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卒業

「春」
その言葉を聞いた時、どのような概念が連想されるだろうか。大方の場合、人々はこの単語に「出会い」、「生命の芽吹き」、「新しい生活への憧れ」等等のことを想起するように思われる。要するに、春とは何事かが始まり、また自ら何がしかの活動を始めるべき時期なのである。また、命が生まれる時期といえば大抵は春が想定されるように、そうした「始まり」の印象は、一般的に「何か良いことが起こるに違いない」と半ば信仰するかの如き好意的な空気感に包まれながら供されるだろうーここで私は語彙の貧弱のために良いものの例として命の発現を挙げざるを得なかったが、この世に生を受けることを本当の意味で前向きに捉えられるかどうかについてここで詳しく論じるつもりはないー。だが少なくとも私にとって「春」とは、必ずしもそのような賞賛に彩られた魅惑的な出発点ではなかった。
或る春の日のことである。朗らかな陽光が雨戸の間隙から差し込んでくる静謐なアパートの一室で、私はゆっくりと起き上がってきた。窓際に日が照り始めたのを告げる時鳥のさえずりが聞こえたので午前七時、八時であったか、今の時分には記憶が定かではない。ともかく布団を片付けるよりも率先して枕元のスマートフォンを手に取ったのであろう。人前ではこの「電子板」に汲汲とする者たちに、やれ他人の言動がそれ程気になるのかだの、やれインターネットの奴隷になるなだのと偉そうな警句を弄してきたものの、そう高唱した当の張本人が他にやるべきこともあろうにむしゃぶりついて目の前の黒い画面を凝視する姿には苦笑を禁じ得ない。私も結局のところ、他人の目線が気になって仕方のない凡百の現代人の一部であったか、もしそうでないとしても少なくともある種の中毒者であるに違いない。最初は何の意味もなく電源を点けたり消したり、ネットを開いたり閉じたりを繰り返していたのであるが、指先で液晶の板を弄り回すうちに友人から通知が来ていたことに気がついた。その内容を搔い摘んで言えば、今日映画を撮ると約束した筈なのに未だ現れないとは何事か、ということである。私は一瞬予定を忘れていたことに驚き、ああそうだったと独りで呟いた。何にせよ彼との契約は無碍にできそうもない。すぐさま謝罪し、急いでそちらに向かう旨を伝えた。
実際、これは社交辞令などではなかった。私は本当に途轍もない程に急いだ。大学構内の端にある古びたコンクリートの学生寮、その前の薄暗い広場が彼と私の活動拠点であった。その陰気な空地で二人の男衆が黙々と映画を撮影するのである。彼と私は「映画研究会」に所属していた。尤も部員はその二人だけであったし、その研究会が何がしかの権威を公的機関から与えられていたのかすら定かではない。もしかすると彼が申請でもしていたのかもしれないが、全て彼に任せていたから私にはそれを知る由もなかった。広場の、いつもの場所には既に彼が待ち構えていた。
「60分。お前が遅れた時間だよ。それだけあれば絵だって脚本だって書けたんだ。一体何だって俺の足を引っ張ろうというんだい」
「本当に御免よ。目覚まし時計が壊れていたらしいんだよ。忘れたとかそんなんじゃなくて・・・・・・」
「ともかく時間の無駄だ。最近の君の仕事振りと態度にはもう少し言っておきたいことがあるがね。早く三脚とカメラを設置してくれ」
私は背負ってきたザックをごちゃごちゃと探り、無造作に彼の要求するものを取り出し設営し始めた。そして半ば無意識に三脚を組み立てる間、彼の独り愚痴ー或いは意図して私に語りかけているのかもしれないーに注意を払っていた。彼の口さがなさ、辛辣さは別に今に始まったことではないし、私に限ったことではないだろう。どちらかと言えば、彼のストイックさと自分の意思を直言してしまう性格がそうさせるのだ。私はずっとそう理解していたものの、矢張彼の口振りと私への扱いに不満が鬱積していなかったかと言えば嘘になる。彼とは可成の旧い仲であった。世の中には、離れようとも離れ難い友人や恋人を評して腐れ縁と自嘲する者たちがいるが、それでも幼稚園児の頃合いから大学まで、一度の間断もなく同じ進路を取り、同じ釜の飯を食うような関係は彼と私くらいのものであろう。このような鎖の呪縛に陥ったことに関して、特段是と言った意思が介在したとは考えられない。否、ともすると当時は互いに素直な親密さを抱いて同じ環境を求めたのかも知れない。今となってはいつから彼と親交を持ったのか、またその理由さえ分からない。本当は理由など無かったのだろう。ただ単に、同じ所で出会った二人が時間を共有するようになった、ただ単にそれだけだ。よく考えれば趣味も思想も、目標さえ異なる人間が大学までの十数年間友諠を結んでいたというのは珍しいことであったのかもしれない。
