常に生産性があるかどうかで判断してしまう生き急ぎ女

2024/9/16

ああ、前回の更新から1週間空けてしまった。習慣にするためには、1週間の停滞は、かなりの痛手だ。

さて、表題の件、私のことである。

これは、人気漫画、進撃の巨人から引用している。主人公エレンイェーガーに対し、同僚のジャンが言い放ったセリフだ。『この生き急ぎ野郎!』

生き急ぐ、とはどういう意味だろうか。

辞書の説明はこうだ。

急(せ)いて生きる。

(限りある命なのに)あたふたと(軽薄に)生きる。 「みな―・ぎ、もはや人間の悲惨にも驚かない」

短い命を(だから精一杯)激しく生きる。「夭折(ようせつ)詩人の―・いだ人生」

ポイントとしては、軽薄か必死かは置いといて、命を削っているということのようだ。

エレンイェーガーは、巨人を駆逐するために、必死に必死に自分の命を削っている、

ジャンからしたら、自分の命を削ったら、巨人を殲滅できるわけでもないのに、ただがむしゃらに自分の命を削って、無茶なことばかりして、命大切にしろよ!!おまえのことを大切に思ってくれている人がたくさんいるくせに!!!

という怒りだと思った。

そして、その言葉に感銘を受けた。

進撃の巨人を読まなかったら、『生き急ぎ野郎』という発想がないまま人生を歩んでいた。

そして、私も生き急いでる気がする。

なぜそう思うか。私はエレンとは違う。辞書の説明を読むと、私は生き急いでるわけでもない気がしてきたが、大きく2つの理由がある。

常に予定を詰め込みたい (ただし生産性のある予定に限る)

時間を有用に活用したい

同じようなことを言っている気がしてきた。

つまり、あ〜〜今日も1日充実してたわ〜〜〜いい1日だったっすわ〜自分サイコー!今日もおつかれ!

って毎日感じたいのだ。

やはり、他人と比較して初めて気づくことが多いが、このケースも、真逆の人を目の当たりにしたときに、前からうすうす感じていたけど、やっぱり自分は、生産性と効率を重視した合理的で充実した毎日を過ごすために、なんかあくせくしてんな、と自覚したのだ。

もう少しブレイクダウンしていこう。

具体的には、どういうことをしたら、今日はサイコーだった、充実してたぜ!って思うんだろう。

1.生産的なことができたとき
→個性が形になったり、クリエイティブなことができたとき
 例) 仕事で成果が出せたとき
   素敵な写真がとれたとき
   勉強して資格をとれたとき
   絵の具で絵を描いたとき
→結局、その生産物が評価に値する、と自分で思えたら、とても満足である。

2.合理的なことができたとき
 例)旅行プランを立てて、満遍なくいい感じに満喫できたとき
 ちゃんと事前に定休日を調べて行ったので、行ったのに入れなかった、を防げたとき
  仕事おわりにジムに行っていい汗かいたとき
  (休日の午後とかにジムの予定をいれると、
 その時間まで寝て、ジムに行っただけの休日で終わったりする。その日と比べて)

 →逆にいえば、損をしなかったときだ。
 まわり道をしてしまっても、まわりまわって、
それが自分にとって、損得の損ではなかったら、
結局、合理的な行動ができた、ととても満足である。

3.人との友情・信頼を感じたとき
上の2つに勝るのがこれだ。
というより、繋がっているのかもしれない。
人との絆とは、
生産的であり、合理的なことなのかもしれない。

逆をいえば、
どんなに仕事で成果をだして、
その日の後にジムにいって、いい汗かいても、
その日の寝る前に、
友達とモヤモヤすることがあったら、
その1日の充実感は、ゼロになる気がする。

だが、
他者との友情、信頼を感じる瞬間は
そう毎日やってこない。
自分がどれだけ努力したとしても、
相手がいることだから、
思い通りにいかないだろう。

となると、
1.2.の、個人で完結する部分で、
充実感を得ることが得策な気がする。
しかも、3は意識してやることでもない。

そこまでのブレイクダウンができたところで、
再度自分の生き方を考えてみると、
日常的に、
1.生産性 2.合理性
を重視して、予定を立てている気がする。

そして、
1.2のキーになる部分が
私の場合、損得勘定に左右されることが多いので、
常に、自分の損得、を考えている。

なので、そういう生き方、考え方をしていない人をみると、
なに考えて生きてるんだろう、
なんかもったいない毎日を過ごしてそうだよなぁ、
と大変失礼な感想を言いたくなる。

そんなの余計なお世話なのにね。
なぜこんなに人のことが気になってしまうんだろう、というのも、
また別の折に、分析していきたい。

ではまた、来世で。
K

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