ねる旅、それは予想外の出逢いの連続でもあった。その中でも忘れられない出逢いを一つ、この奇譚に託して語ろう。
S県の遥か沖合に、海底から突き出した牙のような小さい岩々が浮かんでいる。その中心に、緑色の島がただよっていた。
しんしんと粉雪が空を染める夜の田舎町、毛糸の帽子にマフラーを羽織った人々は、明日の祭りを前にして、忙しなく、慌ただしく動き回っていた。
村上陽向
小四の頃にこんなことがあった。 僕のクラスには青原祐樹というクラスメートがいた。外交的でよく喋り、誰とでもすぐに仲良くなれるタイプの活発な子だ。 だが一つ欠点があった。彼はよく嘘をつくのだ。例えば皆で増え鬼ごっこをしているとき、彼は鬼に触られてもしばらくすると自分が逃げ側の人間であるように振舞うのだった。僕は何度となく、彼が捕まったのを目撃した後に彼が逃げ集団に紛れているのを見たことがあった。 おそらく他のクラスメートも彼のそのような常習的虚偽に気付いていたと思う。だが
都から少し離れると、都会ではないが田舎というほどでもない、いや、やっぱり田舎かな、といったふうな町がある。遠くを見渡すと、雄々しく連なった山脈が、その上半身を白くめかしこんで、空に溶け込んでいる。海に面しており、自然豊かという言葉がよく似合う。大陸で海に面している国は少ない上、この国で海のある町はこことすぐ隣ぐらいであるから、この辺りは海運業で栄えている。 とりわけこの町では、塩が多く採れる。内陸の町へ塩を売ることで栄えており、質の高い岩塩も多く発掘されている。この町の人
「…夢か」 過去の夢を見た。今でこそ何も気にならないが当時のこれは忌々しい記憶だ。ふとスマートフォンのカレンダーを見る。日曜日。外は快晴の青天井。出かけるには絶好の日和だ。だが、そんな気は何故か起きない。どうもまだ引っかかっているらしい。 「…面倒だ」 そう独りごちる。親は出払っているようだ。日曜というのによく働く人達だ。思わず笑いが出そうになる。夢の内容を思い出す。 かつて、確か自分は王族だった。王位継承権を持たぬ5人目の男。どうせ国を任されない事は幼いながらも分かってい
「傷つけたくない人がいるのです」 その言葉がわたくしの失恋でした。穏やかでいつもの通り優しく、しかし芯のある声音でした。 貴方はわたくしの目を見ておっしゃってくださいました。しかし、優しさとはときに残酷なものなのです。初めて見るような貴方のそのときの表情をきっと、わたくしは忘れることができないでしょう。 すぐに悟りました。貴方の心の隅にすら、わたくしの居場所はないのだと。 その言葉も、声も、少しだけ薄桃に染まった頬も。だれかを大切に想う姿は、貴方をより魅力的に思わ
それは、道なき道を進む旅だった。古の道を辿り、かの高僧の跡を尋ねる。目的地は遠く、道はあまりに険しい。これはそんな記憶の旅の、一つのスケッチとも言うべき奇譚だろう。 その日は想定外の連続だった。まず、町への到着が増水した川のせいで遅れた。次に、泊まるつもりだった宿はどこも満杯で、一夜を明かす場所を探す羽目になった。最後に、町の住民の警戒心はあまりにも強かった。そういう訳で、私は野宿覚悟で次の町へと強行軍を進めることになった。 次の町へはある草原を横切って向かうのが一番
ぼく、うまれたときからこの姿 だけどぼくは、異形なんだって 「ぼくはきみの温度を知らないし きみはぼくの温度を知らないね」 「誰もぼくに触っちゃいけないんだって ぼくからも触っちゃいけない」 やけど、してしまうのかな それか、溶けてしまう? でも、きみに触れたいな 触ってくれたら、もっといいな 姿を変えて、会いに行けたら きみに触れたいな ひとはきらいだったけど、きみのことはすきなんだ 信じて、くれるかな 花も、ぼくが怖いみたい 君に、なにか贈れるものが、あるとい
きっとさ、このまま私たちいつの間にか大人になって、いま見ているあの雲の形も忘れちゃって、お人形さんみたいに口を真一文字にして仕事にでかけては冴えない同僚と、あー結婚したいだの、飲んでなきゃやってられないわよねーだの、何人も何人も繰り返し言ってきたんだろうくだらない戯言ばかり並べて、つまらない人間に成り下がって、それでもそんな自分に気づかない振りして、同世代の偉い人やら有名な人やらをディスプレイ越しに、住む世界が違う、なんて一蹴して、近所の小学生の声を耳に入れては、自分の若か
私たち文芸研究会は、昨年の10月から活動を再開したばかりのサークルである。再開したとはいっても、それまで事実上廃部になっていたのを現在の部長が引き継いで新しく立て直したという体であるため、以前の活動との連続性はほとんどなく、したがって実質的には全く新しく出来たばかりのサークルなのである。そのため、活動の方向性がまだ明確には定まっておらず、読書会を開いたり、こうしてnoteに文章を投稿したりするなど、色々と試行錯誤を繰り返している状態である。 しかし、いつまでも活動の方針が
「どうか」 ─────── カラスの低空飛行を横目に見やり まもなく冥府へ連れ去られるあの子と重なった せめて ツバメが低く飛ぶまでは ネモフィラを枯らさないで あの子を蝕むもの、待ってください どうかもう少しだけ あの子といさせて 6月の雨がわたしの涙を隠すまで 嗚呼、雨雲が此方へ来る ─────── 2943
「春」 その言葉を聞いた時、どのような概念が連想されるだろうか。大方の場合、人々はこの単語に「出会い」、「生命の芽吹き」、「新しい生活への憧れ」等等のことを想起するように思われる。要するに、春とは何事かが始まり、また自ら何がしかの活動を始めるべき時期なのである。また、命が生まれる時期といえば大抵は春が想定されるように、そうした「始まり」の印象は、一般的に「何か良いことが起こるに違いない」と半ば信仰するかの如き好意的な空気感に包まれながら供されるだろうーここで私は語彙の貧弱のた