「組み立て終わったのか。使う台本は予め送っておいたろう。今日はその内最初の十頁ほど撮れればいい。といっても場面は朝か昼の背景が良いから夕方迄には撮らないといけないが」
「話の内容はあれか、自分の世界に閉じ込められてしまうというやつか。今回は実に奇妙な話を持ってきたね」
「ああ、元々は何処かの有名な都市伝説みたいでね。それをオマージュしたという訳なのさ」
「つまりは剽窃したという訳なのね」
「否、換骨奪胎と言ってくれ。その本質的な部分は全て俺が作り出したものさ。雰囲気を借りるだけなら芥川龍之介だってやっているだろう」
「それで、つまり十頁ということは・・・・・・」
「ちゃんと予習してきたのかい。ほら、主人公が実存的不安に煩悶している部分だよ」
「否、勿論そんなことは分かっているよ。ただ確認しただけ。というより今日は二人だけで大丈夫なのか」
「殆ど独白のようなものだからお前と俺だけで十分だろう。今日はアシスタントが来られなさそうだしな」
実際、その日は本当に二人だけで十分であった。というのも独り言を呟きながら転げ回るなど正常な羞恥心と凡庸な演技力を兼ね備えた普通人には困難極まる曲芸であったからだ。恐らく彼の見事な脚本力がなければ、むさ苦しい成人男性が一人唸る情景など共感性羞恥を陳列した目も充てられない駄作になっていたに違いない。結局その日は最初のシーンを擦り切れるほどに録り直しただけで日が傾いてしまった。私としては、別段その場面を撮るために白昼堂々周囲の目を憚りながらビデオカメラを回す必要性もないように感じられたが、聡明な彼のことだ、全体として何らかの効果を狙っていたに違いない。尤も私が完成作を目にすることはなかったのだが。彼と私は三脚等の機材をすっかり片付けてしまい、家路につくべく夕刻の河川敷を歩いていた。河岸にはもう、ちらほらと青青とした水草が萌えていた。足下の芝生は未だ干し草の如く黄ばんで生気を喪っていたが、寂寥とした桜並木には既に蕾が朱く綻び始めていた。二人は川沿いに下りながら互いに押し黙って歩いていた。私は話題を見つけて居心地が悪い時間を潰そうとして、夕空に目を泳がせながら思案に暮れていた。彼は専ら流水が河原の石の間を滑り落ちる音に関心を払っているようだった。長い沈黙を挟んで、細い道の奥に佇む橋の欄干を見つめながら、彼は今後の計画について口を開いた。
「ああ、今日一頻りやってみたが残念ながら想定していたよりも興味深い出来にはならなさそうだ。どうだろう、続けようか」
「続けてみるというのは」
「いや、このままやってもあまり面白くなさそうだ。撮影はお蔵入りということでも」
「・・・・・・折角撮影したのになくしてしまうのか。」
「そちらがやりたいのなら仕方がない。撮影を続けよう。明後日はどうだ。空いてるか」
「空いているよ。多分。明日はどうする」
「今日収めた分をもう編集してしまうから、明日はその時間に充てる。小さな部分はそっちが今までやってきた手順で繋げればいいんだ。但し重要な部分と技術が必要な部分はお前に任せられないから後で指示した通りに送って呉れ」
「分かったよ」
「そうだ、次の撮影には演劇部の者を数名ほど呼ぶ必要があるかもしれないな。確か主人公の彼女の役が必要だからな」
私は相手の側から口火を切ってもらったことに少々安堵しつつも、ぞっとしない無機質なやり取りの数々に鬱屈とした感情を抱かざるを得なかった。特に彼が半ば不承不承活動することの責を、誘導尋問のように私が負う形になってしまったのは心苦しかった。実際奇妙なことに聞こえるかもしれないが、彼にとって私と映画を撮影する行為は左程気が乗ることでなかったように、私自身もこの活動を、胸中に何の一物も抱くことなしに愉しんでいたわけではなかった。そのような心的距離であるにも関わらず彼と離れ難い状態に陥ってしまった所に、私自身の問題があった。
