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チベットで人権について思い知った話と10年後の日本【コラム】

「『人権ない』ってこういうことか~」からの、今後の日本について感じていることをまとめました。長文&アホみたいに真面目です

Lita39は法学部出身です。学生時代は「人権」という言葉を日常会話で使ってました。でも本当に「人権がないってこういうことか」とわが身として実感したのはチベットの首都ラサでの、ある出来事でした。

屋台でうどんを食べていた時のこと。ふとテーブルの向かいで食べている30歳くらいのチベタン男性に目を向けると、うつむいた首元から小さなペンダントがぶら下がっています。チベットではよく見る、偉いお坊さんの写真ペンダントです。私が目をとめたのは彼の写真がダライ・ラマだったからでした。それは中国国内ではとても珍しく、私は思わず「ダライ・ラマだね」と声を掛けました。

その瞬間です。男性ははっと顔をあげ、素早くペンダントをシャツの中に入れると、食べるのをやめて緊張の面持ちで私を見つめました。その恐怖とも警戒ともみえる表情に私のほうが驚き、あわてて「私は日本人。大丈夫、心配しないで」と言いました。「日本人?」男性はほっと息をつくと笑顔になり、それから私たちは声をひそめて少しばかりインドについて話をしました。インド、つまりチベタンにとってダライ・ラマ法王様のいる場所です。本当はもっとたくさん話がしたかったのですが途中でやめました。ラサでは外国人も監視の対象になると聞いたことがあり、男性にも迷惑がかかる可能性があったからです。

いっけん些細な出来事ですが、このとき私は街中にある監視カメラやスパイがチベタンの日常を縛っていること、しいては旅行者である私自身にも向けられていることを現実として実感しました。「人権がない」とはこういうふうに毎日を暮らすことかと。頭では十分知っているつもりだった「人権」が、初めてわが身として感じられた瞬間でした。

それから十年あまり。いま中国経済はますます巨大になり、いつの間にか西側企業・政府が中国の顔色を窺うのが当然の世界になりました。西側諸国の人間が自国内で発言した結果、中国に謝罪することがあるという世界です。お金のため、生まれ持った表現の自由を自己規制する。中国国内だったらそれでいいのです。彼らの国なので彼らがやりたいようにやればいい。私には中国を批判する気持ちはありません。チベット問題も基本的にはチベット人と中国の問題です。問題は、中国の国外で中国の価値観に迎合することです。それは私たち西側諸国の宝物である人権を縮小させることにほかなりません。

そう偉そうに言う私も、日本で中国籍の方と話をするときチベットのことはほとんど話しません。多くの方はチベット自治区について好意的イメージを持っていると理解していますが、「ダライ・ラマ」という言葉は相手の居心地を悪くさせてしまう可能性があるので、マナーとして避けてきました。でも心の底では、本当にこれでいいんだろうかと、常にとまどいがありました。とっても大切なことなのに見て見ぬふりをしているような、後ろめたい気持ちです。相手に配慮して口をつぐむのは悪いことではありません。でも「あなたの家では見えないかもしれないが、うちではこう見えるよ」とにこやかに主張すべき時もある…。

そんなことを考えていたとき、香港の民主化運動が起こりました。米国議会からも支持があり、ニュースでウイグル問題も取り上げられるようになり、潮目が変わったと感じています。しかしこの先どのように変わっていくのかはまだ見えません。

日本は移民受け入れ政策に舵をきりました。10年後の日本を考えると、いま政府は移民に守ってもらうべき民主主義の価値観を明確に定義する必要があると考えています。「うちはこのやり方だからこれでやってね」という絶対に譲れない項目です。どの民族であれ「日本に住む人間は基本的人権の価値観を共有する公民」と位置づけることが大事であり、そうしてこそ「●●人が」というような差別意識も減少していくと思います。マナーや治安問題は各論でしかありません。

10年後の日本は、日本国内にもかかわらずチベット問題について口を閉ざしている、いまの私のようになっていてはいけません。繰り返しになりますが、それは私たちの宝物である人権を自ら縮小させることになるからです。人権概念がそもそもない国、人命が驚くほど軽い国があるなかで、小学校で基本的人権を教わる日本は恵まれています。

長文になりました。これは今の考えを記録しておきたくて自分のために書きました。私個人の幸せには関係ないのに、こういった人権云々について延々と考えずにいられない自分の性格が残念です…(涙)。

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