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ポケモンで感じた初めてのノスタルジー体験

今回の記事は前回の以下の記事の続きの、私のポケモン史第二弾です。
よろしければ以下の記事もお読みいただけると幸いです。


青版を遊び尽くしてしばらくすると、また我が家のサンタから次は金銀版のゲームをもらった。
我が家のサンタは2種類の渡し方を毎年交互に行う方法でプレゼントを私にくれた。

1つはよくあるように24日に就寝後、枕元にプレゼントを置いてくれて、朝起きて発見するパターンだ。
プレゼントにレゴブロックなどをもらう機会が多かったので、そういった時は朝起きて寒い中ストーブの前でレゴブロックを組み立てて遊んでいた。

もう1つのパターンは珍しいと思うのだが、24日の夕食中に玄関に置かれるというパターンだ。
その時だけなぜか毎回父親が夕食の場にいないのだが、母親と弟と3人で夕飯を食べている時に、玄関の方で毎回物音がする。
物音が静まった後に母親が見に行くとサンタさんからプレゼントが来ているよと玄関にプレゼントが置かれているのだった。
今考えると煙突ではなく、玄関から強行して不法侵入されていた形になるので、当時怖かった泥棒と表裏一体でちょっと恐ろしい。
ただ、プレゼントがあると恐ろしさなど露ほども感じず、大喜びでプレゼント開封をするのであった。

ポケモン金銀は弟と2人用ということでこの玄関置きパターンで置かれていた。
加えて金銀を遊ぶためのハードであるゲームボーイカラーを持っていなかったので、ポケモン金銀仕様のピカチュウとチコリータ、ヒノアラシ、ワニノコが描かれたゲームボーイカラーもプレゼントしてもらった。

上記の2つのパターンのうち、私は玄関に置かれているパターンの方が好きだった。
理由はシンプルで、少しでも早くもらえるからだ。

24日の夕食中にもらえれば、夕食後にそのおもちゃで遊べるからである。
金銀版も例にもれず24日夜から私が金版を、弟が銀版を選びプレイを始めた。

金銀で一番印象的だったのは、8つのジムをクリアして四天王を倒した後に、青版のカントー地方に行けるようになり、青版のストーリーを追体験できるようになったことだ。
この時小学年だった私が初めて懐かしさという感情を覚えたのではないかと思う。
青版で体験した世界をカラーのグラフィックで歩き、青版を遊んでいた時の状況や気持ちを思い出す。
金銀で新しい街に訪れたりするよりもカントー地方を冒険するのに心は躍っていたのだが、一方で少し寂しさを感じていた。

私は懐かしいという気持ちを感じると少し寂しい気持ちになるのだが、これがノスタルジーという感情だと勝手に思っている。
記憶の中の景色やイメージは美化されていて、実際よりは自分にとって都合の良いように改変されているからかもしれない。
そして記憶の中の時の、あの頃には戻れないと感じてしまうからかもしれない。

決して今が不幸せと感じているわけではないが、昔は良かったと感じてしまうことが世の中には多いと思う。
職場で先輩方が昔話を楽しそうに話している姿を多く目にしてきたが、おそらくある程度記憶が美化されているのかなと思う。

そう考えると未来で今この瞬間のことも美化されるのかなと思うと、どれだけ苦しくても良い思い出になると信じて今を生きていきたい。

#エッセイ
#ポケモン
#ゲーム

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