話はこの地点より数年戻ることになる。元々のきっかけは大学に進学してから半年ほど経った頃、彼が私にこう提案してきたことだった。「大学生で自主製作映画なるものを撮っている人たちがいるらしい。俺達も映画研究会などを立ち上げて一旗揚げてみないか。二人ならば百人力だ、名の残るような秀作が作れるやもしれない」。勿論二三年でも学府に身を置いた人生経験豊富な先学者からすれば、このような世迷言は一笑に付されるべき類のものである。だが彼が頻りに目を輝かせて私を誘うので、提案に乗るのも悪くはないと考えたし、事実私の方も無邪気に好奇心を覚えていた。そしてあれよこれよという間に「自称」映画研究会を作り上げたのである。結局縁故で手伝ってくれる何人かの知り合いや、物見遊山で飛び入った学生はよく居たが、継続して研究会に足を運ぶものは居なかった。それでも、二人で案を考え共に演じる経験は、私にとって新鮮な喜びと意欲をもたらすものであった。そのため、当時の私は十二分に満足感を得ていたし、現状に対して何ら疑問を持っていなかったのである。
潮目が変わり始めたのはそれから一年程経った後であろうか。二人の望む作品の案、構成に関して見解と方向性の相違が顕在化するようになり、一度撮り始めた映画が宙ぶらりんのまま放棄されたり諍いが高じて友好に深刻な不協和音が走ったりしたのも一度や二度ではない。それまでの二人の関係であれば、欲求の対立など数日もあれば互いに忘れていただろう。だが抑圧された生徒児童という閉鎖的立場から、苟も大学生というある程度自己責任が奨励される自立的立場に否応無く移送されたことの必然的帰結なのか、作品を創り出すという営為に潜む何らかの魔力がそうさせたのか定かではないが、研究会に於ける二人のわだかまりは深く、終始ぎごちない関係が続くようになってしまった。だが今思い返してみると、重く雲のように滞留する不安感の本質はそれだけに求められるものではなかったのかもしれない。いつ頃からだろうか、はっきりと口に出すわけではなかったものの、彼は私の存在価値を勘定するような目線を頻りに向けるようになったのであった。つまりは彼にとって、私とは作品を作り出す補助器具のようなものに過ぎず、少しでも見劣りのする部分を見つければ簡単に吐いて捨てることができるようなものだった。実際、彼が時折見せる高圧的な要求や、私を切り捨てることも厭わないような婉曲的な威迫は、自らの目的のために私を利用しようとする企図を暗に示していた。私は当初これまで見てこなかった旧友の変容に純粋に心を痛めるだけであった。しかし、彼との関係を内省的に整理するにつれて漠然とした不安の中にもう一つの面を感じた。私自身も同様に、これまで見えてこなかった彼への目線が心の底から薄らと亡霊のように浮かび上がってきたのである。私が映画を作り始めて一年間、それまでは無条件なものと思われた彼との友情も、何らかの目的の手段であるかのような印象を感じるようになった。結局のところ私の方にも彼の必要性を飽くまでその能力に求める考えが無意識のうちに芽生えていたのである。いつしか私が彼と行動するのは、良い作品を作るという目的にとって必要な場合にのみ限られるようになった。彼が私を利用するだけであるように、私にとっても彼の存在意義は作品のために計算可能な利害関係に劣化していた。
二人は再び沈黙しながら桜並木の道を下って行った。やがて道は住宅街に入り込み、三叉路に突き当たった。彼と私はそこで別れた。私の家へ進む小さな路地、そこには時折先を横切る野良猫の他は私以外何もいない。もうすっかり空が暗くなっていたので、傍らの街灯に照らしながら渡された台本に目を通した。全ての指示を事細かに説明していては紙幅が余りにも足りないので、粗筋だけ話すならばこのような物であった。主人公の大学生松方は、或る春に周囲の環境に合わせて心身の不調を来たす様になり、自らの存在・信念自体の確実性に疑問を抱いて苦悩する。それから彼女に振られたり家族に嵌められたり果てには単位を落としたりと細細とした散々な目に合って絶望する。そして最終的には偶然空想の世界に迷い込んで帰って来なくなるという筋書きであった。場面だけを抜き出して言えばありきたりであり面白くないように思えるが、彼の具体的な指示や編集を行えばそれなりに見ごたえのあるものにはなるのだろうと思った。
