ほんとうのことに立ち返る
私が、今のこの世のコロナ騒動について、初めて自分から情報収集をするようになったのは、2021年7月のことでした。
当時、2014年からのヨガの練習や指導により、背部や頸部の神経や関節を痛め、ヨガをこのまま教え続けることがいよいよ不可能、ということを認めざるをえない、そんな時期でした。(頸部神経根症、左肩関節周囲炎、背部挫傷)
背中の痛みは以前からあり、私は2020年の3月くらいから時々接骨院で鍼の治療を受けるなどしながら、ヨガを教えてきました。
2019年の7月には、肋骨を骨折してもいます。
これは、疲労がたまっていた時に、雨の日の外階段で足を滑らせ転び、背中を打ったことが直接の原因です。
この時は、起業を前に会社員として勤めていたフィットネスジムを退職して間もない頃であり、怪我などしていられない時だったので、
「は?骨折?困るんですけど」
と思い、1ヶ月で治すと決めて、実際9月からはヨガの練習を再開、開業届も同月に出してしまいました。
コロナなるものが何たるか、またワクチンの危険性については、日本でも少しずつマスゴミが報道するようになり、
関係者も自分達が積極的に推進、関与、黙秘してきたことの重大さにビビりはじめ、
同じ組織のなかでも、意見や立場が割れはじめ、保身のための攻撃のし合い、知らん顔、鞍替えなどが進んでいるのが、今の日本の状況なのかもしれません。
特に日本人は、周りを見て行動を変える習性の強い人が9割超えと思うので、
いまだにワクチン接種をやめていないのが日本だけ、と言われはじめた途端、ワクチン接種を推進したのと同様、同調圧力により今度は世界の国々を見て不安になりはじめた。
このように私は、怪我によってヨガを教えることができなくなり(2021年7月でいったんヨガを教えることはお休みする、と公表しました)、
同時にそのことによって、コロナなるものの実態について調べ始めることとなりました。
昔、医療によって酷い目に遭ったことのある私には、なにが本当のことか、わかるのはそんなに苦労を要することではなく、
ほとんど反射的に、事の本質について、理解したと思います。
と同時に、本当のことを知らないことから来る楽観的観測は即座にくずれ、私は今自分にできることをとにかくやらなければならない、と、
家族や知人、友人に必死の思いで、情報共有を開始、松葉茶の製造と販売をその年の10月から開始しました。
とはいえ、家族にこのような情報があるからワクチンは危険だ、やめて欲しいと伝えても、その時点ではほとんど伝わらず、
むしろ私の方が、心配のしすぎ、と相手にされませんでした。
地方の高齢者の情報源はほぼ新聞とテレビであり、父や母にとっては、新聞やテレビが言っていないことは「正しくないこと」という認識だったと思います。
それでも、私はこの時期に本当の情報に接することができて、幸運だったと思います。
だからこそ、自分や家族だけではなく、知人、友人や広く一般の人に向けても、情報の共有や発信、松葉茶などの販売を行なってきました。
知人、友人からもしばらくは父や母から示されたのと同じような反応を示されましたし、
松葉茶を売りにいった先でも、状況を理解していた人とこの話をしようものなら、こちらが「自分のことしか考えていない人」として、
「迷惑者扱い」されました。
たしかに、当時は、「思いやりワクチン」などと盛んに広告が流れてもいましたものね。
まぁ、この時期感についても、すべて計画の上でのことだったのでしょう。
そして早くから本当のことを知っていた人達は、自分達の安全は確保することのできるバックがある方達が多かったのかもしれません。
なんのバックもない私のような人、そしてたまたま知ってしまった真実から目を逸らさないために自分の信念を貫く行動を取り続けたために、
多くの心無い人達からの攻撃を受けたり、経済的、精神的にも孤立して大変だった人も少なくないのではないかと思います。
しかし、この期に及んで、もう真実は芋づる式に出はじめ、
今まであちら側にいた人達も、
もうあとは同じく保身のために鞍替えするタイミングを見計らうばかり、
という時期に差し掛かっているように思います。
2020年3月〜2023年3月までのあいだ、私も飲食の仕事をする時には「マスク着用」を強要されてきましたし、
嫌だと拒否すれば、周りから迫害を受けました。
彼らは命令に従っただけ、仕事だから?と言うかもしれませんが、
その時期を通しての彼らの行動の変化については、
忘れることはないと思います。
また、みな見えなくなりがちだと思うのは、「悪いことをしている人達」は一部の人達、に限定されないということです。
私もしばらくは、国際金融資本側の人達の方しか見えていませんでした。
が、実態はそうではない、ということが特に2023年春からよく見えるようになりました。
私たちは、無力ではないし、未来も決まってなどいません。
今、自分の行動を変えれば、未来は変わる。
今まで行動しなかったことは、変えられないかもしれませんが、
少なくともこれから行動した分については、未来が変わる可能性はじゅうぶんある。
私は科学者ではないし、医師でもありません。
でも、自分の経験で、医療による薬害やトラウマとなるくらい重い苦しみを克服してきた、という自負があります。
苦しみは今もあります。消えてなくなったわけではありません。
でも、家族や友人、周りの人達から力をいただきながら(時には力を削られながらも)、
自分で乗り越えた。
そこには、見えない世界からの応援もあったと思っています(苦難を経験すればこそ、人間など及びもつかない力の領域について、想像を巡らせることもできるようになるのではないかと思います)
この世でなすべきことはただ一つ、それはこの世を抜け出すことだ、
とは誰の言葉だったか、文献を読み返さなければここに明記することはできないのですが、
まぁ、そういうことだろうな、と思います。
解脱とは、死んだらできることでもなく、
この世にいながらにして、この世を抜け出した生き方をすること。
それにはまず、この世を俯瞰してみることができるくらいの苦難と、それによって得られた優しさ、強さが必要かもしれません。
まったく関係のない他者を攻撃してストレスを発散させることには意味がなく、
むしろそれは騒動の計画者達の思うつぼにハマっていること、そのものと言えると思います。
対立している人達同士を、対立させておいたら良いのです。
彼らは力を奪い合い、私たち一般庶民は自分たちへの信頼を取りもどしはじめる。
今まで奪われていた分までです。
ヨガを勉強するとよくわかるのは、
信頼すべきはまずは自分、ということです。
私たちは、自分の外になにか「正しいこと」があるとして、子どもの頃からしつけ、「教育」をされてきています。
でも、世の中において「正しい」ことを言うべき人達が真逆のことをやっている、
その事実に触れた時、
私たちは混乱し、ほとんどはじめて、自分の頭でものを考えるということを始めるのかもしれません。
人生における苦難は浄化であり、恵みである、と言われるのは、
このような意味においてだと思いますし、
それはとてつもない苦しみですが、
そんなことでもないと、私たちにまとわりついて離れることのない、「私」という自我の強固な鎧はついぞ綻びることはない。
「常識」は一つの見方に過ぎない、ということはわからないと思います。
人間の世界には、あたかも絶望しかないかにもみえますが、
今ここでもう一度、
「ほんとうのこと」に立ち返りたいと思います。
※見出し画像は、2020年夏にビーチヨガを行ったときのものです。
炎天下で、肌がやけどしました汗
↑この方のアカウント、凍結されたみたいで、動画見ることできなくなっていました(7/28)
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