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文芸(文学)とは何か?――文芸研究会活動再開に当たって――

 私たち文芸研究会は、昨年の10月から活動を再開したばかりのサークルである。再開したとはいっても、それまで事実上廃部になっていたのを現在の部長が引き継いで新しく立て直したという体であるため、以前の活動との連続性はほとんどなく、したがって実質的には全く新しく出来たばかりのサークルなのである。そのため、活動の方向性がまだ明確には定まっておらず、読書会を開いたり、こうしてnoteに文章を投稿したりするなど、色々と試行錯誤を繰り返している状態である。
 しかし、いつまでも活動の方針が分明でないままであるわけにはいかない。もしそのような状態が続けば、再び廃部の危機に陥ってしまう恐れがあるからである。
 そこで、この新歓の企画にあたって、私たちのサークルの活動の中核をなす「文芸」というものについて、改めて考え直してみたい。「文芸」とは何か。そして、それを「研究」するとはどういうことか。これらのことを、今一度明確にすべきであろう。この文章が、今後の活動の方向性を定めるにあたって、その一助となれば幸いである。

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 さて、まずは「文芸」という言葉の意味について検討してみたいと思う。「文芸」とはそもそも何なのであろうか?
 この言葉を辞書で引いてみると、「①ことばによる芸術。文学。②学問と技芸。学芸。」というふうに定義されている。私たちの扱う「文芸」は、この場合①の方であろう。もちろん、②の方で捉えることも全く不可能なわけではない。が、②は意味としてかなり広義であるため、もしこれを文研の扱う「文芸」としてしまうと、文研の活動はあまりになんでもアリだということになってしまう。それでは、活動に一定の方向性を与えると言うこの文章の目的に反することになる。そのため、ここでは①の方の意味を採用することにする。そうなると、私たちの「研究」の対象である「文芸」とは、辞書的に言えば、文学、すなわち「ことばによる芸術」ということになる。
 しかし、ここでまた一つ新たな疑問が生じる。「芸術」とは何なのであろうか? 「ことばによる芸術」とは言うが、「ことばによる」の部分はあくまで修飾語に過ぎず、その中心となるのは「芸術」という言葉である。したがって、今度はこの「芸術」という言葉の意味を明らかにしなければならない。
 しかし、この問いは決して容易に答えられるものではない。というのも、この「芸術」という言葉は、漠然とした認識こそ共有されているものの、その具体的な意味となると、たちまち様々に意見が分かれるからである。実際、古今東西多くの人々によってさまざまな定義が提唱されてきたものの、いまだに一致した見解を得るに至っていない。つまり、現状、この言葉の具体的な捉え方は各人の芸術観に委ねられているのである。
 したがって、ここでは文芸研究会としての芸術観を呈示する必要があるだろう。しかし、文研を実際に構成しているのは一人ひとりの部員であり、それぞれの部員にそれぞれの芸術観があるであろうから、ここで文研としての芸術が何であるかを無理に呈示するよりは、あえてそれを漠然としたままの状態にしておき、その詳細は必要に応じてその時々の部員の手に委ねた方が良いであろう。また、「芸術」という言葉の意味の探求に深入りしすぎてしまうと、「文芸」というものを考えると言う本来のテーマから大きくそれてしまう恐れもある。ゆえに、ここに於いては、強いて「芸術」というものを定義せず、あいまいなままにしておこうと思う。
 もっとも、いくら「芸術」という言葉があやふやなものであるからといって、どのようなものが「文芸」に当たるかということまで分からないわけではない。これについては、ある程度一致した見解がみられるように思う。そのため、あえて「芸術」の意味を問わずとも、これさえ明らかにしてしまえば、文研が扱う「文芸」とは何かという問いに対して答えるのには十分であると思う。よって、ここからは「文芸」にはどのようなものがあるかを見ていくことにしよう。
 再び辞書で「文芸」と「文学」の項目を調べると、そこにはそれらに当たるものとして、「詩歌(しいか)・小説・戯曲・随筆・評論」の5つが挙げられている。これらを端的に見ていこう。
 詩歌は、詩と歌のことを指す。『ギルガメシュ叙事詩』が世界最古の文学作品として知られているように、文学の中では最も古くからあるジャンルである。一口に詩歌といっても、それらには実に様々な形式のものが存在する。例えば、昔からあるものでいえば漢詩や和歌があるだろうし、ほかにも短歌や俳句・和歌・川柳・都都逸など一定の形式をもったものや、形式にとらわれない自由な詩や歌も存在する。また、歌詞なども、詩歌の一種と言えるだろう。
 小説は、これもその定義に様々な意見があるだろうが、端的に言ってしまえば散文体で書かれた物語である。先ほどの詩歌と並んで、文学に於ける主要な形式である。
 戯曲は、今日(こんにち)では国語や現代文といった学校教育に於いてあまり扱われないということもあり、ほかの4つに比べるとややマイナーなジャンルであるかもしれない。しかし、これも立派な文学の一形式である。戯曲とは、劇の脚本という形式で書かれた物語のことである。台本形式の小説と言ってもいいかもしれない。戯曲で有名なものとして、シェイクスピアの「ハムレット」「マクベス」「リア王」「オセロー」といった諸作品が挙げられる。
 随筆、あるいはエッセーは、書き手が思ったことを自由に綴った文章を言う。特定の形式にとらわれず、自身の随想を思うままに書くというのが特徴である。そのため、文章芸術の中では最も、どんな人にとっても書きやすいものなのではないかと思われる。
 最後に評論であるが、これは文字通り、ある物事についてその良し悪しなどを「評し論ずる」文章である。現代文に於いて最もよく取り扱われる文章形式であるため、受験生にとっては特に身近なのではないかと思われる。もっとも、評論が果たして「芸術」に当たるのかどうかについては議論があるところかと思われるが、一応辞書的には文芸の一ジャンルとして扱われているようである。
 以上が、各文芸形式の概説となる。すなわち、これらが私たちの扱う「文芸」というわけである。「文芸」というものに関する考察は一先ずここまでとし、次回はこの「文芸」というものを私たちが扱う意義について述べていきたいと思う。

永井 蓮

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