私は手にした台本を斜めに読み終わると、それを小脇に抱えながらゆっくりと歩き始めた。思い出したかのように、友人関係の本質とは何であったのかを再び思惟しながらである。そういえば中国の故事に、友と同じ目標を持ってはいけないという警句があったような気がするが、今になって思うにこの忠告は正しかったのだろう。確かに関係が完全に冷え込んだという訳ではない。もしそうならばわざわざ一日をここまで浪費することもなかっただろう。しかしながら、この数年における彼との、いやよく考えてみると彼に止まらない周囲の多くの人間との関係が、所謂契約上の、利害関係上の取引に基づくものであることに気付いてしまった。生活環境が自由な大学に変わったのが影響していたのか、従来何となくこういうものであると信じてきた自生的な人間関係は、全て個人間の契約関係に変質していた。もしこれが単に彼や周囲の人間から一方的にもたらされた変化であれば、その者達をなじることもできただろう。しかし、知らず知らずのうちに、私も彼、いや彼らに対してそろばんずくの感情を次第に抱き始めていたことで、彼らだけではなく己自身にも漠然とした嫌悪感を持たざるを得なかった。
「春になれば新しい関係が始まる。だがその変化は個人の力ではどうしようもない無為自然の力によってもたらされるものなのか。本当に自分にとって望ましいものなのか。世間は価値観だの趣味だの目標だのを同じくする友人を作れと言うけれど、そんな関係は欺瞞ではないのか。人と人が出会って親交を深める。そこに何らかの目的も価値も損得もないとnaiveに考えて生きていたが、今や社会も自分自身もそれを否定しようとしている。確かに因習に縛られない客観的で合理的な人間関係を望ましいと周りに吹聴してきたことは否めないが、もっとより本能的で根幹にかかわる部分で、そうした合理化を拒んでいたのかもしれない。しかし、人間の現実的な在り方とはそうした契約関係であり、これまで信じてきた在り方が子供じみた妄想だというのなら、今やそうした幻想は捨てなければならない。春を重ねるにつれて我々は大人になり社会に参加する。大人になるということが、社会に否応なく接続することが、血の通わない無機質な関係の束を集めることならば、そうした変化は自分自身にとって名状しがたい不快感を煽るだけだ。もう幾つか年を経れば、こんな疑問さえ自分自身で抱かなくなることが堪らなく恐ろしい。果たして春になるのは良いことなのか」
私は憚る人目もない住宅街の路地でぶつぶつと独り言を呟いた。アパートの目の前まで辿り着いた時、空はもう完全に光を失っていた。
次の日の午後のことである。私は町の外れにある総合公園のベンチに座っていた。公園は周囲一キロメートル四方もあるのではないかと思われる広々とした丘で、所々に植樹された松やらコナラやらクヌギやらが林を成していた。私は緑がかった木漏れ日に打たれながら、目の前の大きな噴水が吹きあがるのを半ば放心して見ていた。何故そう無心だったのかと訊かれれば、疲れていたからである。昨日撮った分を編集するように言われていたが、編集作業というのは可成骨が折れる。朝早くから画面を睨んでいたが、午後一時を廻った頃から疲労が溜まって目が霞み、仕舞には頭がガンガンと痛んで気分が悪くなってきた。だから気晴らしに郊外のパスタを食べに行ったのだが、そのまま真っ直ぐ帰らず目に留まったバスに乗り込んでいた。そして気付けば春風の心地よいのどかな公園に足を踏み入れていたのである。私が尚もビニールシートを広げている家族連れや、梢に留まるホオジロ等に気を散らせながらぼうっとしていると、他に座る場所もあろうに隣に腰掛けてくる女性がいる。驚いてそちらに目をやると演劇部の佐藤さんだった。
「ああ、誰かと思えば佐藤さん。奇遇だね。何故ここに」
「さっき部の皆と近くのレストランで食事してたんです。先輩こそ珍しいですね。こんな所に居るなんて」
「何でだろうね」
「ふふ、相変わらず変な人」
「そういえば、明日映画研究会に来るってのは君かい」
「そうですよ、私が来るって五十嵐先輩から聞いてなかったんですか」
「アイツは秘密主義者だからな。一人で何でもやってしまうんだ」
「まあ、あの人はそういう所がありますからね。でも先輩、最近五十嵐先輩への当たりが強いですね。差し出がましいようですけど、仲良くしないと駄目ですよ」
「別に、アイツとは元から友達だよ」
「ぎくしゃくしているように見えますが」
「それはその・・・・・・友人関係の性質が変わっただけだよ。互いにプライバシーを尊重しているんだ」
「もしかして先輩たち、映画を撮る時しか会ってないんじゃないですか」
「最近ね。元々は業務上の付き合いじゃなかったんだが。大人になるとそういう関係になるもんかね」
「そりゃまあコミュニティに依りますけど、大学出たら純粋な友達付き合いってないらしいじゃないですか」
「確かに大人は競争社会だし、心からの付き合いはなくなるな。嫌になったわ、大人になるの」
「いやもう大人ですよ先輩。らしくないですね、先輩ってそんなに粘ついた人間付合いが好きでしたっけ。随分価値観が旧いように思えますけど」
「青年でも大人でもない中途半端な年齢になると、人間関係とは何か気になるもんさ」
「まあ、本当の友情が何処かにあるって信じるのは人の性ですけど、拘っていても仕方ないですよ。現実ってものがあるんですから。私、先輩ならどれだけ環境が変わってもしぶとく生き残るって信じてます」
「それはどうも。取敢えず君も人間関係には気を付け給えよ。あと、この話はアイツに伏せといてくれ」
「勿論ですよ、お互いに。あっまた前みたいに当日になって撮影ほっぽり出さないでくださいねー」
「善処する」
私は公園を立ち去った。後ろから彼女の声が聞こえた。私は振り返らずに手を振った。
私はちょうど太陽が地に墜ちた宵の口(逢魔時)に昨日の桜並木を歩いていた。いつ帰るのかを考えながら。その時着信があった。父からだ。
「もしもし」
「おい、聞こえるか。実はな、お前のじいちゃんが亡くなった」
「あっそう」
「去年の冬から寝たきりみたいなもんだったが、昨日に容体が急変していけなかった。父さんが病院に駆け付けたときにはもう帰らぬ人だったよ」
「ばあちゃんはどうなの」
「ああ、母さんならぴんぴんしているよ。事態が理解できていないのかもな。いや、理解していても駄目か。ともかくお前今春休みだろ、明日うちに帰ってこい、法事とか色色あるんだから」
「・・・・・・そう」
祖父は元々妻思い、子供思いの良い人だった。勿論孫思いでもあった。それこそ私が赤子の頃から一緒に遊んでくれる優しい人だった。だが五年くらい前に祖父はある忌々しい病に侵されてしまった。病名は忘れてしまったが認知に関わる病気らしい。脳細胞の変化によって引き起こされるもので、老人に極めて多く発症する病なのだそうだ。それから彼は、これまで常に愛し合い、一度も喧嘩などしてこなかった祖母に対して暴言を吐いたり乱暴したりするようになった。さらに悲しいことに、前に私が彼と対面したとき、私の名前を憶えていなかった。彼は私のことを不審者か何かと思っていたらしく、口汚い言葉で私を罵った。次第に祖母にも同じ病の症状が出てきた。ご近所でも有名なおしどり夫婦は、いつの間にか罵り合いの絶えない凄惨な関係に変貌していた。彼の最期に私は立ち会わなかったし、最後の一年間は家族の許へと帰ることすらしていなかったが、末期の彼は家族の存在はおろか自分が何かさえ分かっていなかったようである。比翼連理と謳われる夫婦の情愛も、自然に生れ出ると思われた家族の絆も、つまるところそれは、一定の条件・一定の生化学的脳機能によって引き起こされるものに過ぎないのだ、という想像が私を包み始めた。友情だけではない、愛や絆も同様に虚像であった。
「『本当』って一体なんなんだろう。なんかやんなったな生きるのが」
呟きながら前に目をやると、昨日通った三叉路があった。しかし、昨日とは何かが違う。そうだ、三叉路の突き当りは元々煉瓦造りの会計事務所だった筈だ。それが今や洒落た大正モダンのコーヒーショップに変わっている。まさか、一日でこんな。狸にでも化かされたのだろうか。普段の私なら驚きのあまり踵を返して逃げ去ったことだろう。だがその日の私は、窓から漏れる眩しい程の黄色い照明に誘われて、赤青黄色の色ガラスで綺麗に装飾された重厚な木のドアに手をかけた。その瞬間、ドアが勢いよく開いて私をなぎ倒し、大量の桜の花びらがこちらに向かってどっと飛び込んできた。ドアに打ち付けられて気を失った私が目を覚ますと、周りには地に落ちた桜の花びらと一面の蒼い竹の森があった。辺りは真夜中のようだが大きな満月が照らしているのでよく見えた。無限にも思われる壮大な竹の群生が肩を寄せ合ってさわさわと揺れている。時折竹の間から漏れる涼しい風が心地よかった。よく見ると前には道が広がっている。その両側には無数の竹がせり出していて恰も嵐山のようである。私はどこに続くのか見当もつかない竹林道を歩いていった。月明りを頼りに道を登り終わると、竹の林が切れて、どこまでも続く一面の夜桜が姿を現した。桜は月光に照らされて、ピンクとも白とも紫とも言い様のない、妖艶な幻光を放っていた。八百万本もあるであろう桜の群生の下には青白く光る清流が走っており、快い程度に冷たかった。渓に下りてひと掬いその水を飲んでみると、ほんのりと甘かった。この世にこんな素晴らしい世界があったのかと、恍惚な感情に耽っていると、桜の幹の傍から女性が現れた。佐藤さんだろうか。いや何か違う気がする。顔は彼女なのだが雰囲気が別人だ。昼に会った彼女はもっと幼げで天真爛漫な表情をしていた。しかし、目の前の彼女は大人びていて、険しく真剣な顔立ちをしており、十年も年齢が違うかと思われた。さらに目の前の彼女は昼の衣装とは異なり、コーヒーショップの制服に袖を通していた。
「やあ佐藤さん。変な趣味しているね」
「貴方がそう望むなら佐藤ね。でもね、私は本物の彼女ではないわ。勿論この世界もそう、全ては貴方の想像上の世界よ」
「ああ、そうか。五十嵐のやつ、本物の都市伝説を参考にしたらしいな。アイツの脚本通りじゃないか。それで俺をどうするんだ。貴女はさしずめ男を夢の世界に閉じ込めて肉を喰らう女郎蜘蛛ということか」
「貴方、何か思い違いをしているわね。私は実在などしていないわ。私も含めてこの世界の凡ては貴方が記憶の中から取り出したイメージで生み出された貴方の作品よ」
「そうか、現実世界じゃないのか。それで俺は何をすればいい。帰れるのか」
「別に何でもできるわよ。貴方の世界なんだから想像力で何とでもなるわ。例えばここを砂漠に変えようと思えば砂漠になるし。それに現実世界に戻ってどうするつもり。貴方は現実で生きることにうんざりしていたはずじゃない」
私は何も言い返さなかった。現にあの忌々しい町に戻ってもどうにもならない。あの男の脚本に従うのは癪だが私も己の世界に安住することになるのだろう。
私はそれから彼女と別れ、この世界の様々な場所を見て回った。ある時は、標高一万メートルもある氷柱が生えた霧の湿原や、奇怪な強酸に満たされた黄緑色の大洋、罪を重ねた悪人達が落ち続ける無間地獄を見た。またある時は、上下左右に何千億冊もの本が立ち並ぶ大図書館に逗留した。図書館の中央には、丸眼鏡を掛けた翁が書斎机に坐りながら、何やら分厚い本を読んでいた。久しぶりに意思の疎通が交わせそうな人間と出会ったので、嬉しさの余り話しかけた。尤も私の想像の力によってクリエイトされた人形に過ぎないので、自分自身と喋っていることにはなるが。
「こんにちは。精が出ますね。いつからここで働いているのですか」
「私には始まりもなければ終わりもない。生々流転する宇宙を俯瞰する場所にいる。この図書館には、お前が生きていた時代よりもはるか昔の時代からはるか先の時代まで、全ての時間、全ての並行世界の情報が集められているのだ」
私は手前の百科事典を手慰みに繰ってみた。すると最初の三十頁には見たことのある魚や動物の図像が書いてあったにも関わらず、途中からは意味不明な幾何学模様が落書きされ、仕舞には後半のページが白紙であった。
「へえ、この世のあらゆる叡智ですか。それにしては余りにも無知すぎやしませんか。見て御覧なさい。白紙ですよこれは。この図書館の知識量は一冊の辞典にもしかない」
「それはお前が貧相な頭をしているからだ。この世界はお前の想像で作られたものだ。だからこの図書館も世界の叡智を集めたいというお前の欲望が生み出した仮の姿に過ぎん。だからありったけの情報を書きつけようとしても、物を知らんお前の想像力では限界があるのだ」
私は馬鹿と呼ばれて突発的に腹が立ったが、よく考えれば自分に説教を喰らっているようなものなのだからどうしようもなかった。
私は図書館を出てから、また何百日も町から町へ、山から山へ旅をした。その中でいくつか気になったことがある。町に入った時に何人かの市民と話す機会を得たのだが、私が何を喋ってもその返答が私の意図した通りになるのである。最初は私の疑問や悩みに率直明快な解答をしてくれる夢の国の人々に、的外れでこちらの意図を介さないコミュニケーションをしてくる現実の人間以上の好意を抱いた。しかし次第にどう反応するのか完全に予想できる会話に、私自身興味を示さなくなった。最早彼らとの会話は独り言よりも馬鹿馬鹿しいものになった。また、目にする景色も私にとって気になった。この世界に来てから想像世界時間で数年といったところであろうか、段々目に入る景色も同じようになってきた。最初は世界を貫く鏡の壁や、おもちゃの家具が沈む虹色の海辺などの面白い絶景を見て、我ながら想像力の逞しさに感心したものであった。今となっては代り映えしない抹茶の草原と黄色い空が広がるだけで、己の底の浅い想像力を露呈していた。私は次第にこの世界への興味を失っていった。そんな世界の或る日のことである、私は懐かしい夏空の下で駄菓子屋から新聞を買っていた。勿論金なら出そうと思っただけで湧いてくる。その新聞のコラムに、険峻な山脈で修行に挑む仙人について書かれていた。私はこの記事を読んで、その人に会うべきであると直観した。勿論私の想像が生み出した人物なので、自分の想像力以上のことを話さないことは明白であるが、仙人なのだから、私が普段意識していなかった潜在的な私の考えを掘り出して、現実と想像の世界への退屈さを紛らわせてくれると思ったのである。
私は新聞に書いてあった住所を訪ねてみた。それは現実世界ではあり得ない住所だったが、私には手に取るように分かった。タクシーを降りて仙人が住む山を見上げると、ひっくり返りそうになった。それは世界の中心にあるかのように聳え立ち、山の先は雲を突き出して何処にあるのか分からなかった。まさに須弥山、仙人が住まうのも納得である。四つん這いになって山を這い上がると、山の中腹に宮殿があった。よく見るとそこから出てくる老人が一人。その顔を見るとなんと若いころの祖父の顔をしている。私は驚きと感激のあまり駆け寄っていた。
「じいちゃん、どうしてここに」
「私はお前の祖父ではない。如何にも我は、道に従うが故に道を超越し、世界の理を越えて不死の仙術を得し者である」
「ああ、そうか。これも俺の想像が生み出したイメージに過ぎなかったのか」
「そう残念に思うことはない。私はこれでも仙人の端くれだ。お前がこの世界で出会ってきた俗人よりも多少ましな答えを用意できることは違いない」
「ならば聞きましょう、私は救いも確実な価値もない現実世界を捨てて、己の妄想に閉じ籠りました。しかしどうやらこの場所も余りよろしくないようです。私はどうすれば良いのですか」
「お前の言うように、現実には信じられるものも縋るものも何一つなく、昨日まで絶対であったものが明日には見向きもされなくなる。人は絶対的な愛や絆、正義などの概念の強靭さを信じていたいものだが、実際にはそんなものは存在せず、失ったときの悲しみを得ることになる。世の中は常に変化・変貌しているが、その動きは善悪を区別しないし、当然個々人の都合など考慮に入れもしない。だから人は、守っていたかった幻想や価値観を否応なく時代に奪われ慟哭する」
「ええそうでしょうとも。だから私は現実が嫌になったのです」
「ああ、だが変化することを止めることは出来ないが。嘆くよりも楽しみを見つけようとすることも出来る。例えば友情が欺瞞に過ぎないと嘆くよりも、友達がいなくなったり出来たりする自然の働きを面白いと思えるようになる。家族の絆に拘るよりも、目線を遠くして見ることで、家族の縁に縛られることなく、気ままな人間付合いが楽しめるようになる」
「結局考え方を変えろってことですか、それじゃ忍従しているのと同じだ」
「それは違う。忍従とは不自然な状況にあるのに権力者や状況に強制され、屈服するということだ。だが変化を楽しむ術は世界に対する行為だ。世界には何の意思もなく、善悪もなく、目的もない。ただ変化するのみ。さればこの術はこの世界に生まれ落ちた者の当然の理であって、何ら屈服ではないのである」
「では、どうすれば楽しめるのですか。私には絶望的な感情しか浮かんできません」
「勿論まだ若いお前に直ぐそれができるとは言わない。ただ今後お前が現実に戻った時に、楽しみの境地に達するための手助けをすることはできる。覚えておきなさい。全てを超越することだ。つまりは善悪も、価値も、目的も、信仰も、自我も、拘りもない彼岸のような心性で世を渡るのだ。そうすれば心の中に自然が入り込んでくる。己の心は常に変化し、変化に戸惑うことなく、変化することを自然の働きとして楽しむことが出来る。いずれお前も、友に裏切られ、家族に売られるだろう。だが心は常に爽やかな桜の花道を走っている筈だ。現に私も不死の仙人ではあるが、死ぬことは如何程も怖いと思わん。自然の理に身を任せそれを楽しめば、あな生は楽し、死は楽し」
「出来ますか。そんなことが私に」
「それは分らん。だがそうするしかなかろう、現実に絶望し、かといって自分の想像の凡庸さにも満足できんお前にはその素質がある。現実を生きよ。例え親友に刺殺されようとも、誰からも見放され、飢え死にしようとも、空の心で変化を愛し変化に死ぬのだ」
私は仙人の話に全て納得した訳ではなかった。心の中では「違う、もっと良い方法が在る筈だ」とは思いながらも、それが何なのかは終ぞ分らなかった。また、これが現実も想像も同時に打ち破る次善の策であることは否定できなかった。納得は行かないながらも、仙人と話した後、私にはある種やけっぱちの勇気が湧いてきた。
そこに現れたのは佐藤さん、に似たあの女性だった。よく見ると今度は巫女の服を着ている。大人びた顔つきはそのままだ。よくもあれ程険しい霊峰を駆け上がってきたものだと感心していると、彼女が少々怒った様子で口を開いた。
「さあ、どうするんですか。このまま貴方の思うが儘の世界で悠々自適に暮らすか、幸せも救いもない外界で生きて惨めに死ぬのか」
私は何も言わなかった。だが心の中では訳の分からない火が燃え広がっていた。私は突発的に彼女を押しのけて走り出した。何万メートルとも分からない山から飛び降りて走ったが、少し転んだだけで、かすり傷一つつかなかった。私は砂漠を越え、桃の木の大群を駆け抜けて、あのいつか見た夜の桜の森に帰ってきた。後ろから彼女が追いかけている気がしたので、がむしゃらに走った。冷たい川の流れに沿って走っていると、何年前に見たか分からない竹林を見つけた。あの中に入れば元に戻れる。私はそこに飛び込み、竹林の道を走った。何故か来た時と違って傾斜が三十度ほどもある崖になっていたが、それでも私の足は止まることを知らなかった。一時間ほど走り続けると、目の前に細い光明が見えてきた。私はその中に飛び込んだ。
ズボッツ。大きな音を立てて、私は竹藪の中から飛び出した。私は空中で三回転して頭から地面に落ちた。小一時間悶絶した後に口から笹を吐き出して周りを見ると、私がよく大学終わりに道草した神社の参道であった。日付を見れば、現実世界では一夜しか経っていなかった。最初はコーヒーショップから入ったのに妙だと考えながら隣に目をやると、あの女性が立っていた。
「君はまたあの世界に俺を引きずりこむのか」
「そんな力持ってないわよ。私は貴方なんだから。貴方、いや私の衝動がこれまでの私に勝ったということね」
「俺はもう行くよ」
「何処へ」
「さあ。とめても戻らないよ」
「ふん、答えを見つけたわけじゃないくせに。帰りたくなったときのために想像の入口はいつも貴方の傍にあるから安心しなさい。じゃあね、無計画で人にほだされやすい無能さん」
私は振り返らずに手を振りながら鳥居をくぐった。その瞬間目の前が白んだ。走る先から太陽が昇ってきた。東雲の空の下、畦道を駆けていくと住宅街に入った。そしてしばらくして、あるものを見かけて立ち止まった。アイツと歩いた桜並木。私は静かにポケットへ手を突っ込んだ。そしてスマホと学生証を投げつけた。二つは橋の欄干に当たって粉々に砕け散った。私は陽の射す方へ走って行った。

吉村優輝

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